eXtra Youthquake Zone | ナノ





「なんで、こうなっちゃったんでしょうねえ」

さしたる感慨もなく漏らした呟きに、彼は訝しげに眉を寄せた。真意を掴みかねる──そういう表情だった。

「どういう意味だ?」
「いや、その、なんていうか──どうして私なんかが、こんなとんでもない能力を手にできたんだろう、って」
「例の"地下研究所"で行われていた研究の影響を受けたからだろう?」
「それは──そうなんですけど。そうじゃなくて──」

X市総合病院の地下深く、壁と天井それ以外にはなにもない広い空間を保有する室内で、ふたりは語り合っている。数ある実験室のひとつを戦闘訓練に使用しているのだった──不慮の事故に巻き込まれて異能の"怪人"へと変貌し、望まぬ戦いを強いられる羽目になるであろう一般市民の若い女性を鍛えるために。

「私が──私だけが生き残った理由って、なんなんでしょう」

すっかり温くなってしまったスポーツドリンクを喉に流し込んで、隣に座る彼を横目に窺った。彼のおよそ人間離れした黒い双眸と視線がぶつかる。最初に彼の姿を見たときは、彼の冷淡に過ぎる無表情と相俟って「夢に出そうだ」と内心ちょっと怯えたものだったけれど、何日も相対しているうちに──拳を交えているうちに、慣れてしまった。

「どうせ助かるなら、もっと相応しい人がいたと思うんです。体内で自在に発電できるなんて、そうもすごい超能力が得られるなら……こんなどこにでもいるようなフリーターじゃなくて、もともと鍛えてて強かった格闘家とか、偏差値の高い学校に通ってた頭のいい子とか、そういう人たちが選ばれるべきだったんじゃないかって」
「それはない」

途中で遮られて──断言されてしまった。

「それは絶対にない」

きっぱりと否定されてしまった。
取りつく島もないくらいに。

「そんなことを言ったら、俺だって──いや」

言葉を切って、まとわりつくなにかを振り払うようにゆるゆると頭を振り、彼は改めて続ける。

「とにかく、お前のその"選ばれる"という発想が間違っている」
「……間違ってますか。私」
「そもそもそんなものを誰が選ぶというんだ。神か? 運命か? 今までお前はそういう概念を本気で信仰して生きてきたのか?」
「そこまで信じては、いませんでしたけれど」

せいぜい腹が痛くてトイレに籠って唸っているときに「神様、仏様、ごめんなさい、もう悪いことしません、禁煙します」と意味もなく懺悔するくらいだった──しかも結果として禁煙できていないので、ヘヴィスモーカーのスタイルを貫いているので、まあ、それくらいの心構えでしかなかったということだ。

「お前が死ななかったのは、お前の力だ」
「私の──力」
「他の者にはなかった、お前の力だ。もともとお前だけが持っていたものがあるんだ。もしかしたら誇るべき才能じゃないのかも知れないが、確かにそういう力がお前にはあった。そうでなければ──今、お前は生きていない」
「それって一体、なんなんでしょうか?」
「俺が知るか。自分で探せ。知りたいと思うなら、他者の死と自分の生との差に意味を持たせたいと思うなら、神だの運命だの、くだらない虚像に丸投げして立ち止まるな。都合のいい解釈にこじつけて考えるのをやめるのは、死んでいるのと同じだ。生きていきたいなら、生きていくために、なにをすべきなのか自力で導き出せ。少なくとも俺は──そうしているつもりだ」

目的を定めて。
目標を捉えて。
そのために生きている。
お前も追求しろ。
お前も探求しろ。
そのために生きていけ。

彼は──そんなふうに、命題を投げかけてきた。

逃げてばかりだった魂に、初めて"戦え"と突きつけてきた。
まったく──簡単に言ってくれたもんだよ。
そう思った。
そう思ったのに──どういう理屈か、どういう因果か。

かっこいい、と感じてしまった。
心底びりりと痺れてしまった。
惚れてしまったのだ──そんな男に。

未成年という歳の頃とは不相応に大人びているくせに、頑固でワガママな子供っぽい部分もある、酸いも甘いもまだまだ噛み分けられない年下のヒーローに。

他の誰も持っていなかった、生き延びるための力──細胞の一片一片に至るまで完膚なきまでに変質し、ギガトン級の怪獣や最新鋭の巨大機械兵すら一瞬で焼き殺す雷撃を放てるまで発展するに至った根幹には、いつも抱えていた"恐怖"があった。

