eXtra Youthquake Zone | ナノ





「ヒズミがいなくなったあ?」

電話越しに告げられた衝撃の事実に、ハイジは思わず素っ頓狂な声を上げた。彼は現在ヒーロー協会本部で、まだ記憶に新しい『セント・クラシカル・ネプチューン』号で発生した爆破テロ事件の捜査委員会の一員として激務に追われている。船内から発見された破壊活動の証拠品を科学的観点から調査および解析する、鑑識の仕事をしているのだった。他の追随を許さない観察眼を持ち、同じく比肩する者のない明晰な頭脳をも備えた“アカシック・レコード・イミテーション”である──これ以上ない適任といえた。

そんな彼と通信しているのは、ベルティーユだった。口振りは落ち着いているが、焦りが滲み出ている。

「本部には行っていないか?」
「来てないよ。来てたら大騒ぎだよ、今頃。もうメタルナイトの防犯システムも試験的にではあるけど稼働しはじめてるし」
「それもそうだな──彼女の行動を予測できないか?」
「うーん、普段ならともかく……今のヒズミは正常じゃないだろ? 難しいなあ。そもそも自分の意思で逃げたのかどうかが怪しいよね。なんにもわかんないで徘徊してる可能性もあるんじゃない? ボケ老人みたいにさ」

刺々しい単語をオブラートに包むという行為の必要性をまだ実感していない七歳児らしい、ストレートな物言いであった。

「ふむ、それも一理あるな……しかし、だとしたら、なおさら危険だ」
「協会が市街地に設置してる監視カメラの映像を盗んでみるよ。ひょっとしたら映ってるかも知れない。望み薄だけどね──そんなとこボーッとうろうろしてたら、目立つだろうし。俺たちより先にお巡りさんが見つけるよ、多分」
「ああ、助かる。よろしく頼むよ」
「ジェノス氏は? そっちにいるんだろ? なにしてんの?」
「これから捜索に出てもらう。君からヒズミの居場所のヒントを得られないかと思って、出動前に連絡した次第だ」
「そうだったのかい。……力になれなくて、ごめんよ」
「いや、構わん。気を落とさないでく──れっ、」

ベルティーユの語尾が不自然に跳ねたので、ハイジは何事かと身構えてしまう。

「え!? なに!? どうしたの!?」
「す──すまない、こっちで少し……進展があればまた連絡する! ハイジもなにか情報を掴んだら電話を」

そこで通信が切れた。なにやら揉めているようであった──いくら全知全能を体現しうる超人のハイジとはいえ、今のやりとりだけでベルティーユの身にどんなトラブルが起こったのか推察するのは不可能であった。



まさかこの数日間、行方を晦ましていた“掃除屋”の彼女が突如として舞い戻っていたことなど──知る由もなかった。



「レディースッ、エーンド、ジェントルメェーン!」

気障ったらしく飾り立てた──そんな口上と、ともに。
ド派手なミニスカートのメイド服を纏った彼女は嵐のように現れた。

呆気に取られているベルティーユとジェノスに、フリル盛りだくさんの裾をひらひらさせながら、大股で歩み寄ってくる──相も変わらず豪放磊落、捲土重来、有無を言わさない異質な迫力を携えて。

「オイオイどうしたァ、元気ねェなァ、シャキッとしろよッ! せッかくオレが来てやったってのによォ」
「お、お前、なんでここに──」

狼狽しているベルティーユを余所に、彼女はジェノスに標的を据えたようだった。ずいっ、と鼻先がくっつきそうなほどの距離に詰め寄って、メンチを切るちんぴらのように凄んでみせる。

「オマエ、こンなとこでなにしてンだよ」
「……お前などに説明してやる義理はないな」
「はんッ、カッコつけやがって──大方“愛しのヒズミがいなくなっちゃったよー! うえーん!”ってカンジなんだろォ? 乳離れのできねェがきんちょめ。まァ確かにヒズミのオッパイは魅力的だがよォ。そこそこあるし、超絶やわッけーし」
「なっ……なぜそんなことを知っている!!」
「残念でしたゴチソウサマでしたーッ!!」
「貴様ァ!! 俺でも触ったことないんだぞ!!」
「そんな話をしている場合か!!」

彼女が登場するだけで展開がおかしなことになるのはいつものことだったが、今回ばかりはベルティーユにも彼女の騒々しいコントに付き合ってやるだけの余裕はない──そんな猶予はない。

「そもそも、お前、どうしてヒズミが消えたことを知っているんだ」
「失踪はアイツの十八番だろォ? ……ッてな、まァ、冗談だが」

そう言って、彼女は胸元から、すぽっ、と薄型のタブレット端末を引っこ抜いた。乳房の間に挟んでいたらしい──なんとも品のない行動だったが、その後の彼女の発言にはそんな常識的な反応を掻き消すだけの衝撃があった。

