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──猛暑日である。

裏路地に停めた軽トラックの助手席から降りたシエテを襲う、容赦のない日差し。じりじりと紫外線が肌を焼き、アスファルトの地平には陽炎が揺らめいて、止め処なく溢れる汗が否が応にも気力を削いでくる。ひっきりなしに額を拭うシエテの白い軍手は、既にかなりの湿り気を帯びていた。

「……あっつい……」

ただでさえ茹だるような天候なのに、分厚い作業着を着せられているからもうたまったものじゃない。強度と耐久性については申し分ないが、いくらか通気性に問題がある気がしてならない。仕事なので文句は言えないが、もう少し考えてくれてもいいのではないかと思う。

「このままだと溶けて死にます」
「そうだな、今日の気温は格段にひでーな」

シエテの不満たっぷりのボヤキに、続いて車から出てきた上司も賛同した。道中ずっとハンドルを握っていた彼は顎に無精髭を蓄え、がっしりと逞しい体型をした、熊のような中年男性である。数年前に結婚した奥さんとのあいだに、つい先日、待望の女の子が生まれたそうだ。まだ母子ともども退院できていないというのに、こうして炎天下のもとキリキリ働いている。中小企業の技術職に休みはないのだ。

「地球温暖化ってヤツの影響ですかね」
「かもな。環境保護だからエアコン使うなとかなんとか、うるさくてしょうがねえや」
「難しいことはわかりませんけど、なんでエアコンがダメなんですかね。地球が暑くなってるんなら、エアコンで冷やせばいいじゃないですか」
「お前それ、もちろんジョークで言ってんだよな? 本気じゃないよな?」

シエテが勤めているのは、古くから続く老舗の鐵工所である。街外れに作業場と事務所を構え、主に自動車メーカーや食品工場から発注される業務用ロボットのパーツ生産を請けている。設備の規模はそこそこだが、金では買えない長年の経験を備えた国宝級のプロフェッショナルと、世界各地から注目が集まるほどにレヴェルの高いテクノロジーを有しているので、この不景気の時代でも幸いなことに今のところ経営は順調なのだった。

そんな町工場に籍を置く彼らが遠路はるばる──というほどでもないけれど、車道を飛ばしてやってきたのはZ市の中心部である。銀行や保険会社のビルディングが立ち並ぶオフィス街の一角、駐車した軽トラックの隣で遠慮がちに聳える、くすみの目立つ白い壁が年季を感じさせる五階建ての建造物が彼らの“得意先”だった。高名な自動車メーカーでも有名な食品工場でもないけれど、それでも立派な取引相手には変わりない。

「俺が積荷を下ろしておくから、お前は先に挨拶してこい」
「わかりました」
「ついでに伝票と発注書も持ってけ。今回は納品数が多いからな。ちゃんと先方に確認してもらうんだぞ」
「了解です」

書類の束を小脇に抱え、シエテは路地を抜けて正面入口に回った。ガラスの扉越しに見えるのは、いかにも受付ですといった趣きの空間だった。来客を案内するためと思しきフロントのカウンターや、客人用のソファとローテーブルなどが置かれているが、誰もいない。蛻の殻だった。奥に続く通路には格子状のシャッターが下りている。留守だろうか、とシエテは駄目元でドアを押してみた。開いていた。

「ごめんくださーい! ロビンソン工業の者ですけれどもー!」

ドアの隙間から上半身だけ突っ込んでシエテが張り上げた大声に、どこからともなく物音が返ってきた。シャッターが先に開いて、脇の小部屋から若い男が姿を現した。見知った顔だったので、シエテは帽子を脱いで頭を下げた。

「お忙しいところすみません! ご無沙汰しております! ご注文の品、お届けに参りました!」
「ああ。ご苦労だな」

満面の笑みで礼をするシエテに短く返事をしただけの彼は、一目見ただけで普通でないとわかる出で立ちをしている。精悍な切れ長の双眸の、金色の光彩を囲む眼球は闇のように黒い。照明を鈍く反射する合金製の腕は鎧でも籠手でもなく、れっきとした彼の体躯の一部である。彼のボディを構成しているのは、ほとんどが機械なのだ。骨肉と臓腑を取っ払って換装した、戦闘のみに特化したパーツの数々によって風よりも疾く駆動し、正義のサイボーグとして生きる彼の名前はジェノスという。