生体構造が遺伝子ごと書き換わり、新たに生成されはじめた脳内物質が、体内で化学変化を起こして電気エネルギーに昇華されているのだという。教授いわく、その物質は本来ヒトという生物がネガティヴな感情に傾いたときに生じるものと、働きがよく似ているそうだ。恐らく人並み外れて臆病で、胆が弱く、毎日なにかを恐れて過ごしていた彼女に、あの研究所の"人工怪人量産計画"の改造システムは──精神の錯乱を誘発する電磁波はよく馴染んだのだろう、と、そういう診断だった。

怒り、悲しみ、苦しさ、寂しさ、そして"恐怖"──それらの負荷を副作用のように増幅させながら、この発電能力は底の見えない成長を継続している。

ブレーキの壊れた進化に、先に限界を迎えたのは肉体の方だった。
もはや生命活動を維持できなくなった。
風前の灯火、虫の息で、彼女は──ヒズミは夢を見ている。
かつて彼と出逢ったばかりの頃の、昔の夢を見ている。

(私だけにあった力……他の人たちにはなかった、死ななかった所以……それが"恐怖"だったなんて──ただ普通よりビビりでチキンだったからだなんて、なんかカッコ悪い話だなあ)
(でも、そのお陰で長生きできたんだなあ)
(長生きっていっても、まあ、せいぜい事故から半年くらいだけど)

長らく昏睡状態だった体へ、徐々に平常な感覚が戻ってくる。

(あの子には──とても申し訳ないことをしたなあ)
(申し訳ないことを、たくさんしたなあ)
(許してくれるかなあ)

罪悪感の中、薄く目を開いた。霞む視界は世界の輪郭をぼんやりとしか映し出せず、自分がどこにいるのか、どうなっているのか、まったくわからなくて怖かった。

(……許す?)
(なにを考えてるんだ、私は)

両の腕に絡みつく無数の管は毒蛇のようだった。それらの先端、栄養失調で瑞々しさを失ってかさつく肌に埋め込まれた注射針は、さながら牙といった趣だった。物言わぬ機械の群れに見下ろされ、身動きの取れない状態で、なにをされているのか、皆目見当もつかない──どうにかなってしまいそうなくらい、恐ろしかった。

いっそ発狂したような勢いで、ヒズミは全身に施された延命処置のチューブを引き千切った。異常事態を知らせる警報を鳴らしかけた医療マシンを殴りつける。何度も、何度も、何度も、弱々しく握った拳を打ち下ろす──人外たる彼女の膂力は、死に瀕した現状でも健在だった。あっという間に原型を失った精密機器にふらふらと背を向けて、集中治療室と外界とを隔てる透明の強化アクリル板を叩き割る。

(許すもなにも──)
(あの子は、なんにも覚えてないのに──)
(私自身がそうしたのに──)

怯懦に駆られて爆発しそうなほど早鐘を打つ心臓と、まともなリズムからはかけ離れた荒い呼吸に反して、ヒズミの思考回路は冷えきっていた。本能と意識とが乖離している自覚があった。恐怖に過敏な、畏怖に過剰な、彼女の"怪人"としての本質が剥き出しになっていた──ほんの一匙だけ残された理性を差し置いて、半ば暴走を始めていた。

(どうしよう)
(どうしたらいいんだろう)
(私は──どうしたらいいんだろう)

どうしたらいいんだろう。
どうしたいと、望んでいたんだろう。

未練はない。
思い残すことはない。
否──無理矢理に片づけてきた。
跡形もなく綺麗さっぱりなくしてきた。

あとは、ただ、終わりを待つのみだった。
そのはず──だった。

(ジェノスくん──は──ジェノスくんは──)

彼の名を脳裏に反芻する、その行為は果たして"自らをいつも無条件に救ってくれた存在"に安息を求める"怪人"としての本能なのか、はたまた彼女自身の、極めて自己中心的な願望が抑えきれずに表れてしまった意識なのか──それは明らかでなかったけれど。

(たぶん、怒ってるんじゃ──ないかな)
(怒ってたような、気がする──)
(大きな声で、なにか、言ってたような──)
(なんか、嫌なことでも、あったのかなあ)
(嫌なことでも──言われたのかなあ)
(──かわいそうだなあ)

そんな瑣末よりも。
そんな些事よりも。

このとき、なにより重要だったのは──

延命装置の健気な仕事ぶりによって生命を首の皮一枚で繋げていた彼女が、己の手でそれらを破壊し、誰にも行先を告げることなく脱走してしまったという──その一点に尽きる。