「一緒に行動してたときからずッと、アイツに発信機を仕込んである」
「な──んだと? 診察していたときにそんなものは見当たらなかったぞ」
「極小サイズだかンな。足の小指の爪の隙間に取ッつけてある。大半がプラスチックだから金属探知機にも反応しねェ代物だ。治療中に壊れてたり外されてたり余計なコトされてたらどうしようかと思ッたが、まだちゃんと動いてら。さすがオレ特製。というわけでェ──さて、がきんちょ」

ジェノスを振り返って、彼女は鮫のように鋭い犬歯を光らせながら、カラフルなネイルアートに彩られた指先を彼に突きつけた。もう片方の左手には、ヒズミの所在を示す画面をちらつかせている。

「追ッかける気はあるンだよな」
「当たり前だ」
「アイツのためなら、なンでもできるか?」
「わかりきったことを訊くな」

怯まずに言い返してくるジェノスに、彼女はますます獰猛に笑う。

「そンなら、オレの愛人にもなれるか?」
「それは無理だ。俺にはヒズミがいる。ヒズミを傷つけるようなことはできない」
「はッ──面白くねェ。最ッ高につまんねェくれェ、花丸だよ」

──百点満点大合格だ!

そう叫んで、彼女は踵を返した。背を向けて去りながら、後ろにタブレット端末を投げた。空中に放物線を描いて、吸い込まれるようにジェノスの手元に収まった。

「いいのか? 契約は成立していないが」
「この期に及んでシラけること言うんじゃアねェよ、青少年。オレは──ただ、大団円が見てェだけだ」
「大団円──」
「みんな笑顔でウルトラハッピー! ッてなァ。今この状況で──九回裏二死満塁、選手も観客も審判もドイツもコイツも諦めムードんなッてやがる中で、バッターボックスに立ってんのァ、オマエだ。大逆転ホームランが打てンのァ、オマエだけなンだぜ、青少年。いいか? オレはな、ハッピーエンドしか、認めねェ主義なンだ」

彼女は一度も振り返らず、颯爽と扉を開けて、去り際に──ひとこと。

「フルスイングをブチかましてきてくれりゃア、そンでいい」



ばぎっ、とドアノブから鈍い音がした。
壊れてしまったようだ。
なにかが引っ掛かっているようだったので、強く引っ張ったら、ロックの突起が捩じ曲がってしまった。
もう元の形には戻らないだろう。

ああ──やってしまった。
不注意だった。
怒られるだろうか。
怒られるに決まっている。
普通の大人は、こんなふうに鍵を壊したりしない。
自分が馬鹿だから。
自分が馬鹿なのが悪いから、怒られる。
当然のことだ。
悪いのは自分だから、怒られるのだ。

我が家へ上がるために靴を脱ごうとして、靴なんて履いていなかったことに気がついた。
道理で足がちくちく痛いと思った。
靴も履かずに外へ出るなんて、どうかしている。
怒られるだろうか。
怒られるに決まっている。

きちんと封をしていたはずのダンボール箱が開いている。
いや、もしかして。
ひょっとして。
封をしたと思い込んでいただけだったのかも。
自分が馬鹿だから。
そんな簡単なこともできなかった。
自分が馬鹿なのが悪いから、きっと怒られる。

(……誰に、怒られるんだろう)

よく怒られていた。
叱られていた。
彼はとても厳しかった。
だらしないことをしていると、ひどく説教された。

でも──不思議と、嫌ではなかったような。
彼に怒られるのは怖くなかったような。

窓の外が、夕焼けの朱に染まりつつある。
そろそろ夕飯を作らなければならない時間だ。
昨日は、なにを食べたっけ。
思い出せない。
自分が馬鹿だから。
自分が馬鹿なのが悪いから、きっと怒られる。

彼は──なにが好きだっただろうか。
なんでも、美味いと言って、食べてくれていた気がする。
初めて誰かのために焼いたお菓子も。
形がひどく歪で、とてもおいしそうには見えなかったのに。
食べてくれていた気がする。
嬉しかった気がする。
嬉しかった。
気がする。

ダンボール箱の底で眠っていた土鍋を叩き起こした。
最近ちょっと肌寒くなってきたから。
あったかいものを、作ろう。
彼が体を冷やすなんてことは、たぶん、ないけれど。
あったかいものを作ってあげよう。

彼はもう、なんにも覚えていないけれど。
だからひょっとしたらもうへたくそな料理なんて食べてくれないかも知れないけど寂しいけど悲しいけど怖いけどそれでも。
あったかいものを作ってあげよう。

それでいいかな。
これでいいかな。
それでいいんだよね。
これでいいんだよね。

わからないけれど。
せめて。

──あったかいものを作ってあげよう。