トントントン、と軽やかに響く包丁の音をBGMにソファへと身を沈める。部活帰りにシャワーを浴びてから大好物のプリンを食べながらリビングでくつろぐこの時間がすき。いつもの習慣でテレビを点けると画面には最近流行っている芸人が映り、陽気な音楽と観客の声が耳に届いた。

「はー、幸せ……」

あまりにも幸せな日常のひとコマに思わず間抜けな声が漏れる。それにピクリと反応したのは横で寝転がっていたお兄ちゃん。眠そうにしていた顔を上げたかと思うと、早速私のプリンに気付いたのか横であーんと口を開く。

「その口、何」

「わかんない?」

ん、と私のプリンを指し、そして指先をそのまま自分の開いた口に持っていく。あーはいはい、あげればいいのね。せっかくの好物なのに。
渋々とスプーンを口につっこんでやるとお兄ちゃんの顔は一気に緩む。ちくしょー、幸せそうな顔しやがってー。こういうとこ兄妹だよなぁ、なんて考えているとお兄ちゃんの口の横にプリンが少しついているのに気がついた。

「ん?なんか俺の顔についてる?」

うん、ついてる。とはあえて声に出して言わずにそのまま手を伸ばせば、お兄ちゃんも心得たように目を瞑って顔を差し出す。ついていた一欠けらをとって口に含む。ん、やっぱおいし。
なんてじゃれあっていたら、背後で食器を扱う音がして呆れたようなお母さんの声が聞こえてきた。

「本当に、拓馬(たくま)と茜(あかね)は仲良しねぇ」

頬に手を当ててまるで困ったとでも言いたそうな表情に私はお兄ちゃんと顔を見合わせる。まぁ確かに仲良しではある。兄弟のいる友達の話を聞いてると結構喧嘩ばかりなところが多いが、うちは小さい頃からとにかく仲が良かった気がする。

「さ、晩御飯食べるわよ。こっちへ来なさい」

「はーい」

「あーい」

ちょうどソファから立ち上がったタイミングで玄関の鍵がガチャリと回る音がする。それに続いてただいまー、という低い声。

「お父さん、タイミングいいね」

「そうねぇ」

「父さん!晩メシ!」

3人が席に着いたところでお父さんもリビングに入ってきて、一緒に食卓に着く。これで家族4人がそろった。
手をそろえていただきます、と全員で言ってから私はお箸を取る。今日のおかずは豪勢なもので、家族の好物がたくさん盛り合わせられているのがわかる。いつもはもっと簡単なものだし家族全員がそろって食べることもあまりない。今晩がこんなに満たされているのはやっぱりこれが"最後の晩餐"となるからなのだろうか。

昔の思い出話などをしながら楽しい家族団欒の時間を過ごし、全員が食べ終わる頃にはお腹が膨れ上がりそうなほどになっていた。

「やばい、食べ過ぎた……」

お腹を押さえながらぼやくと、すぐに横に座っていたお兄ちゃんがちょっかいを出してくる。ぎゅむっ、とお腹の肉を摘んだかと思うと今度は残念そうな溜息をついて首を振った。

「ちょっと、何よそのジェスチャー!」

「いや、こんなんじゃあ彼氏が出来る日も遠いなと」

「彼氏なんていらないからいいもーん」

ぺしっ、とお兄ちゃんの手をはたいて正面を向くと複雑な表情をした両親が目に入った。二人とも困ったような笑みを浮かべながら申し訳なさそうにこっちを向いている。

「ほんと、こんな仲の良いあなたたちを引き離してしまうなんて……」

「俺たちの事情で拓馬と茜には迷惑をかけることになるな……本当にすまない」

そう言いながら寄り添うお父さんとお母さんはとても仲が良さそうなのに、明日からは夫婦ではなくなる。そして未だに私のお腹でぷにぷにと遊んでいるお兄ちゃんとは兄妹ではなくなる。

「しょうがないよ、二人が決めたことなんだからさ」

がんばらなくても自然と明るい笑顔が出る。だって、本当に悲しいわけではないのだ。明日、両親は離婚する。元から互いに子連れの状態で再婚したのだが、結局二人の間で愛情が発展することはなかった。それでも二人はこれからも仲良く付かず離れずの距離を保つのだろう。なぜなら二人は友情に近い親情で結ばれている。それも一つの愛のカタチであるには違いない。

そしてこれは私とお兄ちゃんに関しても同じこと。家族の愛だけが人を繋ぐ愛じゃない。

「私とお兄ちゃんも、離れたからといって繋がりが消えるわけじゃないよ」

ね、と横のお兄ちゃんに問えば優しい笑顔でうなずいてくれる。それにお父さんとお母さんも安心したのか、そうね、と互いに笑顔をかわしていた。
離婚前夜にしてはひどく幸せな空間だが、これで一つの家族がバラバラになって崩れ去るという事実は変わらない。

「あら、もうこんな時間。茜も拓馬もまだ学校あるんだから、そろそろ寝たら?」

「んー、そうする。上行こう、お兄ちゃん」

「ん。じゃあ父さんと母さん、おやすみ」

パタン、とリビングのドアが閉まり、暗く静まり返った廊下にお兄ちゃんと二人だけになる。しばらく二人ともその場に立ったままだったが、ふとお兄ちゃんの手が私の手を包んだ。

「何してんの」

いつもと変わらない調子で問えば、お兄ちゃんも変わらない調子で答える。

「やっとか、って感極まってんの」

その言葉に顔を上げて見上げれば、本当に嬉しそうにこっちを見下ろしている。プリンをあげたとき以上に顔が緩みっぱなしだ。何の返事も返さずに見つめていると、それが不満だったのか今度は眉をひそめて覗き込んでくる。

「何、茜は嬉しくないの?」

いつもより少し低いその声が聞けるのは二人きりの時だけ。男らしいのにどこか弱気で、あぁ本当にこの声には敵わないと再確認。

「嬉しくないはずがないじゃない」

だって、本当に"やっと"なのだ。ようやく自我が芽生え始めた頃に出会い、本当の兄妹のように育った私たち。けれど本当の家族じゃないことは包み隠さない親の性格のせいで知っていたし、そのおかげで互いの胸に芽生えた淡い想いは摘み取られることも無かった。そして共に成長したこの数年、ようやく私たちは家族ではなくなり、他人になる。

「お兄ちゃん?」

階段を先に上がる背中にふざけ半分で呼びかけてみると、振り向きざまにコツンと額を叩かれる。

「こーら。違うだろ」

拗ねたように唇を尖がらせるその表情も、何もかもが愛しくて。でもまさか手に入る日がくるなんて思わなくて。

ねぇ、もしこんな日を、お父さんとお母さんが別れて、みんな家族じゃなくなって、私とお兄ちゃんが他人になる日を待ち望んでいた、って言ったら、お父さんたちはどんな顔をする?

いつものように困ったような笑顔で仕方ない子達だなって呆れるのかな。それともなんで早く言わなかったんだ、って起こられちゃうかな。どっちにしろ、応援してくれることはわかってるよ。

だって、大好きなお父さんとお母さんだもん。

だけどやっぱりそれ以上に大好きな人がいる。二階にたどり着いてもまだ拗ねた風に膨れているお兄ちゃんの服を引っ張る。振り向いたその顔に、私は少しだけ背伸びをして、

「大好きだよ、拓馬」

軽い口付けを送りました。




幸せに導く
(幸せな空間を失ってこそ得られたもの)(それはもっと幸せな君とのこれから)


-end-



提出→story
お題→『幸せに導く崩壊』


桜宵 ( main home )