eXtra Youthquake Zone | ナノ





放課後のホームルームを終えて、シキミはヒズミが治療を受けている病院へ向かうべく、黙々と帰り支度を整えていた。スクールバッグに教科書やらノートやら丁寧に詰めながら、どんより暗い面持ちで唇を真一文字に引き結んでいる。

(……ヒズミさん、本当に死んじゃうのかな)

脳裏に過ぎったネガティヴな思考を、シキミは頭を激しくシェイクして振り払った。自分まで後ろ向きになってはいけない。底抜けの明るさくらいしか取り柄はなく、文字通り懸命に頑張っているヒズミのためにできることもないのだから、せめて笑って支えてあげなければ。そんな健気なモチベーションでもって折れかかったハートを持ち直し、鞄のファスナーを一息に閉めたシキミの背後から、ツルコがにょっきりと顔を出して覗き込んできた。

「なにヘドバンしてんの? シキミ」
「わっ! び、びっくりさせないでよ、ツルちゃん」
「ボーッとしてる方が悪いっつーの。なに? 寝不足?」

花の飾りのついたヘアゴムで茶髪をアップにまとめ、いわゆるギャルメイクを一分の隙もなくばっちりキメているツルコは、悩みなんてひとつもありません、みたいなテンションで豪快に笑っている。年頃の女子なのだからそんなわけはないのだけれど、ついつい羨ましいような気分になってしまう。

「このあと遊び行かない? 久々にプリクラ撮ろうよ」
「あ、ごめん。このあと用事があって」
「そっかー、残念。ヒーロー協会のなんか?」
「……そんなところかな」

本当のことなど言ったら大騒ぎされそうだったので、ツルコには伏せておくことにした。

「ヒメノ誘えば?」
「あー、今はダメだって。修羅場なんだって」
「修羅場?」
「なんか次のイベントの新刊がどうとか」
「……薄い本か」

バス停までは道が同じなので、部活動に向かう体育着の生徒たちが往来する校舎を並んで歩きながら、二人はつらつらと世間話に花を咲かせている。

「なんかさあ、最近いろいろ大変そうよね、アンタ」

ツルコがしみじみとそんなことを口にしたので、シキミは笑って首を傾いだ。

「なに? どうしたの、急に」
「銀行強盗とか、船の爆破テロとかさあ。意味わかんないもん。そんなに戦争したいのかっつーの。あっちこっち喧嘩売りまくってさ、本当バッカみたい」
「手厳しいなあ、ツルコ」
「当たり前じゃん。弱い者いじめみたいなの、あたし大嫌いだもん。知ってるでしょ?」
「まあね……」

だらだらと下駄箱に到着して、ところどころ擦れて色の落ちたローファーに履き替えながら、ツルコはまだ憮然と口を尖らせている。

「あーあ、あたしもヒーロー目指そっかなー。進路決まんないし」
「そんないいもんじゃないよ。危ないし」
「大丈夫だって。あたし親戚に格闘家がいるんだから」
「それツルコとは関係ないよね?」
「いやそれはそうだけど、違うんだって、キック褒められたんだから。ジンタイのキューショとか教えてもらったんだよ。ゴシンジュツ? っていうの? そういうのちょっと習ったんだからね」
「はいはい」

言い慣れない単語が全部カタコト発音になっているあたり、あまり信憑性は感じられない。生返事で適当に流されたことに不服を申し立てているツルコを黙殺して、シキミはさっさと校庭に出た。バスの時間までにはまだ余裕があるが、乗り遅れるとまずいので、自然と早足になってしまう。しかしツルコは文句を垂れることもなく、人懐っこい犬のようにぱたぱたとついてきた。

「なにはともあれ、そろそろ将来のこととか考えなきゃねえ」
「そうだね。ツルコは進学すんの?」
「うーん、できればもう勉強はしたくないなあ。かといって就職したいわけでもないけど」
「留年したらいいんじゃない?」
「はっ! その手があった! ……ってアホか!」

華麗なノリツッコミが炸裂した。

「シキミはずっとヒーロー続けるの?」
「今のところは、そのつもり。どうなるかわかんないけどね」
「おやおや、弱気ですなあ」
「……いろいろあんのよ。正義の味方には」

たとえ、どれだけ鍛えても──どれだけ強くなっても。
力では救えない生命もあると思い知った。

「ねえ、ツルコはさ」
「なんじゃい?」
「あたしとか、ヒメノとかがさ、病気でもう助からないかも知れないってなったら、どうする?」
「は? なにそれ。クイズかなんか?」
「いや、普通に純粋な質問だけど」

どうやら真面目は話らしいと察したのか、ツルコは腕を組んで天を仰ぎ、本気で考え込み始めた。毎日お気に入りのファッション雑誌と、好きなアイドルのことくらいしか頭にない彼女である──そのうち顔面から煙が出るのではなかろうかと、シキミは半ば本気で不安になっていたのだが、幸いそんな事態にはならなかった。

「うーん、そーだなあ……頑張って勉強して、お医者さんになるとか」
「気の長い話すぎでしょ」
「え? ダメかな? そんじゃ、海外のおっきな病院に行けるように、駅前とかに立って募金を集める!」
「それでも、治療法がないって言われたら?」
「じゃあもう仕方ないから、毎日お見舞いに行く。ガッコ休んで、ずーっと一緒にいる」
「ずっと一緒に、ねえ……」
「だって後悔したくないもん。もっとたくさん喋りたかったー、とか、話いっぱい聞いてあげればよかったー、とか、欲しいものプレゼントしたげればよかったー、とか、あとになって思いたくないもん。できるうちにできること全部やって、笑って過ごしたいね、あたしは」
「なるほどねえ」
「あー、楽しかった! ってさ。そうやってお別れしたいね」
「前向きだなあ、ツルコは」
「当たり前でしょ。あたしはシキミもヒメノも大好きだもん。大好きな人との思い出はいっぱいある方がいいに決まってるし。たとえそんなことに本当になったって、おばーちゃんになっても、あたしは絶対に忘れないね」

