thx70000thx | ナノ





読んでいた週刊少年ジャンプから顔を上げて、サイタマはそれと悟られぬようシキミの顔を窺った。彼女は現在サイタマから少し離れたリビングの端っこで黙々と洗濯物を畳んでいる。

上を向いた長い睫毛と、吸い込まれてしまいそうなくらい大きい目と、柔らかく弾みそうな潤いのある唇。いつも通りの美少女っぷりである。本当にこんなかわいい女子高生が自分の弟子でいいのか、これは盛大なドッキリで後からドン底まで落とすつもりなんじゃねーのか、この野郎こんな寂しい独り身のハゲいじめてなにが楽しいんだ、と神様の胸倉を掴みあげて問い質したいくらいだった。

かわいい。
あー、かわいい。
大福のようにふくふくと愛らしいほっぺたが、不機嫌そうに膨らんでいても、死ぬほどかわいい。

「……なに見てるんですか」
「んっふ!? おぉ、あ、いや別に」
「先生はどうぞゆっくり本読んでてください」

口調が刺々しい。いつもの朗らかで素直なシキミはどこにも存在していなかった。

「…………………………」

視線をシキミから誌面に戻したものの、内容がまったく頭に入ってこない。大ゴマばかりで台詞も少ないバトル漫画なのに、右から左へストーリーが抜けていく──さらさらと流れていってしまう。

「……あー、面白いなー、このマンガ」
「そうですか。素敵ですね」
「おー、シキミも試しに読んでみろよー、カッコいいぞーこれ、死神だぞー」
「そうですか。最高ですね」
「こいつら呪文とかも使えるんだぞー、こんなんあったら怪人もすぐ倒せるんだろうなー」
「そうですか。便利ですね」
「……そうだね……」

いっそ気持ちのいいほど、取り付く島もなかった。

涙目になりながら背中を丸めたサイタマの耳に、シキミが地獄の底から響いてくるような恐ろしい声音で「滲み出す混濁の紋章……不遜なる狂気の器……湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる……」とブツブツ呟いているのが聞こえてくる。完全に殺る気だ。サイタマは縮こまって震えるほかない。

そんなふうにぷるぷるしながらも、サイタマは床に放置されていた特売のチラシを折って紙飛行機を作り、戯れにシキミへ向けて飛ばしてみる。こつん、とシキミの頭に当たって、そのまま墜落しそうになって、シキミの左手が目にも留まらぬ速さでそれを掴んで握り潰した。作業の手を止め、ぐしゃぐしゃになったチラシを丁寧に開いていくシキミから立ち上るオーラは悪鬼羅刹そのものであった。ますますサイタマは恐怖に慄き、己の軽率な行動を心の底から悔いた。

同情を誘うには充分な、哀れすぎる有様だったけれど──こればっかりは仕方ない。
なにせシキミの機嫌をここまで損ねたのは、他ならぬサイタマ自身なのだから。

毎日シキミが楽しみに録画していた再放送のドラマの、よりによって最終回を、彼女が見る前に消してしまったのだ。目当ての番組が始まる五分前にハードディスクの容量が足りなくなっているのに気づいて慌てていたという事情もあるのだが、情状酌量には値しないだろう。しかもその番組というのが深夜枠の、いわゆるお色気系バラエティだったものだからもう救いがない。

うきうきとレコーダーを起動し、録画一覧にある未視聴の欄を開き、そこにあるはずの項目がなくなっているだけでなく、身に覚えのないグラビア特番が入っていたのを発見したときのシキミの落胆と憤慨たるや──想像に余りある。

(しょうがないだろ! 俺だって男だもの! 大体なんでヒズミんちで録画しねーんだよ! あいつブルーレイのヤツ持ってんだから絶対そっちの方がいいだろ!)

