「え、えと、なんかごめんね、井上くん……」
「僕は全然、構わないんだけれどね」
苦笑するわたしに、井上くんの瞳が一瞬だけ妖しく光る。なぜかそれにヒヤッとした。
「じゃ、じゃあ練習初めよっか!」
取ってつけたような言葉に井上君はくすっと笑って同意した。なんか、いつもの井上くんと違う……?
違和感が過ぎったのは一瞬だけ。練習が始まったらすぐに役に入り込み、気がつけばラストまでたどり着いていた。
「ふぅ、やっと最後までできた!」
「そうだね。如月も素直になればいいのに」
「へ?」
一通りの通しが終わって水分補給をしていると、井上くん突然が変なことを言い出した。今の流れで、なんで如月?
不思議に思って首を傾げるわたしを端目に、井上くんは黒板の上の時計を見る。そこで何かを思い出したようにあっ、と声を漏らした。
「そうだ。僕、音楽室に呼び出されてたんだよね」
「そうなの?」
「うん、すっかりこんな時間になるまで忘れてた。ちょっと行ってくるね」
そういうや否や、井上くんは教室のドアまでスタスタと歩いて行ってしまう。
「あ、多分10分くらいで帰ってこれると思うけど、もし長引いたら斉藤さんにお願いがあるんだ」
ドアのところで井上くんは思い出したように振りかえった。なんだろう。視線で促すと、いつもの爽やかスマイルで口を開く。
「僕の荷物、できれば音楽室まで持ってきておいてくれないかな?たぶん劇の練習はもうできないから、斉藤さんはそのまま帰ればいいよ」
そう言われて時計を見て確かに、と納得。下校時間までにもう一度台詞を通すなら、早くても10分くらいで始めなければならない。それまでに井上くんの用事が終わらなかったら、練習はもうできない。
「わかった。音楽室だよね」
「うん、よろしくね」
にっこり笑って出て行く井上くんを見送って、台詞の確認をしながら時間をつぶす。そして気がつけば10分が経っていた。
「やっぱり長引いちゃってるのかな?」
なんの用事かはわからないけれど、頼まれたことはちゃんとこなさなくちゃ。そう思って自分と井上くんの荷物をまとめるために立ち上がる。井上くんの荷物はすでに片付いていて、用意周到だなぁ、と笑ってしまった。
「井上くん?……ッ!?」
音楽室に着き、少し隙間のあいたドアをあけようとした瞬間、見えたツーショットに動きが止まる。声は小さかったようで、中には気付かれていないようだ。
音楽室にはなぜか、井上くんと如月がいた。如月は部活の途中で抜け出したのか、男バスのユニフォームに少し汗をかいている。
「お前さ、なんなわけ?人のこと呼び出しといて何も言わねぇって」
「うん、ちょっとタイミングはかってたんだ。でももういいかな」
2人の会話がところどころ聞こえてくる。盗み聞きは良くないとわかっていても、この事態に驚きすぎて動けない。なぜ、呼び出されたといった井上くんが如月と2人でいるのか。この2人は特に仲が良かった記憶も無い。そんな風にわたしがぐるぐると思いをめぐらせていると、突然井上くんが声のボリュームをあげた。
「僕さ、斉藤さん……いや、真奈ちゃんのこと、好きなんだよね」
「は?」
つられたように如月の声も大きくなる。
いや、でも待って、問題はそこじゃない。いやいや待て待て。え?あの井上くんだよ?あの王子様だよ?が、いまなんていった?
わたしを……好き?
なぜか他人事のように感じるその言葉。でもさらに疑問なのが、なぜそれを如月に言うのか。
「あっそ。んで、なんでそれ、俺に言うわけ?」
絶妙なタイミングで聞く如月。思わずドアに顔を寄せて聞き耳を立ててしまう。
「如月って、真奈ちゃんの幼馴染らしいね?それで出来たら協力とかしてくれないかなって思ってさ」
その言葉に少し俯いて考える如月。バカ、バカ、なんで考えてるのよ。まずどこから幼馴染だっていうのがバレたのかも気になったけれど、でも如月も否定しなかった。
小学校に入ってから疎遠になっていたわたし達。もし、井上くんの幼馴染っていう言葉を否定されていたら、きっと大きなショックを受けていただろう。
でも井上くんも人選ミスだ。だってあの如月が人のため、特にわたしに関わることで動くわけがない。
ようやく驚きも引いてきた。早く教室に戻ろう。こんな会話、聞いていたってばれたらものすごく気まずい。そう思って離れようとした瞬間だった。
「いいけど、高くつくぜ?」
最終宣告ガ、下された。
なんでこんなに胸が痛いの。なんで涙が溢れてくるの。そんなの今になってわかったことじゃない。前から気付いていたことじゃない。
私にとってアイツが大事な存在でも、アイツにとっては私なんてどうでもいい存在だって。
* * *気がつけば本番前日。
昨日はあの後何も考えられずに家に走って帰った。井上くんの荷物は音楽室の前におくこともできず、結局教室に戻しておいた。
井上くんも、如月のバカも……もう知らない!
でもだからといってどうすることもできない。今日も絶対顔を合わせるのに。あぁ、わたしがバカか。すごく気まずい。などと思いながら教室に入ったのに、結局それは杞憂におわった。井上くんは相変わらずニコニコしながら話しかけてくるし、如月も相変わらず男子軍団と悪ふざけをしている。まぁ、まさかわたしがあの話を聞いていたなんて知らないだろうし、如月は問題ないんだけど。でも、もう片方は…――
「真奈ちゃん、昨日はごめんね?遅くなっちゃったから、先帰っちゃったんだよね」
いつの間にか名前で呼ばれていることにも違和感が無くて、ただ力なく首を横に振るしかなかった。
「おい、斉藤」
休み時間になって珍しく如月が話しかけてくる。でもそれも昨日の会話を聞いていたから驚くことではない。井上くんとの仲を取り持とうとしていることがわかっているだけに、つらい。
「おい、無視すんなっ」
なおも聞こえないフリをするわたしに痺れを切らしたのか、如月はグッとわたしの肩を引いた。
「聞こえてんだろ、真奈!」
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