「これからこちらに商品を運びますので、こちらの伝票の、発注内容の確認とサインをお願いしたいのですが……本日クセーノ博士はいらっしゃいますか?」
「今朝になって外せない急用が入ってしまったので出掛けている」
「そうですか。お時間を改めましょうか?」
「いや、博士から話は聞いている。俺が署名するから、このまま運んでくれ」
「かしこまりました。あっ、こちら伝票です」

シエテから差し出された伝票を受け取るときさえ、ジェノスはにこりともしない。愛想の欠片もない仏頂面だ。最初はこの鉄面皮っぷりが怖くて仕方なかったのだが、何度か仕事で対面を重ねるうちに多少の世間話もできるようになり、どうやら彼は無表情が常なだけで怒っているわけではないということを知って、シエテの苦手意識は徐々に薄れていった。

小走りでトラックに戻り、商品の段ボール箱を荷台から運搬用の台車へ移すのに従事していた上司に、シエテは依頼人であるクセーノ博士が不在である旨を伝えた。代わりにジェノスが契約書にサインしてくれるという件の了承も取って、さて肉体労働だと意気込んで腕まくりをした彼女の後ろから、ジェノスが顔を出した。こちらにすたすたと歩いてくる。発注書にミスでもあったのだろうかと肝を冷やしかけたシエテだったが、彼の口から飛び出してきたのは予想外の言葉だった。

「俺も手伝おう」
「ええ? いやいや、気を遣わないでいいよ。お客さんにそんなことさせるわけにはいかないから」
「いつも世話になっているからな」

上司を言い包める健気な台詞も相変わらず無愛想で固い口調だったので、本音なのか建前なのかわかりかねるところではあったが、正直ありがたい申し出だったので受けておくことにした。サイボーグであるジェノスの膂力が生身の人間とは比較するべくもなく強靱なのは火を見るよりも明らかで、百キロ近い重量のあるマシンさえ軽々と持ち上げて、片手で担いでさっさと建物の中へ運び込んでいってしまう。そんな所業を見せつけられて、一般庶民ふたりは唖然とするしかなかった。

そんなこんなであっという間に納入作業は完了してしまった。エントランス・スペースの向こう、さっきまでシャッターに閉ざされていた通路を進んだ先にあるのは、軍事基地のように殺伐としたラボラトリーだった。窓はひとつもない。天井に通気口があるだけだ。巨大なモニターが接続されたスーパーコンピュータや、多くの関節が複雑な動きを可能にする精密なアームロボットが所狭しと設置されている。シエテが毎日通っている作業場とはまた違ったムードを持つ、どこか鋭利で剣呑とした空気の漂う密室だった。緊急のメンテナンスや諸々の研究開発に使用している、クセーノ博士が所有するサブの研究所のひとつだそうだ。ここで稼働している各種マシンの摩耗した部品の交換や新規のパーツ製作を受注しているのが、他でもないシエテの所属するロビンソン工業なのだった。

とても「お茶でも飲んで、さあ一服」なんて落ち着けやしない部屋で、上司とシエテとジェノスは商品と書類の最終チェックを滞りなく済ませた。

「そんじゃ、これにて今回の依頼は完了ってことで。ジェノスさんにも大変お手数をおかけしまして。運ぶのまで手伝ってもらっちゃって、申し訳ありませんでした」
「いや、俺が勝手にやったことだ。気にするな」
「博士によろしく言っておいてください」
「承知した」
「今後とも是非ご贔屓にお願いします。よぉし、帰るぞー、シエテ」
「イエース、ボス」

ラボラトリーの扉を潜って廊下に出たふたりに、なぜかジェノスもくっついてきた。無言でシエテの横に並ぶ。受け渡しは終わったので、もう自分たちに用はないはずなのだけれど、どうして彼はついてくるんだろう──と、きょとんとしているシエテの視線を感じたのか、ジェノスはバツが悪そうに顔を逸らして、鼻の頭を無機質な指の先で手持ち無沙汰そうに掻いた。