そんな反論も、実際にシキミへぶつける勇気などなく。

まだ未成年の女子であるシキミに己の欲望の片鱗を垣間見られてしまった羞恥心と罪悪感とで、サイタマのハートは既にぺしゃんこになっていた。まあOPPAIパーカーとか普通に着てるしそこまで引かれてはいないだろう、と無理矢理に希望的観測を捻り出してみても、ただひたすらに虚しいだけだった。

(せめてジェノスかヒズミがいてくれれば……)

そんなことを考えてみても、二人は仲睦まじくデートに出掛けている。野球観戦らしい。ヒズミが贔屓にしている球団の試合がZ市のスタジアムで催されているそうだ。最初はヒズミひとりで行くつもりだったようなのだが、ジェノスもついていくと言って頑として聞かず、結局イチャイチャしながら出掛けていった。そんなリア充(仮)の背中を見送りながら、サイタマは無心でホームランボールがジェノスの焼却砲の口に詰まって取れなくなればいいと念じていた。

そうこうしているうちに、シキミが洗濯物の山をすべて畳みを終えてすっくと立ち上がった。ついついびくっと情けない反応を返してしまったサイタマを絶対零度の眼差しで見下ろしつつ、

「買い物に行ってくるだけです」
「あ、うん……はい……お願いします……」
「カレーでいいですよね」

もはや疑問符すら付属していない、ただの確認を突きつけた。サイタマには無言で首を縦に振る以外の選択肢が許されていなかった。

「それでは行ってきます」
「あ、待て、ちょっと待てシキミ」
「なんですか?」
「俺も行く」

慌ててジャンプをフローリングに投げ出したサイタマの申し出に、シキミはきょとん、と目を丸くした。険しかった表情から毒気が抜けて、完全に素が出ていた。

「いいですよ、そこのスーパーですから」
「いや、そのだな、……ついでに駅前のTSUTAYAにでも……」
「なにか用事ですか?」
「……見たかったんだろ、最終回」

いたたまれなさそうに鼻を掻いているサイタマを、シキミはしばらく呆気に取られた面持ちで見つめていたが──すぐに、ぷっ、と吹き出した。

「先生の奢りですか?」
「当たり前だろ。ドーンと来い、ドーンと」
「ついでに見たい映画とか、借りてもいいですか?」
「おう。なんでも借りろ。新作でもなんでも好きにしろ」

シキミの機嫌が回復したことを察したサイタマは、ついさっきまで怯えていた反動からか、完全に気が大きくなっていた。履き古したハーフパンツのポケットに財布をねじ込みながら胸を張っている。

「どうせ今日はジェノスとヒズミも遅くなるだろうからな。晩メシ食いながら、いろいろ見ようぜ」
「はいっ!」
「……うんうん、やっぱりお前はそうでないと」
「? どういう意味ですか?」
「お前は笑ってるのが一番いいよ」
「……………………」

それはサイタマにとって深い意味のない、ほんの感想くらいの発言だったのだけれど──シキミの顔面を真っ赤に染めるには充分すぎる威力があった。

「んー? なんか顔が赤くないか? 暑いの?」
「な、なんでもないです、チークですよ」
「ふうん……そんならいいけど」

そんなこんなでめでたく犬も食わない喧嘩からの仲直りを果たし、サイタマとシキミは繁華街へ向かうのであった。

これにて事態は丸く収まったかと思いきや、浮かれ気分で立ち寄ったレンタルショップのカウンターで、サイタマの会員証がとっくのとうに期限切れであることが判明し、彼が身分証明のできるものをひとつも所持していなかったせいで再登録も拒否されてしまい、結局DVDは一枚も借りられずに終わり、再びしょーもない冷戦が開始されるまで──あと、およそ一時間弱。








(怒鳴るこたぁないじゃん 泣くほどじゃないじゃん)
(ジョークひとつがナイフに変わって)

(またも…… やっちまった?)
(深く刺しちまった!)

(おどけてみたって もー 波は荒れるばかり)

ハイ、残念!



コミニュケーション・ブレイクダンス - SUPER BUTTER DOG



紋葉様リクエスト