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その日サイタマが少し離れたスーパーまで足を伸ばしてみたのには、さして深い理由などない。たまたま昼の情報系バラエティ番組で取り上げられていたのを見ただけだ。

なんでも巷で人気のスイーツ・ショップが期間限定で出張店舗を出しているらしい。普段ならば気にも留めずに流してしまうところだったが、隣で洗濯物を畳んでいたシキミが手を止めてうっとり画面に見入っていたものだから、ついつい体が動いてしまった。シキミとジェノスがそれぞれの用事で出掛けているうちに家を出て、乗り慣れないバスを利用し、料金が先払いなのを知らず運転手と乗客に白い目で見られながらも、なんとかサイタマは目的地に到着することができた。

二階のない建物だった。その代わりに、随分と幅が広い。駐車場を囲い込むように端がやや婉曲した形をしている。軽食を摂れるファストフードのチェーン店や子供向けのゲームコーナー、とにかく安いのが売りの衣類量販店、はたまた理容室まで軒を連ねていて、ちょっとしたホームセンターみたいな趣きだった。訪れたのは初めてだったが、なかなかに品揃えが充実しているようだ。入用の際には重宝しそうだとサイタマは思った。

食料品売場の脇を通って、お目当てのコーナーを発見した。物産展などを定期的に開催しているスペースらしい。隅に立てられた看板には今後のイベントのスケジュールが張り出されていて、初老の夫婦がそれを見ながらなにやら楽しげに話している。微笑ましい光景だった。

それにしても、思っていたより人が多かった。これがテレビ効果か──と内心サイタマはげんなりしつつ、行列の最後尾に立った。並んでいたのは妙齢の女性がほとんどで、アウェー感が半端なかった。それほど人目を気にする質ではないが、あからさまに奇異の視線を向けられればサイタマだっていたたまれない。なんだハゲた男はケーキ買っちゃいかん法律でもあんのか、と叫んでやりたい気持ちをごまかすようにショーケースへ意識を移した。甘いシロップでコーティングされた色とりどりのフルーツは、まるで台座に載せられた宝石のようであった。つやつやと光沢を湛えながら、瑞々しく輝いている。

(……アイツ、なにが好きなんだろ)

シキミの食生活を振り返ってみる限り好き嫌いはなさそうだし、そもそも彼女なら「先生が買ってきてくださったものならなんでも最高においしいに決まってます!」とか言いそうだ。サイタマも男なので──おだてられれば木に登るタイプの男なので悪い気はしないが、それでも惚れた相手には見栄を張りたいのが雄の悲しい性である。俺は女心わかってますよ、他のヤツとは違うんですよ的なアピールをしたい生き物なのである。

若くて綺麗な恋人が、余所見なんてしないように。
気を惹きたくてやまないのが──本音である。

そんな小狡い虚勢を胸に各種スイーツの群れを眺めていたサイタマだったが、その表情が徐々に曇っていく。列が短くなっていくにつれて、翳りを増していく──みるみるうちにスイーツが買い占められ、怒涛の勢いで減っていくのに反比例して。

十数分後、ようやくレジカウンターの前に到着したサイタマに、店員の女性は深々と頭を下げた。

「申し訳ございません、ご好評につきまして、本日分はすべて終了しました……」

空っぽになったショーケースを前に、もはや呆然とするほかなかった。さっきまでサイタマの後ろにも数人ほど並んでいたのだが、途中で完売を察して既にどこかへ去っていったあとだった。売り場にただひとりぽつんと取り残され、惨めなことこの上ない。目も当てられなかった。

「すみません、すみません、申し訳ございません」
「あ、いや……しょうがねーよな……」
「ごめんなさい、すみません、本当に申し訳ございません」

どうやらスキンヘッドの男性という存在に純粋な怯えを感じているらしい店員に引き攣った愛想笑いを返して、気がつくとサイタマはふらふらと休憩用のスペースに辿り着いていた──木で組まれたベンチに腰かけ、テーブルに肘をついて某ゲンドウのポーズで項垂れながら、近くの自動販売機で買った缶コーヒーを開けもせずにどんよりと濁ったオーラを振り撒き、己の出足の遅さをひたすら呪っていた。

(ダメだ……完全にナメてた……もっと早く来るべきだった……)