集中治療室からやや離れた場所に、病院関係者の休憩室があった。医師たちが仮眠を摂ったり、簡単な食事をしたり、ゆっくり寛ぐためのスペースである。簡易式のベッドもあるが、本気で寝てしまうと咄嗟に起きられないというスタッフが多いので、あまり使われていないらしい──そういう事情を垣間見ると、いまいち"ゆっくり寛ぐ"という目的は達成されていないような気がするが、それも致し方ないだろう。

病院は戦場なのである。
無数の人命を預かる救命医療の現場に、休息などない。

「少しは落ち着いたかい? 若人よ」

ベルティーユが、二人掛けのソファに並んで腰かけているジェノスとシキミに優しく微笑みかける。彼と彼女がちょっとした意見の相違で衝突したとサイタマから聞かされて、こうして宥めているのだった。本当に"ちょっとした"喧嘩なのかどうかはベルティーユの与り知るところではないが、二人とも反省はしているようなので、根掘り葉掘り聞き出すような無粋な真似はしなかった。

「……すいませんでした」
「………………」
「あたし、生意気なこと言っちゃって」

マグカップを両手で包むように持ちながら項垂れるシキミの頭を、ベルティーユはそっと撫でた。隣のジェノスは威嚇するように腕を組んで、踏ん反り返っていたのだが──やや厳めしい面持ちを緩めて、

「いや──俺こそ、すまなかった」
「ジェノスさん……」
「女子に対して、あんな大声を出して──すまない」

そんな、柄にもない台詞を発した。

「お前の言う通りだ。最期まで一緒にいたい、それでよかったんだ──それ以外には、なにもいらなかったんだ」
「そう──ですよ。そうです。わかればいいんですよ」
「友人の受け売りのくせに、偉そうに」
「一回聞いて納得したんだから、それはもうあたしの理論ですっ!」
「……ふっ」
「あは」

珍しく口角を上げたジェノスに、シキミもつられて笑いを零した。ベルティーユも満足そうに、難しい年頃の男女が打ち解けるさまを見守っていたが、ひとつ引っ掛かるところがあったようで、ぱんっ、と甲高く手を打って鳴らした。

「仲良きことは美しいがね、諸君──"最期"というのは聞き捨てならないよ。ヒズミは死なない。死なせない。このベルティーユ・Q・ラプラスの名に懸けてね──ヒズミの容態を解析して、肉体に負荷をかけている脳内物質を中和させる新薬を開発した。今夜にでも点滴を開始する予定だ」
「……頼りにしています」
「ああ。……そろそろ定期回診の時間だね。ジェノス氏は今日も泊まっていくんだろう? 一緒に来るかい」
「お言葉に甘えます」
「シキミはどうするかね?」
「あたしは帰ります。先生がいますし──お邪魔しちゃ、悪いですし」

肩をすくめて、シキミは悪戯っぽく嘯いた。そんな彼女に、ジェノスは小馬鹿にしたふうに鼻を鳴らして、しかし気を遣ってもらっているというのは察知したらしく、なにも追及はしなかった。

と──そこに。
ノックもなしに入室してきたのは、さっきシキミを集中治療室からここに連れてきた双子だった。

「……どうかしたのかい?」

ベルティーユの声音が、ワントーン落ちる──人間らしいマナーについて日頃からプログラミングという名の躾を欠かしていない愛息と愛嬢が、いきなり乱入してきたことに、なにかを予見したのだった。

「報告いたします。ICUで稼働している、ヒズミ様の生命維持装置から〇.八秒、緊急警報を受信いたしましたの」
「そんな一瞬の……誤報じゃ、ないんですか?」

空気が一瞬にして逼迫したのを感じ取り、そんなことを問うてみたシキミに、ゴーシュが冷静な回答を呈した。

「誤報。だとしても。今。まで。このような。ことは。ありませんでした」
「これは早急に確認すべき事案かと判断されますわ、教授」
「そうだな──すぐに向かう。ジェノス氏も来ておくれ」
「無論です」
「あ……あたしは」
「お前は先生を探してくれ。先生はさっきトイレに行くと言っていた──院内のどこかにいるはずだ」
「……わかりましたっ!」

先に飛び出していったシキミに次いで、ベルティーユとジェノス、そして双子も休憩室をあとにした。病院の廊下を走るというのは本来タブーな行為であるが、そんな重箱の隅をつつくような指摘が通用する状況でもない。四人は走って走って走って走って走って走って集中治療室に辿り着いて、

電子ロックの回路を破壊された扉に出迎えられて、

無残に穴を開けられた仕切りのアクリルボードと、

蛻の殻と化したヒズミの診療台を目の当たりにしたのだった。