eXtra Youthquake Zone | ナノ





……郊外の倉庫で懸命の実況検分が行われていた、その頃。

協会本部の談話室で、ヒズミはなにをするでもなくぼけっと蛍光灯の白い光を眺めていた。他に利用者がいないのをいいことにだらけきっている。かつて同じ空間でジェノスとハイジが難解な雑談に花を咲かせていた過去など彼女は知る由もないが、だからといってどうということもない──この危機的状況が好転する要因にはなり得ない。ヒズミは自動販売機で購入したレモンティーをちびちびと啜りながら、それでも一向に癒えない喉の渇きに苛まれている。

現在、ベルティーユが別室でヒズミの検査結果について幹部に話している。

彼女の体に急激な変化が起きていて、砂の城が細波に削られるように衰弱しつつあるという事実を──もはや長くは生きられないであろうという真実を、包み隠さず説明している。

(……なんで、こうなっちゃうかなあ)

ベルティーユいわく“特訓”のために発電能力を酷使したせいで箍が外れて抑制が利かなくなり、体内構造に異変が生じたのだろう、とのことだった。もとより不慮の事故によってヒトならざるイキモノへと進化を遂げ、ひどく不安定だった肉体である。だからこそ崩れるときは一気で──壊れるときは、一息なのだ。

おとなしく監獄に入って、閉鎖された闇の中でひっそり息を潜めていれば、こんな事態にはならずに済んだのかも知れない。そうすれば誰にも迷惑をかけなかっただろう。誰の手も煩わせなかっただろう。それが最良だったのだろうか。最善だったのだろうか。いや、そもそも──あのとき。

地下に堕ちて、名も知らぬ人々の屍に睨まれながら、それでいて卑しくも。
なんの意味もない、なんの意義もないくせに。

生き延びてしまったこと自体が──間違いだったのだろうか。

ずっと、そんな懊悩に囚われている。
眠る度に孤独な悪夢を見る。

そんな自分に、他人から愛される価値なんてない。
誰より気高く生きている彼に──想われるなんて。

(私は到底そんな大層な人間じゃなかったんだ、やっぱり)

いろいろな苦難に対して、思っていたより頑張れたから、勘違いしてしまったのだ。
心が欠落していても、言葉を信じきれなくても、ただ一緒にいるだけなら許されるのかも──なんて。
彼の将来も鑑みずに甘い考えでいたから、神様から罰が下った。

それだけの話で。
それだけの話だ。

(だけど──清算は、もう済んだ)

後片付けは完了した。
始末はついた。



あとは、これからを生きていく彼の自由だ。



「……失礼する」

割り入ってきた低い声に、思考を中断された。入口の方を見やると、厳めしい顔つきでヴァルゴが立っていた。背筋を伸ばして、ヒズミは丁寧に頭を下げた。

「お疲れ様です。教授とのお話は」
「終わった。聞くべきことは、すべて聞いた」
「そうですか」

曖昧に頷いたヒズミにつかつかと歩み寄って、ヴァルゴは同じテーブルに着いた。向かい合って座り、双方しばらく押し黙っていたが──ヴァルゴの沈痛そうな溜め息が、会話の口火を切った。

「……体調は」
「今はそこそこですね。ちと頭が痛いだけで」
「話はできるのか」
「とくに問題ありません。会議室へ向かいますか?」

腰を浮かしかけたヒズミを、

「いや、ここでいい」

ヴァルゴは軽く手で制した。

「ここでいい。少し……語らおう。ただの雑談だ」
「雑談……ですか。はあ……」
「不服か?」
「とんでもない。そんなことはないですけど……その、偉いひとたちが黙っていないのでは」
「他の幹部たちは、君が瀕死の状態にあると聞いて興味を失ったようだ。教授の説明会が終了した途端に憑き物が落ちたように帰っていった。不安要素がひとつ減ったと、嬉々としていた」
「……………………」
「……言い方が悪かったな。謝ろう」
「あ、いえ。そんなことは」
「本当に大したものだ、君は……」

ヴァルゴはどこか呆れたふうに苦笑した。初めて彼の表情が緩んでいるのを目の当たりにして──なぜかいたく賞賛されているらしいのも加わって、ヒズミはなんとなく戸惑ってしまう。

