eXtra Youthquake Zone | ナノ
“病院から徒歩で行動できそうな範囲”という漠然とした想定のもと捜索活動に勤しんでいたシキミのスマートフォンを鳴らしたのは、ベルティーユからの外線だった。帰宅ラッシュの時間帯に重なったせいで人通りの多い街中だったので、ともに行動していたサイタマとくっついて舗道の端に寄り、開店準備中のダーツ・バーの看板の脇で着信に応じた。
「え? ヒズミさん、家に帰ってるんですか?」
シキミの言葉に、隣で聞いていたサイタマも虚を突かれたような顔をした。どこかで見覚えのあるかわいらしい女子高生とハゲた胡散臭い男がなにやら深刻そうにしている光景が物珍しいのか、通行人の八割くらいがこちらをちらりと流し見ながら通り過ぎていく。
「……そう、ですか。はい。……ジェノスさんが向かってるんですね? ……それなら……、はい、……わかりました。えっ? あ、はい、わかりました。代わります」
神妙に頷いて、シキミは通話が繋がったままの携帯をサイタマに差し出した。
「ベルティーユ教授です。先生に代わってほしいと」
「俺に?」
「はい」
受け取って、サイタマは使い慣れない最新機器をおそるおそる耳元に持っていく。
「……もしもし? 俺だけど」
「ああ、サイタマ氏。聞いていたかい?」
「ヒズミが家に帰ってるって」
「その通りだ。あの“掃除屋”がヒズミの体に直接、発信機を仕掛けていたらしくてね」
「え? 犯罪じゃねーの? それ」
「君の言う通りだが、結果としてはそれに救われた形だ。咎めるまい……君たちも至急Z市に向かってくれ。ジェノス氏の手には負えないかも知れない」
「……いや」
サイタマは目を細めて、長い息を吐いた。
「俺はアイツに任せたい」
「サイタマ氏──」
「信用してやってくれねーかな。俺の弟子だぜ」
「……君がそう言うなら、私に強制できる権限はないな」
スピーカーの向こうで、ベルティーユが苦笑を漏らすのが聞こえた。
「俺の弟子だし──なにより、アイツだって立派な男だぜ」
「そうだな。すまない、見縊っていたよ」
「とりあえず、そっち戻るわ。んで、今夜は俺とシキミ泊まらせてくれ」
「わかった。そのように手配しておこう。道中、気をつけて」
「おう。悪いな、教授」
役目を終えたスマートフォンをシキミに返却して、サイタマはぐっと伸びをした。あーあ、と気怠そうなあくびまで零している。
「よし、帰るか」
「……大丈夫なんですか?」
「なにが」
「え、その、マンションに帰らなくて……」
「大丈夫だよ。ジェノスがいるんだろ」
「そう──みたいですけど」
「惚れた女のヒステリーくらいなんとかできなきゃ男じゃねえよ」
「ひ、ヒステリーって、先生」
随分な言い種である。
突き放したような雰囲気にひたすらシキミはおろおろしているが、サイタマは態度を変えない。
「大体なあ──俺は怒ってんだ」
「お、怒ってる? ですか? 誰に──」
「ヒズミ以外に誰がいんだよ」
そうこうしているうちにさっさと歩き出してしまったサイタマに、シキミも忙しない子犬のようについていく。人混みの隙間を縫いながら、二人は病院に帰る道を進んでいく。
「アイツ、俺らになんにも言わねーで──平気な振りして、隠そうとしやがって。最初に協会の……テオドールとかいうチャラ男に追っかけられてた頃からなんにも成長してねえ。アイツわかってねーんだよ」
「……なにをですか?」
「自分がどれだけ大事にされてんのか」
どれだけ──愛されているのかを。
理解していない。
受容できていない。
自分のせいで傷つけてしまうのを恐れるあまり──怖がるあまり。
「それまで知らなかった嫌いなところとか、許せねーようなところとか、そんなもんの一個や二個で消えねーんだよ。そんなもんでなくなっちまうような絆じゃなくなってんだよ、俺とかシキミとか教授とか糸のねーちゃんとか鋏のねーちゃんとか──ジェノスとか、そういうヤツらとアイツの繋がりってのは。アイツはそれをわかってない。わかりたくないと思ってんだ。怖いから」
「怖い……?」
「ちょっと失敗した、そしたら怒られた、嫌われたに違いない、ついでに陰で笑われてるかも知れない、怖い、死にたい、消えてなくなりたい。そういう思考回路なんだ。アイツは──いつまで思春期なんだよ」
自意識過剰な中学二年生か!
