eXtra Youthquake Zone | ナノ





ニーナの指示通りに飾り気のない廊下を抜けて階段を上がりながら、サイタマとシキミの間には息苦しい沈黙が漂っていた。澱のように吹き溜まった妙な気まずさは、疑う余地もなく様子がおかしいジェノスのせいである。

「ジェノスさん、どうしちゃったんでしょうか」

静寂を破ったのはシキミだった。悲しげに落ち窪んだ声に、サイタマはいたたまれなさそうに鼻の頭を掻きながら答える。

「うーん……なんかあったのかな」
「喧嘩でもしたんでしょうか」
「そんな単純なアレだとは思えねーんだけどな」
「……そうですよね」

ますます意気消沈してしまって、シキミの足取りは自然と重くなる。

「昨日ジェノスが倒れたときに介抱? っていうか修理? したのは教授なんだもんな。詳しく聞けりゃあ手っ取り早いんだけどな……」

さっきシキミが携帯からコールしてみたのだが、内線にもベルティーユ個人の端末にも繋がらなかった。取り込み中のようだ。当然ながらヒズミとの連絡手段などないし、渦中の彼女が今どうしているのか把握のしようがない。いっそ清々しいほど八方塞がりなのだった。

そうこうしているうちに三階まで辿り着いた。等間隔に並んだドアに番号が割り振られていて、ビジネス・ホテルみたいな造りになっている。ご丁寧にチェーンロックまでついていた。要人が宿泊することもあるだろうということで、防犯にはそれなりに配慮しているようだ。

「とりあえず今日は寝ようぜ。明日のことは、明日の俺らに任せよう」
「そうですね……あたしもちょっと、くたびれちゃいました」

適当な扉のノブを掴んで、振り返って「おやすみなさい」宣言をしようとしたシキミだったが──ぴったり背後にくっついて立っているサイタマと目が合って、その動きが停止した。

「……あ、あの、先生?」
「え? なに? 早く入れよ」
「あっ……あ、えっと、……同じ部屋で寝るんですか?」

しどろもどろに発せられたシキミの言葉に、サイタマも己の失態を悟ったらしかった。はっ、と目の色を変える。

「わ、悪い、全然なんも考えてなかった」
「いえっ、あ……あたしは別に、先生がいいならいいんですけど」
「いいわけあるか馬鹿! 仮にもお前、男なんだぞ俺は」
「そっ、そそそうですよねごめんなさいっ!」

シキミが耳まで紅潮させるものだから、サイタマも必要以上におろおろしてしまう。

「お前なあ、アレだ、アレだぞ、もっと危機感を持てよ」
「はっ、はいっ!」
「男ってのはマジでなにしでかすかわかんねー生き物なんだからな、油断すんじゃねーぞ、わかったか」
「はいっ! 承知しましたっ! すみませんっ!」
「わかればよろしい。そんじゃーな、うん、おやすみ」
「はいっ! おやすみなさいっ、先生!」

勢いで妙ちくりんな説教を展開してしまった。シキミがぺこぺこと頭を下げまくりながら部屋に入り、申し訳なさそうにドアを閉めたところで、サイタマはその場に頭を抱えて座り込んだ。なんだか変なことを口走ってしまったような気がする。

(いや、嘘はついてねーんだけどさ……)

惚れた相手と同じ密室で寝泊まりするだなんて──過ちが起きないはずがない。
年上として、良識ある大人として、それはさすがにまずい。
第一この建物内にはニーナもジェノスもいるのだ。そんな状況で女子高生に手を出したとあっては、ヴァルハラ・カンパニーの連中より先に手錠かけられるのは目に見えている。

「……いかん、ダメだ、さっさと寝よう」

覇気なく呟いて、サイタマはふらふらと立ち上がった。いつか彼女が学び舎を卒業して、法律的にそういうアレが許される年齢に達したとして、そうなったらナニをどうしようと問題ないわけで、しかしその頃には自分は一体いくつになっているのであろうか、とにもかくにもいい歳になっているのは間違いないが、三十路手前のオッサンを花の盛りの若い女の子が相手してくれるんだろうか──そんな非生産的な物思いにつらつらと耽りながら隣の部屋に潜り込むやいなやベッドにダイブしたサイタマは、露ほども知らずにいる。

壁の向こうで、シキミもまた同じような思考のループに嵌まって悶々としていることを。
そうして二人は現実の濁流に翻弄されながら、眠れぬ夜を過ごすのだった。



席を立ってオフィスの裏手にある給湯室の方向へ姿を消したジェノスは、かくして数分で戻ってきた。その両手にはコーヒーカップをふたつ携えている。そのひとつをニーナの前に置くと、彼女の正面に固い尻を落ち着けた。予想だにしていなかった気遣いを受けて驚きに目を見開いていたニーナだったが、すぐに表情を綻ばせた。