「悪く思わないでほしい。彼らは恐れていたのだ。怖かったのだよ、君のことが」
「ええ。それは仕方ないことです」
「私もそうだ。君のことを恐れていた。我が協会の誇るヒーローたちでさえ太刀打ちできないであろう君の異能が怖かった。臆病者と罵られても反論できないくらいにな……だから牢獄に閉じ込めて、隔絶しようとした」
「わかります。臭いものには蓋ですよ」
「……君は怒らないのか。不当な扱いを受けたことに」
「不当だとは思ってませんからね。あなたがたは市民を守らなければならない。そのために“怪人”を淘汰するのは当然です。あなたがたは仕事を全うしようとしただけです。そうでしょう?」

ヒズミは飄々とおどけて片眉を上げてみせる。

「私がくたばったあとのことは、ヒーロー協会に一任します。そのように教授にも話してあります。自分の都合で散々ひっかき回しておいて、世間を混乱に陥れてしまった尻拭いを人様に押しつけてしまうことについては……申し訳ないと思ってます」
「女性が尻拭いなんて汚い言葉を使うべきではないな」
「ああ、すみません。気をつけます」
「娘に真似をされると困る」
「娘さんがいらっしゃるので?」

ヴァルゴは首肯して、スーツの懐からスマートフォンの端末を取り出した。画面がヒズミに見えるよう向きを反転させてテーブルに置く。壁紙に設定されていたのは、私立幼稚園の制服を着た幼い女の子だった。柔らかそうな栗色の髪を耳の上でツインテールに結んで、まっすぐ太陽を見つめて咲く向日葵のような笑顔を弾けさせている。

「あらまあ、かわいらしい。お父様似ですね。目元がそっくりです」
「よく言われる。……君のファンなんだ」
「……そりゃまた、どういう」
「海人族がJ市を襲撃してきたとき、巨大怪獣を倒した君の映像がニュースで流れただろう。あれを見ていたんだ。君のことをヒーローだと思っている」
「そうなんですか。ちゃんと勘違い正してあげてくださいね」
「……果たして勘違いだろうか?」
「えっ?」

ヴァルゴの問いかけの意図を掴みかねて、ヒズミは青い目を丸くした。

「ヒーローとは、強きを挫き弱きを救うために必死で戦う──本来そういう存在だ。名簿に登録しているとかいないとか、知名度があるかないかとか、そんなことは関係ない。守るべきものを守るために命を懸けられるか、否か──それこそが本分だ」
「……………………」
「あの日、名も知らぬ多くの誰かのために決死の覚悟で脅威に立ち向かった君は、ヒーローじゃないのか?」

真剣な眼差しに射抜かれて、言葉に詰まった。うまくはぐらかすためにジョークのひとつでも飛ばそうと思うのに、喉が震えて声にならない。

「……私は」

引きつって歪んだ唇は、笑みの形を作れてすらいなかった。

「ヒーローには、到底なれませんよ」

膝に載せて握り締めていた拳に、知らず知らず力が籠もる。

「だって──逃げたんです。私は」
「? 逃げた……?」
「戦ったってどうしようもない、勝ち目がないってわかった瞬間に折れたんです。もう先がないって思い知らされて、私は、自分のくだらないエゴで、……また彼をひとりぼっちにしてしまう悪者になりたくなくて、逃げたんです」
「なんの話をしている?」
「しょーもない泥沼の色恋沙汰です」
「それは──」

ヴァルゴの脳裏に過ぎったのは、地下の会議室で彼女が虐げられていたのに我を忘れて激昂した、若いサイボーグだった──名前を出して確認せずとも、その予測が正鵠を射ているであろうことは容易に想像がついた。

「でも、まあ、それも終わりました。後腐れのないように、全部キレイな更地にしてあります。あとは彼の好きなようにしてくれればいいんです──大してかわいくもない、こんな性根の曲がりきった女より、もっといいひと見つけて一緒になって……幸せになってくれればいいと、思いますよ」
「……深くは聞かない方がいいか?」
「できるなら、そっとしておいてあげてください」
「承知した。善処しよう」
「これからも彼をよろしくお願いします。彼は立派なヒーローですから」

彼は──ときたか。
己自身はそうではないと、言外に薄い壁を張るように。
ヴァルゴは嘆息しつつ、スマートフォンをスーツの内ポケットに戻した。

「君が『セント・クラシカル・ネプチューン』号から降りてきたときのことを、覚えているか?」
「ものすごい量の取材陣に囲まれましたね。めっちゃ写真も撮られましたし。いやあ、本当びっくりしました。ヒーロー協会の人が道を空けて誘導してくれなかったら押し潰されてましたよ」
「そして護送車に乗せられた。その車内には、私もいた」
「感動の再会でしたね」

