あの日は、たまたま通りがかっただけだった。暗くて、いかにも下衆な奴らがいそうな道を本当に、たまたま、通りがかった。それだけだった。




「震えちゃってー。かーわいー」

頭の後頭部を嫌に刺激する、独特の声に不覚にも反応してしまった。声の主であるチンピラを一瞥すると、相手は既に戦闘モード発令中。仕方なしに俺はヒーローよろしく声をかけた。

「…なに、やってんの?」
「関係ねぇだろ。失せろ」

手前のチンピラがデカくてそいつにばかり注目していたが、奥にも何人かチンピラがいた。そのデカイ壁に囲まれるようにして、中央にセーラー服を着た女の子が立っていたのだった。

「なんだ、てめぇーは!」
「俺らに喧嘩売ってんのか?あぁ?」

次々と発せられるセリフが、陳腐すぎて思わず溜息が零れた。なんの茶番だ、これは。

「失せろ」

そんな茶番に付き合うかのように一言吐き捨ててから、手前のデカイチンピラめがけて回し蹴りをお見舞いしてやった。それから、奥の奴らがしゃしゃり出てきたので、真ん中で震えていた女の子を庇いながら相手の急所に何発かお見舞いしてやるとおとなしくなった。
本格的に殴り合いをしてもよかったが、女の子のこともある。おとなしい内に逃げるに越したことはない。女の子の右手を勢い良く掴み取る。あまりの細さに驚いて離してしまいそうになったが、理性でなんとか留まった。

「ちょっと走れる?」

必死に頷く姿を確認してから、走り出した。

大通りに出ると、さすがにチンピラ共は追いかけてこなかった。

一息ついてから、女の子をみると制服から伸びた手足は華奢で、それでいて白く、行儀良く立っていた。下を向いているので、表情はわからないが、左右に垂れたおさげが兎の耳を連想させた。よく見ると兎のように身体中震えていた。

「そんな震えなくても。別に取って喰うわけじゃないよ」

そう言うと、兎ちゃんは勢いよく顔をあげた。黒目がちの丸い目から、静かに流れる涙が儚げで、思わず手を延ばした。
触れてみると儚さがより強まり、壊れてしまうのではないかと一瞬頭を過ぎったが、伸ばした手を引っ込ませるほど理性はなかった。


「…泣かないで」

自分でも驚くほど優しい声だった。キャラじゃない、と鼻で笑うよりも先に次の言葉が勝手に口走る。

「…キミはうさぎみたいだな」

抵抗しないのを良いことにそのまま左右に垂れたおさげに手を伸ばした。



「…貴方も」

掠れてはいたが透き通った声に、鎖骨のあたりが圧迫されたようにギュッと痛んだ。

ふいに、彼女の細く白い腕が伸びてきた。普段の俺なら容易く交わしてあしらうのに、固まったようにその場に立ち尽くし、彼女の手を受け止めた。

頬に触れると、安心したように一息ついて、手を戻した。反射的にその華奢な腕を掴みそうになる自分を必死に押さえつけた。


「…喧嘩は、良くない、と、思います…。でも、助かりました。ありがとうございました」

少し視線を落とし、途切れ途切れ言葉を紡いだ。


「うさぎちゃん、今度からはこんな道通っちゃだめだよ。今日みたいに絡まれる」

なにか、自分の中の何かが動きだしそうで、必死に言葉を紡いだ。うさぎちゃん、うさぎちゃん、と。


「…唇が」
「え?」


もう、自分がどうなっているのか、何が起きてるのか瞬時に反応できない、使えない脳みそに悪態をつけたい俺を、うさぎちゃんは気にも止めず、小さいバンドエイドを目の前に差し出した。


「…サンキュ」


左右に垂れたおさげに、白く華奢な手足。震える身体に黒目がちで丸い瞳。




「うさぎちゃん、また」

片手をあげた。
きっとすぐに会える。
焦らずに、ゆっくりと。



狼の狩り





「    」の空さまより相互記念としていただきました^^


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