eXtra Youthquake Zone | ナノ





工場プラントに丸一日ずっと缶詰状態の事後調査という激務を経て、更にサイタマの投下した爆弾によって眠れぬ夜を明かした翌日だというのに、シキミは律儀に己の通う高校へ出席していた。さすがに朝のホームルームには間に合わなかったが、午前中には教室に顔を出し、クラスメイトたちから質問攻めに遭う羽目になった。

テロリスト集団と戦ったのか、ニュースでやってたあのロボットは本物なのか、ホワイト・アウト・サイダーには会ったのか、伝説のS級ヒーローが助けに来たという噂は嘘じゃないのか──まだ警察や協会から公式発表がされていない以上、一介の構成員である自分が機密を漏らすわけにはいかないので、ほとんどなにも答えられなかったけれど、かけられた言葉のなかで最も多かったのが「怪我はしなかったか」というフレーズだったのは嬉しかった。優しい級友たちを心配させるわけにはいかない、頑張らなければ──そんな気分になれるのだった。

そんなこんなで忙しない時間を過ごして、現在は昼休みに突入している。教室の片隅に机を寄せ合って、いつものメンバーで談笑しながらランチタイムを楽しんでいた。

「もー、あたしマジでテレビ見て目玉が飛び出るかと思ったんだからね!」

ぷりぷりと怒っているのはツルコである。カレーパンを齧りながら、細い眉を吊り上げている。

「鬼電したのに出ないし。ラインも既読スルーだし。連絡しなさいよね」
「仕方ないでしょー、シキミだって仕事なんだから」

ヒメノは至って冷静だった。お馴染みの重箱をつついて、呆れ顔でツルコを諌めている。クールを装ってはいるが、シキミが登校してきたとき、真っ先に駆け寄ってきたのは彼女だった。

「まあ、いいけど。無事だったんだし」
「ごめんね、ツルちゃん」
「謝らないでよ。あたしが悪いみたいじゃん、もー」
「そんなつもりはなかったんだけど……」

言葉尻を濁しつつ、シキミもクロワッサンをもそもそと咀嚼している。さすがに弁当を作る時間はなかったので購買部に行ったら、言動も体型も豪快なレジのおばちゃんが「テレビ見たわよ! お疲れさん!」とサービスしてくれたものだ。自分がいろんな人に支えられていることを実感して、なんだか泣きそうになった。

「みんな不安だったんだよ。はーちゃん先生なんか昨日お休みだったのに、わざわざガッコに電話してきたらしいよ。シキミは来てるのか、大丈夫なのかって。詳しくは知らないけど」
「え、マジで? なんか悪いなあ……あとで挨拶しとこ」
「ていうか、結局なんだったの? あの爆破テロ。犯人もう捕まったの?」
「ううん。捜査中だよ。救命ボートがいくつかなくなってて、逃走に使われたかも知れないって」

これは後々の会見でも公表される予定の情報なので──というか既にいくつかの報道機関には漏洩していて、新聞などにも掲載されてしまっている事実なので、シキミは包み隠さなかった。

「物騒な世の中よねー、マジで」
「そのためにヒーローがいるんだから」
「ひゅー、かっくいーっスね、毒殺天使ちゃん」
「茶化さないの。……ところで、あの……あの人は?」
「あの人? って誰よ、ヒメノ」
「……ホワイト・アウト・サイダーさん」

ロックフェスのときに挨拶した程度の仲とはいえ、ヒメノもヒズミとは顔見知りである。そしてツルコは彼女に命を救われた経験もあるので、猶のこと──その名前に食事の手を止めて、深刻そうに声を潜めた。

「そうだよ、指名手配されてたんでしょ? どうなったの?」
「……わかんない」
「わかんない? 会ってないの?」
「ちょっと話したけど、検査とか取り調べで慌ただしそうだったから」
「検査? 検査ってなによ」
「もともとヒズミさん体の状態が不安定だったから、協会のお医者さんに定期健診してもらってたの。行方不明になってる間ずっと検査できてなかったから、それで大変だったんじゃないかなあ」

ヒズミの体調もさることながら、なによりシキミの心に影を落としてやまないのは──彼女に対するジェノスの態度だった。

今朝も一言二言ばかり会話は交わしたが、彼の口からヒズミの名前が出ることはなかった。本部に戻るとは話していたが、ベルティーユに野暮用があるだけらしい。それが済んだらマンションに戻って、部屋の掃除をすると──それしか述べていなかった。

(なんなんだろう。まるで、どうでもよくなっちゃったみたいな……ううん、違う。そうじゃない……ヒズミさんのことなんて、最初からどうでもよかったみたいな……)

彼女に対してどれほどの愛を注いでいたのか。
すべて忘れてしまった──みたいな。

(……忘れる?)

