eXtra Youthquake Zone | ナノ





晴れた空の下を、公営バスがのんびり走っていく。

Z市から遠路はるばる乗り継いで、ジェノスとヒズミは最後列の座席に並んでいる。朝一でジェノスが病院にいるベルティーユに「ヒズミを発見、無事に保護した」と連絡したとき、彼女は当然のごとく迎えをよこすと申し出たのだけれど、ジェノスは断った──公共の交通機関を使用して向かう、と告げた。それに対してベルティーユは、なにも言わなかった。そうか、と短く頷いただけで、説得を試みようともしなかった。

ふたりに残された、わずかな時間。
しっかり別れを惜しめとでも──いうように。

取り立ててそう混雑しているわけでもないが、目的地が病院ということもあって、車内には年寄りの姿が多い。幼い子連れの母親もいる。彼らに共通しているのは、後ろのジェノスとヒズミが気になって仕方がなさそうという点だった──それも無理はない。なにせメタリックな風体をしたサイボーグの青年と、不自然なほど真っ白な頭に青い瞳を湛えた女性である。ただでさえ異質な組み合わせなのに、両方ともども揃いも揃ってワイドショーを騒がす有名人だ。視線を集めるなという方が難題だろう。

「……ジェノスくん」

状態を傾けて、窓にもたれかかる姿勢で、硝子に額をつけながらヒズミが口を開いた。ともすればエンジン音に掻き消されてしまいそうな、か細い声でジェノスを呼ぶ。

「どうした?」
「大好き」
「……具合でも悪いのか?」
「そうじゃないよ」

おかしそうに笑って、ヒズミは外の景色を眺める目を、眩しそうに細める。

「今のうちに、いっぱい言っとこうと思って」
「ヒズミ……」
「大好きだよ。ジェノスくん」
「俺もだ」
「本当だよ。嘘じゃない。大好きなの……本当に」
「ああ。……知ってる」

ジェノスがそっと、ヒズミの手を握る。優しく指を絡めて、きゅっ、と包み込む。

「ちょっとだけ寝てもいい?」
「疲れたのか?」
「うん……ちょっとだけ」
「そうか。病院まであと三十分ほどだが、着いたら俺が起こしてやる。ゆっくり休め」
「ありがとう」
「礼なんていらない」
「ジェノスくん、大好き」
「俺もだ」

やや声を潜めているので、他の乗客たちには、ふたりの交わしている会話の内容までは聞こえないらしい。

あいつらはなにを囁きあっているんだ──とでも言いたげに送られてくる奇異の視線などお構いなしに、ジェノスはヒズミの体を引き寄せて、横抱きに支えてやる。

「あいしてる」

どちらともなく発した、辿り着くまでひどく遠かったその睦言も──ようやく信号待ちから解放され、車体を震わせて発進したバスの嘶きに霞んでしまった。



「ヒズミさん、戻ってくるんですね。……よかった」

心底ほっとした顔で、シキミは相好を崩した。行儀よく紙コップを両手で持ったまま、隣に座るサイタマを横目に窺う。彼は普段通りの、なにを考えているんだかわからない、ぽやんとした面持ちで朝食のピザトーストを咀嚼している。

斜向かいにはベルティーユが悠然と長い脚を組んでいる。相変わらず凛とした、インテリジェンスに磨かれた知的な美をこれでもかと振り撒いている彼女だったけれど、白衣の襟は隠しようもないほどくたびれて、少々よれてきている──夜通し一睡もせずに作業していた、その苛烈さの証明といえた。

「もうそろそろ、ジェノス氏とヒズミがここに到着するようだ。子供たちに案内を任せている。その後すぐ検査に入る手筈だ。君たちにもヒズミにゆっくり挨拶する時間を差し上げたいところだが……、あまり長くは難しいかも知れない。申し訳ないが、理解してくれ」
「承知してます、教授」
「おう」

彼らが寛いでいるのは病院内の、見舞客向けの休憩スペースである。ゴーシュとドロワットがうまく人払いをしているとのことで、室内にいるのは三人のみだった。飲料水と軽食を扱う自動販売機の低い唸りが、意味もなく点けっぱなしになっているテレビと不毛な二重奏を続けている。

「ヒズミのヤツに言ってやりたいことは、昨日まとめといたからな」
「先生……」
「心配させやがって。あの厨二病め」

口振りこそ乱暴だったけれど、その裏に確かな温かみがあることを、シキミもベルティーユも感じ取っている。

「さて、噂をすれば──だな」

ベルティーユが入口を振り向くのと同時に、扉が開いた。ゴーシュとドロワットに先導される形で、まずジェノスが顔を出して──そして、いたたまれなさそうに俯いているヒズミが、ゆっくり足を踏み入れてきた。

「ヒズミさん!」
「……シキミちゃん」

思わず腰を浮かしたシキミに、ヒズミはへらり、と口角を緩めてみせた。ぎこちなく片手を挙げて、軽く左右に振る。

「おひさ。お元気そうでなにより」
「だ……大丈夫……では、ないんでしょうけど……あの」
「大丈夫だよ。……大丈夫」

笑って繰り返すフレーズは、己に言い聞かせているふうでもあった──ジェノスに手を引かれ、ベルティーユの前に立つと、ヒズミは深々と頭を下げる。

「ご迷惑を、おかけしました……すみません」
「……いいんだ。無事でよかった」
「すみませんでした」
「ああ。……しかし、謝る相手は私だけじゃないだろう?」

ベルティーユに促されて、ヒズミはサイタマとシキミに目線を移そうとして──できなかった。

どの面を下げて話せばいいのかわからない。
何度も何度も、助けてもらったのに。
救ってもらったのに。
こんなにも無様な姿を晒して。
散々あちこち振り回しておきながら。
嫌われても、疎まれても仕方ない失態をしでかしておきながら。