ヒズミは空気を軽くしようとふざけたつもりだったのだが、ヴァルゴは彼女の冗談を否定しなかった。

「ああ、そうだな。なにせ──第一声が「頭どついて大変すみませんでした」だったからな」
「……そうでしたっけ」
「続いて「お怪我ありませんでしたか」と君は言った。私と一緒に昏倒させたヒーローについても、君は気にかけていたな。後遺症はなかったか、戦線には復帰できたのか──正直、あれで私は……これはオフレコだから言えることだが、あれで私は毒気を抜かれてしまったように思う。君の取り調べも……自分で投獄の手筈を整えておきながら、本当にこれでいいのかと、疑問が離れなかった。随分と丸くなってしまったものだ……甘い。甘すぎる。……歳かな」
「……………………」
「若い芽が潰えていくのは、どうにも耐え難いな……身勝手なことを喋っている自覚はある。すまない」

組んだ手の甲に額を押し当てて項垂れたヴァルゴに、ヒズミは「そう仰っていただけるだけで光栄ですよ」と穏やかに微笑んだ。

「君の法規的拘留は、今これをもって解除させてもらう。行動にも一切の制限を付随しない。すべての責任は私が取ろう。もう君は自由だ」
「ありがとうございます。ご寛大な処置、感謝します」
「礼はいらない。君の指名手配は既に取り下げられているが、名を上げるために君の生命を狙う不届き者がいないとは限らない。気をつけてくれ。もし必要ならば、ボディーガードを手配するが」
「お気遣い痛み入ります。大丈夫でしょう、どうせ家で録り溜めしたアニメ観るくらいしかやることないですから。あははは」

あっけらかんとヒズミは笑っているが、ヴァルゴの表情が晴れることはなかった。しかしどうにか朗らかなトークに切り替えようとしたらしく、ヒズミの台詞の端を拾って会話を繋いだ。

「うちの娘も、最近アニメを見るようになった。女の子が魔法で戦うアニメだ。いつの時代も、ああいうのは一定の人気があるんだな。深夜に放送しているんだが、幼稚園で流行っているというので妻が録画している。なんという題名だったか……」
「今期の魔法少女モノっていうと……『魔法JKマジカル☆ローザ』とかですか?」
「ああ、そういえばそんな感じだった。こないだ杖を買わされた。あんなもの所詮は玩具なのに何千円もするのかと馬鹿にしていたのだが、結構クオリティが高いんだな」
「細かいところまで凝ってるのが多いですよね。どっちかっていうとローザは大きいお友達向けのアニメですし、ファンの目が肥えてますから。どうですか、魔法ステッキ風の新兵器の開発とか」
「……その手のマニアには受けそうだな。企画書をまとめておこう」
「楽しみにしてます。生きてるうちに、リアル魔法少女を拝んでみたいもんです」

しみじみと言って、ヒズミは飲み干して空になったペットボトルをゴミ箱に放った。数メートルほどの距離が開いていたが、難なく華麗なシュートが決まった。

「しかし、君も魔法少女みたいなものだろう」
「少女なんて歳じゃないですよ、もう」
「いや、それはそうかも知れないが……その……ひとつ報告が入っていてな」
「? 報告?」
「そのマジカルなんとかというアニメのキャラクターに、君と外見が似ているのがいるようでな。ニュース番組からキャプチャした君の写真と、そのキャラクターとのコラージュ画像が出回っているそうだ」
「…………おおう」

思わず変な呻き声が零れる程度には、寝耳に水だった。

「諜報課がインターネットの匿名掲示板でたまたまスレッドを見つけた。えらく盛り上がっていたそうで、今後なんらかの事件に発展する可能性がないとはいえないので注意して監視している。……見るか?」
「遠慮しておきます。さすがに恥ずかしすぎますよ」
「だろうな……」
「物好きな人がいるもんですねえ」
「ああ。理解に苦しむ」
「いろいろありますね、人生」
「……ああ。そうだな」

十人十色で──千差万別で。
そうして皆が、自分の世界を生きている。

広い舞台のどこかで、誰かが音もなく転がり落ちようと。
きっとなにも変わることはない。
同じ速度で、同じ彩度で、同じ角度で、同じ光度で。

明日も世界は回っていくのだろう。