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それなりに長いこと生きてきた。過酷な戦いの世界に身を置き、ヒーローとして鬱屈とした日々を送りながら、もう律儀に齢を数えるのも億劫になっていた。自分を“不死身”なんていうふざけた体質に造った男への復讐という目的も失い、目まぐるしく変化していく社会の荒波に翻弄されながら、きっとこれからも俺は長いこと生きていくのだろう。

しかしそれでも“初体験”にぶつかる瞬間というのが、いまだにある。多々ある。いくらでもある。

年下の恋人とつるむようになってから、それがさらに増えたように思う。

「……ゾンさん、退屈?」
「ああ?」
「なんかつまんなさそうだから」

そんなことを言うシエテを鼻で笑い飛ばしかけて、その顔が本当に不安そうだったのでやめておいた。場所がショッピングモール内のゲームセンターというせいもあって、周りがひどく喧しい。大声を張り上げないとただの会話もままならない。

「んなことねーよ」
「本当に?」
「いいから遊んでろよ。欲しいんだろ、それ」

俺が指差した先に鎮座しているのは、やたらとふかふかした布の塊である。UFOキャッチャーのショーケース越しにこちらを見つめるつぶらな黒い瞳と、あざといくらい小さく丸い耳。俺の目にはなんの変哲もない、どこにでも売っていそうなテディベアにしか見えなかったが、シエテいわくこれは世界的に大人気なキャラクターのぬいぐるみらしい。ゲームの景品、いわゆるプライズ限定として製作されたモデルらしく、販売は一切されていないとのことだった。

「欲しいけど、あたし普段こういうの全然やらないからなあ……取れる気がしない……ゾンさん代わってよ」
「俺だってやったことねーよ。こんな子供の遊び」
「そうだよねえ……」

情けなく呻いてコイン投入口に百円玉を落とすシエテに、俺はやれやれと肩を落とす。かれこれ三十分くらい、こうして粘着している。さっき見るに見かねた若い店員が取りやすい位置に目当てのぬいぐるみを移動してくれたのだが、それでも獲得できずにいるのだった。その店員がさっきからまた心配そうにちらちらと俺たちの方を窺っている。俺は親切心で軽く手を振って「大丈夫だ」というジェスチャを送り、そいつを通常業務に戻してやった。

「ううう……持ち上がってくれない……」
「へたくそ」
「うううううううう……」

シエテは今にも泣き出しそうになっている。世間にはコイツと同じように、あのちゃっちいクマ欲しさに涙を呑んだ女が星の数ほどいるのだろう。商売の仕組みなんてものは俺にはわからないが、素直に売るよりよっぽど儲かるに決まっている。うまいことを考えるヤツがいるものだ。

「まあ、せいぜい頑張れよ。俺は煙草吸ってくるから」
「この薄情者ー!」
「なんとでも言えよ。すぐ帰ってくる」

奮闘中のシエテを置いて、俺はゲームセンターを出た。ちょうどすぐ傍に喫煙所があったのはラッキーだった。俺の他に利用者は誰もいなかったので、ヤニで黄ばんだ壁にもたれて、煙草に火を点ける。

立ち上る紫煙が換気扇に吸い込まれていくのを眺めながら、ぼんやりと考える。人混みの中を歩かされ、うるさい遊技場に長時間ずっと居座らされ、いまや俺の全身には怪人との劣悪な泥仕合とはまた違う種類の疲労感が溜まっていた。

今までに女と付き合った経験は何度かあるが、アイツが一番、歳が若い。つい数年前まで義務教育の保護下にあったようなヤツである。どうしてそんなガキと交際するに至ったのか、それは話が長くなるので端折っておくとして、まあしかし誠に遺憾ながら先に惚れたのは俺の方で、こっ恥ずかしくも花束など用意してオツキアイしましょうと頭を下げたのも俺だ。思い出すとうっかり死にたくなるので、これ以上この話題を掘り下げるのはやめておこう。

とにもかくにも、こんなふうに花の盛りの小娘とゲームセンターで遊ぶのなんて、俺は初めてなのだった。初体験なのだった。小洒落たバーだのファッションホテルのベッドの上だのならともかく、UFOキャッチャーの機械なんぞに酸いも甘いも噛み分けたオトナの理屈は通じない。どうしていいのかわからない。

「……大概バカだよなあ、俺もアイツも」

誰にともなく呟いて、俺は短くなった煙草を灰皿に放った。ひとまずは切れかけていたニコチンを補充できたので、俺は足早にゲームセンターへ戻った。シエテはまだガチャガチャと忙しくレバーを動かしたりボタンを叩いたりしている。ぬいぐるみがさっきよりもかなり手頃なところにいるのを見るに、俺がいない間にまた店員が手を借してくれたのだろう。もうここには足を向けて寝られそうにない。

「あ、ゾンさん、おかえり」
「ただいま。……まだ取れねーのか、それ」
「あとちょっと……あとちょっとなんですねん……」
「なんだその妙な訛りは。ちょっと退け」
「なんで?」
「俺がやってやる」

ポケットに突っ込んでいた手を出して、そこに握られていた大量の百円玉に、一瞬シエテは目を丸くしたかと思うと、次の瞬間にはキラキラと輝かせはじめた。一服ついでに両替してきてやったのだ。

「えっ、マジで? やってくれるの?」
「かわいーかわいーカノジョのためだからな」
「うわあ、すごい。嘘くさい」
「うるせーな。ちったァ嬉しがれよ」
「だ、だってゾンさんいつもそんなこと言わないし」
「たまにはいいだろ。それに──」
「それに?」
「小腹が空いてきたから、さっさと昼メシ食いに行きたい」

正直そっちの方が本音だった。シエテが後頭部を叩いてきたが、痛くも痒くもない。

「なに食べたいの?」
「そうだな……なにが食えるんだ、ここ」
「うーん……そうだ、一階のフードコートに有名なたこ焼きのチェーン店がオープンしたらしいよ。セットメニューもあるから、お腹いっぱいになるって」
「却下だ」
「ええええーっ!? なんでー!?」
「たこ焼きなんて作ってるヤツは、ろくなもんじゃねえ」

俺の理不尽な発言に頬を膨らましながら、しかしシエテはフロアマップを開いて別のレストランを探しだした。こういうバカみたいに素直なところは、本当にかわいらしいと思うのだ──絶対に口に出してはやらないが。

さっさとクマを手中に収めて、ランチといこうではないか。デパートの食事処じゃあムードもクソもあったものじゃなかろうが、そうやってフツーの人間らしくのんびり過ごす時間もなかなかいいかもしれない。それも初めてのシチュエーションなので、どうだか知らないが。

かわいい顔して意外と手強いぬいぐるみを睨みつつ、俺は未知の敵を威嚇するようにコインを突っ込んだ。

「……んで、これはどうやって動かすんだ」
「え!?」
「ボタンに1とか2とか書いてあるのはなんだ? このレバー使うんじゃないのか?」
「や、ちょっ、ゾンさん、マジで!? そっから!? そっからスタート!?」
「だからさっき俺はやったことねーぞって言っただろうが」
「……………………」
「ちゃんと教えてくれよな、──初めてなんだからよ、俺は」









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