今更そんなことを言っても後の祭りではあったが、悔やまずにはいられない。せっかく気の利いたサプライズを提供するチャンスだったのに、棒に振ってしまった。痛恨の極みだった。

「はあ……」

重苦しい溜め息をひとつ、開放感を演出するためにガラス張りの造りになっている壁から外を窺った。既に陽が傾いてきている。そろそろ帰らなければ夕飯に間に合わない。携帯を持っていないので、シキミやジェノスと連絡のとりようがないのだ。なにも告げずに出てきたので、遅くなると心配させてしまう。

(……アイツの喜ぶ顔、見たかったな……)

カッコつけたい願望だけでなく、ほんのつい先日、過激派のテロリスト集団による銀行強盗事件の解決に一役も二役も買ったシキミを労いたい思いも少なからずあったのだけれど──失敗に終わってしまった。そろそろ“先生”らしく器が大きいところのひとつくらい見せてやろうと意気込んでいただけに、なんとも情けない。

「まあいいや。適当に買い出し済ませて帰ろう……」

気を取り直そうと誰にともなく呟いて、未開封の缶コーヒーをポケットに捻じ込み、サイタマはよいしょと腰を上げた。隕石を打ち砕き、大海の覇者を退け、宇宙からの侵略者をも倒した最強のヒーローの背中は、このとき、誰より小さく頼りなく見えた。



「あ! お帰りなさい、先生っ!」
「おー、ただいま」

いつものように明るい笑顔で玄関まで出迎えに来てくれたシキミに、幾分かダメージが和らいだ。台所から漂ってくる食欲をそそる匂いにも、なんだか励まされたような気がした。ジェノスはまだ帰っていないらしい。きっと教授のところで、ヒズミの捜索任務に躍起になっているのだろう。

「お出掛けされてたんですね」
「ちょっとな」
「お疲れ様でした。ご飯もうちょっと待ってくださいね。……お買い物してきたんですか?」

サイタマが提げた買い物袋を見て、シキミが小首を傾いだ。

「たまには行ったことないスーパーも覗いてみようかと思ってな。ひょっとしたらお買い得なもんがあるかも知れねーし」
「なるほど! どんな些細なことであっても情報収集を怠らない……というわけですね! さすが先生っ! 勉強になりますっ!」

雑な言い訳を信用しきって、感心しきっているふうのシキミに罪悪感が募る。冷汗が出そうだった。胸に痛い会話の流れを変えるべく、サイタマは袋の中からプリンを掴んで、シキミに差し出した。コンビニでも頻繁に見かける、大して珍しくもない定番商品である。それを受け取って、シキミはきょとんと目を丸くした。

「どうしたんですか? これ」
「いや、お前に……食べるかなと思って」
「いいんですか? わー、嬉しいです」

心の底から幸せそうに顔を綻ばせて、シキミは台所に走って戻っていった。冷蔵庫のドアを開ける音がして、閉める音がした。その間に長旅の疲れを労わるように履き古したスニーカーを脱ぎつつ、サイタマは姿の見えなくなった彼女に届くよう苦笑混じりの声を張る。

「そう喜ぶほどいいもんじゃねーだろ」
「そんなことありません!」
「本当はもっといいヤツ買ってこようと思ったんだけどな……」
「とんでもないですっ! 嬉しいです、あたし」
「でもどうせなら、もっと高くてキレーでうまいケーキとかのがよかっただろ」

他ならぬ自身の発言にハートの傷を抉られ、再び意気消沈の最中へ叩き落されかけたサイタマへ──壁の縁からひょこっと頭を出して、シキミは満面の笑みを送る。

心臓のド真ん中をバズーカで撃ち抜かれたような心地がした。

「見た目とか、値段とか、そんなの関係ないですよ」

ああ──そうだった。
見栄とか虚勢とか自己顕示とかじゃなかった。
意地とか自慢とか自己陶酔とかじゃなかった。

ただ彼女の、この屈託のない笑顔が見たかったのだった。

「先生が買ってきてくださったものならなんでも最高においしいに決まってます!」








(そっと揺らさぬように持った)
(お前のためのホールケーキ)
(雲がやけに早いので 雨かも知れない)

HEY ANSWER CALLING
RING A BELL RING A BELL

(夕暮れを嗅ぎながら 今 向かってるんだよ)



ホールケーキ - FoZZtone



咲様リクエスト