「……その、なんだ」
「? なんでしょうか」
「その……最近どうなんだ」
「はい?」

あまりにも漠然とした問いかけに、シエテは間の抜けた疑問形を返してしまった。

「ど、どう……とは」
「忙しいのか?」
「え? あ、そうですね、お陰さまで……」
「そうか」

会話はそこで途切れてしまった。一体なんなのだろう、と首を傾いでいるシエテとは対照的に、上司の方はなにかを察したらしかった。急にニヤニヤ気持ちの悪い笑いを浮かべだして、豊かな髭をしきりに揉んでいる。

「そうだなあ、忙しいですなあ。なにせコイツ、本当に頭が悪くて使えないもんですから」
「ちょっ! なに言ってるんですか、ひどいですよ!」
「だってお前よぉ、さっき温暖化の話したとき“地球が暑くなってるならエアコンで冷やせばいいのに”とか言ってただろ。アホな小学生かよ」
「ふはっ……」

ジェノスが妙な息を漏らした。たまらず吹き出した、といったふうな、完全に天然の失笑だった。彼の口角が上を向いているところを、シエテは初めて見た。謎の感動が彼女の中に湧き上がっていた。

「ジェノスさんが笑った……」
「笑ってない」
「いやいや笑ったじゃないですか。なんで嘘つくんですか」
「…………………………」
「ジェノスさんイケメンなんですから、もっと笑った方がいいですよ。せっかくカッコいいんですから」

なにげなくシエテが発した素直な感想に、一瞬ジェノスがぴしりと硬直した。しまった、調子に乗って気分を害するようなことを言ってしまったかと慌てたシエテだったが、そうではないのだった。ジェノスはひとつ咳払いをして、いつも通りの不機嫌そうな顔で、ぼそりと呟いた。

「……努力する」
「え、えぁ、楽しみにしてます」

動揺のあまり声を上擦らせるシエテに、上司は耐えきれず爆笑している。なぜ笑われているのかもわからず、シエテはおどおどするばかりだったが、険悪な感じというわけではなさそうなので、耳まで赤らめながらも黙っていた。

結局ジェノスはトラックを停めていたビルディングの裏まで見送りに来た。車に乗り込むシエテの背中を見つめる彼の眼差しがどことなく名残惜しそうだったのに気づいていたのは、運転席に座る上司だけだった。

「えーっと、じゃあ、お疲れ様でした」
「ああ。ご苦労だったな」
「またお電話お待ちしてますね」
「電話? いいのか?」
「え、あっ、あのっ、ご依頼の……」
「! あ、ああ……仕事のか……そうだな」

よくわからないリアクションだった。なにをそうも焦っているのだろう。上司がひたすら薄ら笑っているのも気になる。シエテは全身むず痒いような、いたたまれない気分でいっぱいだった。

「では、我々はこれで。失礼します」
「……ああ」
「次の配達にも、コイツ連れてきますんで」

今なにか無責任な約束を取りつけられたような気がしたが、ジェノスが満更でもなさそうだったのでシエテは反論しなかった。適当に頷いておいた。まあ正直なところ、彼と会えるのは嬉しい。むさくるしい男ばかりの職場に身を置いていると、彼のように爽やかな正統派の若いハンサムと話せる機会は貴重なのだ。日常の癒しは、なるべく多い方がいい。

「な、なんか、そういうことみたいです」
「ああ」
「今後もよろしくお願いします」
「ああ」

ジェノスのぶっきらぼうな相槌を聞きながら、シエテはシートベルトを締めた。狭い路地に響くエンジンの嘶く音に混じって、ジェノスがひとこと小さく囁く──不格好に、不器用に、ほんの少し口の端を綻ばせて。

「待ってる」

そんなことを真っ向から言われたら。
なんとなく、よからぬことを期待してしまうではないか。

車が走り出して、ジェノスの姿が見えなくなっても、シエテの火照りは一向に引かなかった。紅潮した彼女の頬は、決してこの酷暑のせいではない。まだ今は不明瞭で不確定な感情だけれど、いつかはっきりとした輪郭を持って彼女に深く根差すのだろう。到底エアコンなんかじゃ冷やせそうにない熱が、夏の開放感にかまけて、じわじわと温度を上げていく──。








(君の興味をこちらに向ける)
(その方法を悩みまくった)
(モテる男の必殺テクは 僕の技量じゃとてもできない)

手持ちの武器はただひとつだけで

(最終的に ひとつだけで)



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