「ありがとうございます」
「礼はいい。少し濃いめに淹れておいた」
「助かります。私は徹夜になりそうですからね」

机上に広げた書類を隅に避けて、ニーナはふくふくと湯気を立ち上らせるアメリカンを一口含んだ。

「俺に手伝えることがあれば、力を貸すが」
「お気持ちだけで充分です。ジェノス様もやることがおありなのではないのですか?」

そうでなければ「ここに残る」と言い出したりはしないだろう。ジェノスは仏頂面を崩さないままカップを傾けて、眉間の皺をやや深くした。

「これから話すことは、俺の憶測に過ぎないんだが」
「? なんでしょう」
「ヴァルハラ・カンパニーの中に裏切り者がいたんじゃないのか?」
「……!」

小さく肩を跳ねさせたニーナに構わず、ジェノスは続ける。

「そう考えると辻褄が合う。ヴァルハラ・カンパニーの画策した爆破テロ計画を逆手に取って、奴らを潰そうとした。トール・ツインズが動き出したタイミングもおかしい。あんなものを暴れさせたら、言い訳がつかなくなる。フリージャーナリストたちのヘリコプターが飛んでいたのは計算外としても、俺たちヒーローがトールを目撃してしまった時点で奴らの兵器開発──認可されていない軍事産業への介入は明るみに出てしまうんだ。仮に爆破テロのマッチポンプが成功したとして、奴らの目的が名誉挽回であり汚名返上であったとするなら、違法行為がバレてしまっては意味がないだろう。恐らくあれは乗客や船員が避難してから、証拠隠滅のために船を破壊する目的で積載していたんだ。邪魔なヒーローを撃滅するだけなら、正直ヴァルハラ・カンパニーの戦闘員だけで事足りただろう。実際に交戦したから断言してもいいが、奴らにもそれくらいの地力はあった」
「……………………」
「決定的なのはスコーピオの戦死だ。爆弾を設置した危険区域に、のこのこボスが近づいていく理由はなんだ? 有り得ないだろう。嵌められたんだ、スコーピオは──“仲間だと思っていた敵性因子”にな」
「……となると」

細い顎に手を当てて、ニーナは思案を巡らせる。

「スパイが潜り込んでいた……? いえ、それは違うでしょうね……爆破テロ計画が知らされたのは式典の数日前だったと、拘束している社員が口を揃えています。ひとりひとり個別に尋問を行いましたから、口裏を合わせることは不可能なはず……スコーピオと、彼に近しい上層部の人間が企てたプランを知ってから部外者が潜入するのは無理です。ヴァルハラ・カンパニー内部に裏切り者がいたのではない……」
「雇われたんだろう──あの“掃除屋”やヒズミと同じように」

人員不足を補うために、スコーピオが直々に声を掛け、作戦に組み込んだというフリーランスの荒事専門屋たち。拘留している者たちから名前が挙がったのは“トゥイーニィ”と“シンデレラ”──そして、もうひとり──

「──……“アドバイザー”」
「そいつは確保できているのか?」
「いいえ、逃走中です。……彼だけは、ヴァルハラ・カンパニー側にも記録が残っていないのです。顔写真はおろか本名も経歴も、すべてが謎に包まれています。一応ヴァルハラ・カンパニーの社員から証言を集めて警察機関の協力のもとモンタージュを作成していますが……正直、お手上げ状態です」
「そうか。……骨が折れそうだ」

折れる骨など備えていないジェノスが言うと滑稽だったが、そんなくだらないことに笑っている場合ではない。

「できればこの話は、明日ジェノス様から調査委員会に報告していただきたいのですが」
「ああ、わかっている。そのつもりだ」
「感謝します。……それにしても、ちょっと意外ですね」
「なんだ?」
「気分を害されたら申し訳ないのですが……ジェノス様はなんというか、積極的に公的組織へ迎合するタイプの方ではないと思っておりましたので」

ニーナの台詞に、ジェノスは嫌味っぽく目を眇めた。

「それはつまり俺が自信過剰でスタンドプレーに走りがちな扱いづらい人種だということか?」
「そうではなくて、その……個人主義といいますか……これまでの傾向から照らし合わせると、そういう性格でいらっしゃるのかと」
「否定はしない。俺はもともと、そういう奴だ」
「なにか──心境の変化でも?」

含みありげに問うニーナに、ゆるゆると頭を振るジェノス。まとわりつく不快感を払おうとしているかのようだった。

「……喋りすぎたな」
「疲れは人を饒舌にします。どうぞ遠慮なく、お休みください」
「別に疲れているわけじゃない。サイボーグに肉体的疲労なんて関係ない。俺は──」

俯いたまま、掠れた声で呟いたジェノスの台詞を、ニーナは聞き取れなかった。端から聞かせるつもりなどなかったのかも知れない。彼にしては珍しくストレートに心情を表した、弱音と称して差し支えない本音を──誰にも聞かせるつもりなどなかったのかも知れない。

「俺は怒っているんだ」