どの面を下げて。
許しを請えばいいのか──わからない。

唇を噛みしめて黙り込んだヒズミの耳朶を、サイタマの盛大な溜め息が打つ。呆れと怒りの色濃い、まるで彼女の器を見限ってしまったかのような容赦も加減もないその仕種に、びくっ、と反射的にヒズミの肩が跳ねた。

「なんとか言えよ」
「サイタマ先生、わ、私は──」
「いいからお前こっち来い」

それでも動けないヒズミに痺れを切らして、サイタマが椅子から立ち上がる。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、棒立ちのヒズミにつかつかと歩み寄って、すっと右手を引き抜いて振り上げて──

──ぱあんっ、

と。
乾いた音を響かせた。

「……あ」

一瞬なにをされたのかわからなかった──けれど。
ひりひりと痛みを訴えながら熱を帯びる頬が、親切に教えてくれた──彼の平手がそこに炸裂したのだということを。

「せ──先生! ちょっ、なにして」

ぎょっと目を剥いて身を乗り出しかけたシキミを、ジェノスが制した。なんで止めるんですか──と食いかかりたいところだったけれど、彼の悲しげな表情を目の当たりにしては、シキミも抜いた刃を鞘に収めるしかなかった。

「人に謝るときは、なんて言うんだ」
「……ごめんなさい」
「そうだろ? そんでいいんだよ、バカ」
「せ、せんせ……わ……私……ごめんなさい……」
「ごめんは一回でいい」

ばっさり遮って、サイタマはヒズミの鼻先に、びしっと人差し指を突きつける。

「いいか? 俺が怒ってんのは、お前が変な気ィ利かせて全部なかったことにしようとした、更地に戻そうとした、そこだけだ。あんだけお前のこと守ってくれたジェノスのこととか、一緒に頑張ってきた俺たちのこと蔑ろにした、そこだけなんだよ」
「……………………」
「だから、ごめんは一回でいい」
「先生……」
「俺もジェノスもシキミも、他の連中も、忘れねえよ、絶対。もう諦めろ。腹くくれ」

諦めて──受け容れろ。
仲間の想いを。
最期まで背負って、去っていけ。
自分勝手に編纂するな。
エンドロールに全員分の名を載せろ。

諦めて──勝ち誇れ。
孤独じゃなかった重みに胸を張って笑え。

「う……っ、ううう……」

年甲斐もなくぼろぼろと泣きだしたヒズミの頭を、くしゃっ、とひとつ撫でて、サイタマは踵を返した。

「帰るぞ、シキミ」
「うえっ!? えっ──帰るんですか!?」
「もう用事は終わっただろ? ああ、お前もヒズミに言いたいことがあるんなら、言っとけよ」
「え──あ、えっと、あたしは……」

さっさと出ていこうとするサイタマの背中と、ジェノスに支えられながら泣きじゃくっているヒズミとを交互に見て、シキミは眉尻を下げて──意を決したふうに口を開く。

「ヒズミさん! あ──あたしは、ヒズミさんのこと、尊敬してますから」
「……うん」
「尊敬してますし……大好きです」
「うん」
「だから……忘れてほしいとか、なかったことにするとか言って、その気持ちを、否定しないでください。あたしは……ヒズミさんと一緒だった時間、ずっと覚えてますから。それはあたしの……あたしだけの感情ですから、えっと……その……重いかも知れないですけど……お願いですから、否定、しないでください」
「うん……ごめん」

そう答えてから、ヒズミはふと思い直したふうに首を振る。

「違うな、そうじゃないな、……ありがとう」
「ヒズミさん……」
「ありがとうね、今まで。いろいろと」

じわり──と、シキミの視界が音もなく滲む。

「あたし……寂しいです」
「うん。私も」
「寂しいし、悲しいし、すごくつらいです」
「私も」
「でも……忘れない、ですから」
「ありがとう。私も覚えてる。ずっと覚えてるよ」
「おーい、あのさ」

割り込んできた声に顔を上げる。半開きのドアから頭だけ覗かせたサイタマが、こちらを見ていた。

「教授、ヒズミの検査って何時に終わるの?」
「……夕方くらいには」
「それが終わったら外出とかできる?」
「結果にもよるが、数時間くらいなら大丈夫だろうと思う」
「あ、そう。じゃあ──メシ食いに行こうぜ。こないだの鉄板焼き屋」

思い当たる節が、ヒズミにはあった。涙に濡れた双眸を瞠る。

「電話して席取っといてやるからさ」
「……トラブル起こしたから、出禁にされてたりして」
「そりゃ笑えねーな」

微かに息を漏らしたサイタマに釣られて、ヒズミも吹き出した。事情を知らないシキミとジェノス、ついでにベルティーユも、完全に置いてきぼりであった。

「よろしくお願いしちゃおうかな」
「シキミとジェノスも来るだろ」
「え? ああ、はい……」
「よくわかりませんが、ヒズミが行くなら、俺もついていきます」
「よし、決定だな。そんじゃあ、またあとでな。行くぞー、シキミ」
「ま、待ってください先生!」

どこまでもマイペースなサイタマと、ばたばたと慌ただしく去っていったシキミとを見送って、そのときヒズミは笑っていた。泣きながら──それでも、笑っていた。

「約束、できちゃった」
「そのようだな」
「長生きしなきゃ」
「そうだな。──俺も、そう願う」

ジェノスのまっすぐな言葉に、背中を押され──ヒズミは改まって、ベルティーユへ手を差し出した。ベルティーユもすかさずそれに応える──しっかりと堅く、信頼の握手を交わす。

「ではでは──検査、よろしくお願い致します。ベルティーユ教授」