オトナになりやがれ!
そんなことを──親友も憤慨して言っていた。
「子供なんだ。アイツは」
「……そうなのかも知れませんね」
「自分に自信がねーんだよ。肯定されてこなかったから。親と仲悪かったんだろ? 友達もあんまりいなかったって言ってたし。誰もアイツのこと褒めてやらなかったんだ。認めてやらなかったんだ、たぶん。だからアイツの内側には“怒られないようにしよう”っていう考えしかない。妙なことして怒られないように距離を置こうって思想しかねーんだ。そうやって生きてきた。だから怖いんだろ。無条件にくっつかれて、好きだ好きだってバカみてーに迫られて、必要だって求められんのが。今までそんなこと、一回もなかったから」
「なんていうか……かわいそうな人ですね」
「はあ? 甘ったれんじゃねーよ」
容赦なく切り捨てる台詞も、親友と同じだった。
「まあ、アイツなりに“ええい! 今後どうなっても一緒にいてやる! もう知らねーぞ!”くらいの覚悟はしてたかもだけどな。ダーリンとか言っちゃうくらいだし。宇宙人がA市を襲ってきたときに、ジェノスといろいろあったんだろ。嫌われてもいい、それでも好きだ、くらいの気持ちはあったんじゃねーのかな──だからこそ“お互い大好きなのに、自分だけがジェノスの前からいなくなって、愛するダーリンをひとりで遺してしまう。一緒にいられなくなる”ってのに耐えられなかったんだ。自分のせいで傷つける、ジェノスは悪くないのに、そんで怒られる、怖い、そんなの嫌だ、みたいな……うわ、愛するダーリンとか言っちまった。さむっ! 俺さむっ!」
「だ、大丈夫です先生。続けてください」
「続けるもなにも、とにかく俺は怒ってるってだけでだな……今のだってテキトーだぜ。あんま鵜呑みにすんなよ」
「はあ……」
しっかりと釘を刺されてしまったが、それでも考えてしまう──そんなふうにしか生きられないヒズミを、どうにか救えないだろうかと。
考えてしまう──けれど。
きっとそれは、自分にはできないことで。
人類最強であるサイタマにも、できないことだ。
きっと──ただひとり。
「ジェノスさんに、任せましょう」
「はっ──俺は端から、そのつもりだよ」
シキミの背中をぱしんと叩いて、サイタマは天を仰いだ。
「ところで、病院って晩メシ出してくれんのかな」
「さあ……どうでしょうか」
「入院食みてーなのだったら嫌だな」
「いざとなったら、院内に売店ありますし。軽食くらいなら買えると思いますよ」
「そっか、それもそうだな。頭いいなあ、お前」
「え、えへへへ……ありがとうございます」
他愛ない会話を紡ぎながら、二人が暮れかかった空の下を歩いている頃。
ジェノスはZ市の廃墟地帯に到着していた。
ときには歩道を駆け、ときには車道を横切り、ときにはビル群の屋上を飛び越え、ショートカットにショートカットを重ね、マンションを目指してほんの一秒さえ休むことなく疾走して、ここまでやってきた。
全力の駆動によって熱を帯びたパーツを急速冷却しつつ、ヒズミの部屋の前に立つ。
奇妙な形状に折れ曲がったドアノブが、すべてを物語っていた。