シキミの胸の奥に、その単語が引っ掛かった。

忘れる。
記憶を失う。
頭の中から消滅する。

脳から正常な働きが欠落する。

(確か、ヒズミさん……船で、ヴァルハラ・カンパニーの人の頭を……電気で)



──飛び抜けてすごい技なわけじゃないけど、でもまあ、便利っちゃあ便利だよ。

──記憶を操作したりとかも?



──できなくは、ない。



「……シキミ? どうしたの?」

思考に没頭していた意識を、ヒメノに引き戻された。はっ、と我に返る。

「すごい顔してたよ、今」
「あ、ああ、うんごめん。考え事してた」
「あんた疲れてんじゃないの? マジで大丈夫?」

ツルコが至近距離で顔を覗き込んできたので、思わず逃げてしまった。不服そうにしている彼女に「ぼーっとしてただけだってば」と弁解して、シキミはクロワッサンの残りを一気に口に押し込んだ。過剰に味つけされた砂糖の甘さが口に広がって、なんだかよくわからなかったけれど、吐いてしまいそうだった。



ベルティーユに用事があるというジェノスにくっついて、サイタマも本部を訪れていた。ほんの暇潰しくらいのつもりで、ハイジか双子にちょっかい出そうという算段だった。強化改築が進んでより近未来的なレイアウトに進化しつつあるエントランスを横切って、エレベーターフロアを目指していた二人を、背後から呼び止める声があった。

「サイタマさーん! ジェノスさーん!」
「ん? ……おー、お前か!」
「ご無沙汰してます」
「ご無沙汰ってほどじゃねーだろ。船で会ったのつい一昨日じゃねーか。……えーっと?」
「トーラスですよ」

名前をド忘れされていたことに嫌な顔ひとつせず、トーラスはにこにこと微笑みを崩さずに名乗った。相変わらず登山家みたいに着膨れしている。見ているだけで汗をかきそうだった。

そんな彼が、分厚いスキーグローブを嵌めた手をしっかり繋いでいるのは──

「なにコイツ。兄ちゃんの名前、覚えてないの?」

不機嫌そうに口を尖らせている、小学校中学年くらいの子供だった。

トーラスと同じ、色素の薄い蜂蜜色の髪をしている。天然パーマもお揃いだった。透き通ったアイスブルーの瞳までそっくりで、異なっているのは猫のように吊り上がったやや攻撃的な両目くらいものだった。

「こら、ユーク。失礼だろ。口の利き方に気をつけなさい」
「だってさ、兄ちゃん。コイツの方が失礼だよ」
「……兄ちゃん?」

きょとんとしているサイタマに、ああ、とトーラスは思い至って、

「この子はユークリッドといいます。僕のきょうだいで」
「へえ、本当そっくりだな。よろしくなー」
「……よろしく」

むすっとしながらもサイタマを無視しなかったのは、兄の指摘があったからだろう。

「なんで一緒なの? 本部に用?」
「いやあ、昨日の実況検分すっぽかした件で呼び出されまして。お叱りを受けてきたんですよ」
「あー、そういえばいなかったな、お前。なにしてたの? 寝坊?」
「ちょっと人と会ってまして。サイタマさんたちはこちらでなにを?」
「俺はコイツの付き添いで。ついでに知り合いでも冷やかしに行こうかなって」

サイタマがジェノスを指差した。トーラスが会釈をした横で、ユークリッドが唐突に口を開いた。

「お前──S級だったよな」
「……ああ、そうだが」

不躾な物言いに顔を顰めつつ、一応ジェノスは答えてやった。するとユークリッドは一歩ずいっと前に出て、

「いくらだ?」
「は?」
「いくらでオレの下につく?」

と──小さい体に不似合いな台詞を吐いてのけた。
その直後、ごつんっ、とトーラスの拳骨が落ちた。

「いっっってえ!」
「初対面の人になに言ってるんだ、お前は。いい加減にしなさい」
「でも──」
「でもじゃない。謝りなさい」
「……ごめんなさい」

それっきりユークリッドは頭を押さえて引っ込んでしまった。サイタマは一体どうしたらいいのかとおたおたしていたが、トーラスは平然としている。

「お騒がせしました。ちょっと難しい子で」
「た、大変そうだな……?」
「いいえ、大事な家族ですからね。……引き留めてしまって申し訳ありませんでした。僕たちはこれで」
「じゃあな。気ィつけて帰れよ」
「ありがとうございます。それでは。また今度、ゆっくりお話しましょう」
「おー。待ってる」

ユークリッドの手を引いて、トーラスは安全靴仕様のスノーブーツの底をぽてぽて鳴らしながら去っていった。仲がよさそうで、なんとも微笑ましい光景だった。ほんのちょっとサイタマは癒された心地だったが、ジェノスは変わらず仏頂面なので、なにを考えているのかわからない。

(まだヒズミいんのかな。……できるなら、ちょっと話したいんだけど)

残念ながらこのときヒズミはZ市のゴーストタウンへ帰っていて、対面は叶わなかったのだけれど──この擦れ違いがどんな結末を齎すのか、それが明らかになるのは遠くない未来のことである。