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巨大な宇宙船の襲来によってA市がまるごと消滅したというのを、夕方のニュースで知った。どの局でも臨時特番が組まれていて、画面の向こうに集まったキャスターやアナウンサーやコメンテーターが、似たような顔をして似たようなことを言っていた。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。わたしが同意できたのは、ただ、そのひとことだけだった。

わたしがテレビを消したのとほとんど同時に、サイタマくんがバスルームから出てきた。熱いシャワーを浴びてさっぱりしたつるつるの頭をタオルで拭きながら、ひどく疲れたふうに、濡れた睫毛を伏せている。わたしはせっせと繕いものをしている手を止めずに首だけ回して彼を振り返り、できるだけ優しく微笑んで、彼を出迎えた。

「お湯加減いかがでした?」
「最高だったよ」
「そっか。よかった」
「直りそうか? 俺のマント」

フローリングへ直に腰を下ろして、サイタマくんはわたしの手元を覗き込んできた。あちこち裂けて破れてぼろぼろになっていた、彼がヒーローとして世に出る正装の一部は、私が操る針と糸と当て布の力によって、少しずつだけれど元通りに戻りつつあった。

「うん。まだちょっと時間かかりそうだけど、なんとか今日中には」
「そんな急がなくていいぞ。ゆっくりで」
「そういうわけにはいかないよ。だって正義の味方にお休みはないんだから。サイタマくんがまたいつもみたいに活躍できるように、早く復活させてあげないとね」

本心からそう言って、わたしは作業を再開した。サイタマくんがすぐ横からわたしの指先を真剣な眼差しでじいっと見ているので、ちょっと恥ずかしかった。

「今日は泊まっていく?」
「いいの?」
「今から帰るの、めんどくさいでしょう」

去年の春に買った壁掛け時計は、午後の七時半を告げている。電車はまだ動いているけれど、地球の危機と戦った英雄を鮨詰め状態の帰宅ラッシュに放り込むなんて、非情すぎる。ただでさえ今日は街中がパニックで、平常ではないのだ。わたしがひとりで暮らすこのマンションは、渦中のA市からは少し離れたE市の郊外にあるので、近隣の路線のダイヤに影響は出ていないようだけれど、それでも空気は肌を刺すようにぴりぴり張りつめているだろう。

そんなところに愛しのダーリンを追いやるなどという外道、わたしにはとてもできない。

「ありがとな。助かるよ。ジェノスのヤツも、修理だかメンテナンスだかで博士の研究所に泊まるって言ってたから」
「ああ、例のお弟子さん? あの子も戦ったんだね、悪い宇宙人と」
「……うん、まあ、そういうことにしといて」

答えをはぐらかしたサイタマくんの真意は掴めなかったけれど、深くは突っ込まないことにした。いろんな事情があるのだろう。

「サイタマくんも、がんばったんだもんね。お疲れ様」
「………………………………」
「強かった?」
「……ああ。そうだな」

サイタマくんが口先では肯定しながら、所在なさげに視線を泳がせたのを、わたしは見逃さなかった。

「嘘つかなくていいんだよ」
「……シエテ」
「わたしは、ちゃんと聞くから」

彼の激闘を物語るマントをちくちくと縫いながら、わたしは顔を上げずに言った。サイタマくんがずるずるとお尻をずらしてわたしの後ろに回って、立てた両膝のあいだにわたしを抱え込んで、こつん、と額を背中に当ててきても、わたしは下を向いたまま、自分の仕事をやめなかった。

「こんなふうになりたかったわけじゃねーんだ、俺は」
「うん」
「あの宇宙人、どっかの星の占い師に、地球にはお前と同等に渡り合える強者がいるって教えられたらしいんだ。それで何十年もかけて、そのためだけに、ここまで来たんだって」
「うん」
「そいつの死に際に言われたよ。──お前は強すぎた、って」
「うん」
「……こんなふうになりたかったわけじゃねーんだ」
「うん」
「俺は……、……俺は……」

サイタマくんの声が頼りなく揺れている。
わたしはひたすら、針を動かすのをやめない。
するりと伸びてきた彼の腕が、縋りつくように絡んできても、わたしは止まらない。あいにく両手が塞がってしまっているので、抱きしめ返してあげることもできない。せめてその代わりに、わたしは口を開いた。

「サイタマくんの気持ちは、わたしにはわからないけど」

彼がわたしに嘘をつかないように。
わたしも彼に嘘をつきたくなかった。

「でもね、わたしは、サイタマくんが心配なの」
「………………」
「怪我したらどうしよう、帰ってこなかったらどうしよう、って思って、いつも怖いの」
「……シエテ……」
「だから、わたしは今日サイタマくんが無事でいてくれたことが、わたしのところに戻ってきてくれたことが、すごく嬉しい」
「……ああ」
「その気持ちは、サイタマくんにはわからないでしょう」

サイタマくんからの返事はなかった。
だけど、わたしにはわかる。彼が熱っぽい呼吸を繰り返しながら、その逞しい喉を震わせているのが、わたしにはわかるのだ。

「お互いに、わかりあえないかも知れないけど……でもね、わたしは、サイタマくんのことが好きだから」

そこでわたしは初めて針を止めて、傍らの裁縫箱のなかのクッションに戻した。

「大好きだから。愛してるから。ずっと最後まで一緒にいたいから」
「……………………、」
「嘘つかなくて、いいんだよ」

そしてわたしはサイタマくんを振り返る。
彼のさびしさごと包み込むように、かなしみごと洗い流すように、そっと抱擁した。

「シエテ、俺、どうしよう、……俺」
「うん」
「どうしよう」
「大丈夫だよ」
「シエテ」
「大丈夫だから」

サイタマくんの気持ちは、わたしにはわからない。
わたしの気持ちも、サイタマくんにはわからない。

どんなに想いあっていたって、理解しようとすればするほどに、擦れ違ってしまうのだ。それならいっそ、歪に噛みあわないままのふたりでいたい。そうやって不器用に互いを傷つけながら、それでも手を繋いで歩こうとする努力を永遠に続けていきたい。

いつか彼が疲れ果てて、もう進めなくなる日が来たら。
わたしはそこで、彼と寄り添って朽ち果てよう。

「ねえ、サイタマくん」

きっと──わたしたちの気持ちは、誰にもわかってもらえない。

「わたし、言うのをね、忘れてたことがあるんだけど」

ふたりぼっちで迷い込んだ砂だらけの荒野に、湿った風が吹いている。
たとえ迷子になったって──彼と一緒なら、わたしは怖くない。

「おかえりなさい」

大人の男のひとが声をあげて泣くところを、わたしはこのとき、生まれてはじめて見た。








(世界中にこぼれる愛を集めて)
(すべてあなたにあげましょう)

おかえりなさい

(このしなやかな腕に)
(体を横たえ泣きなさい)

(言葉を止めたら この腕に あなたを抱いて揺れながら)



しなやかな腕の祈り - Cocco



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