力強く断言するツルコが、いつになく頼もしく見える。

「でも、つらいんじゃない? 大好きな人がいなくなって、独りぼっちになったら、そういう記憶が心の中にあるせいで寂しくなったりしないのかな」
「そりゃ、そういうこともあるかもだけど」
「そうだよねえ……。やっぱり"自分が死んじゃうせいで悲しい気持ちになってほしくないから、なにもかも忘れてもらおう"って思うのは、自然なことなのかなあ……」
「はあ? なに言ってんの。そんなわけないじゃん」

ばっさり切り捨てられてしまった。シキミは俯いていた顔を上げて、なにやら憤慨しているらしいツルコを見つめた。

「いつまでも覚えててね! あたしのこと忘れないで! じゃないの、フツー」
「……そうかな」
「そりゃそうでしょ。ワンピースでも言ってたじゃん。人が死ぬのは人に忘れられた時だって」
「ツルコ、ワンピースとか読むんだね」
「お兄ちゃんの部屋にあったから勝手に読んだ。めっちゃ面白いね、あれ。ジャンプのマンガなんて小学生が読むもんだと思ってたけど、なかなか捨てたもんじゃないや。……んで、話を戻すけど」

頭の中で言いたいことを整理するように口を尖らせつつ、ツルコは続ける。

「大体さあ、大事な人がいなくなって、悲しいとか苦しいとか寂しいとか──そういう感情はあたしのものでしょ。あたし自身の、あたしだけの問題でしょ。他人にそんなとこまで心配されたかないわよ」
「でも──相手がそこまで自分のことを傷つけたくないって考えてくれてるってのは、嬉しいことじゃないの?」
「全ッ然。バカにしてんの? って感じ。そこまで軟弱じゃないわよ。あんたはそんでキモチイイかも知んないけど、それはつまり──死んじゃうから忘れてほしい、積み重ねてきた関係をなかったことにしたいってのは、つまり、今まであんたのこと大好きだったあたしを全否定することになるってわかってんの? って感じ」
「全否定──」
「自分の都合でリセットできるような、その程度の友情だったって思ってるってことでしょ。そんなの勝手すぎじゃね? そんなの結局、自分のことしか考えてないじゃん。人間関係が自分中心に回ってるとか大間違いだっつーの。酔ってんじゃねーよ! 自意識過剰な中学二年生か! オトナになりやがれ! みたいな?」

校門を抜けて、歩道に出た。街路樹の群れが涼しい秋の風に撫でられて、ざあざあと鳴き声を上げている。

「そういうヤツって大概"あなたを傷つけたくないの!"とかガチで言っちゃうタイプなんだろうけど──いやそれ傷つきたくないのはお前の方だろ、的な? 相手に哀しい思いをさせちゃう事実に耐えられないのはお前の方だろ的な。甘ったれてるわ、あたしに言わせりゃーね」
「そう、なのかなあ……」
「まあ──シキミやヒメノがそういうふうに考えちゃうなら、そういう優しい部分も含めて、あたしは好きなんだろうけどね。でもどうせ最期なら、もっとワガママになっていいんじゃないの? そしたらあたし毎日さびしくないように寝る前にちゅーしてあげるし」
「うん、ちゅーは別にいらないかな」
「うわっ! 唐突なマジレス!」

一本道の向こうにバス停が見えてきた。同じ制服の生徒が数人ほど、既に並んでいた。

「あーあ、ツルコちゃんはハートが折れました。帰ったらソッコー寝てやる」
「ツルちゃん」
「んー?」
「ありがと」

親友に真顔で礼を述べられた理由が掴めず、ツルコは一瞬きょとんとしていたが──すぐに白い歯を見せて、にかっと屈託なく笑った。

「なんだか知んないけど、元気出しなさいよ」
「うん。なんか変な話しちゃって、ごめん」
「気にすんなって。ツルちゃんは悩める親友のためなら、なんだってするのです」

えっへんと胸を張るツルコに、シキミもつられて破顔した。

決して聡明ではなく、いつも振り回されてばかりで、しかし愛嬌があって憎めない彼女の笑顔を、この先なにがあっても忘れないだろう。
忘れられない──忘れたくない。

どうしてこんなにも簡単なことを見落としていたのか。

受け入れられた喜びを。
ありのままを認められた嬉しさを。

愛してもらった──温もりを。

なかったことになんて、していいわけがないのに。

「……ヒズミさん起きてたら、一発ガツンと言ってやろ」

そんなシキミの独白を、誰も聞いていなかった。ツルコの姿はとうに消えている。寄り道の当てがなくなって、素直に自宅への岐路についたのだった。とりあえず近いうちに彼女のストレス発散お遊び行脚に付き合ってあげよう、と人知れずシキミは心に決めつつ、スマートフォンの画面を開いた。そろそろバスが来る時間だった。病院の最寄りの停留所で降りて、そこからはタクシーを使うことになる。所要時間は約四十分くらいか──その間に、年上の女性に対する説教の内容をまとめなければ。

誰よりも弱虫で、泣き虫で、怖がりで寂しがりのくせに、ただひとり心を通わせた"ダーリン"すら遠ざけて独りぼっちで消えていこうとしている"甘ったれた"年上の女性に送る言葉を。

大きな車体の発する独特のエンジン音が、東の方角から徐々に近づいてくる。