私の学校の図書室には、しおりボックスという箱が置いてある。名前の通り中にはたくさんのしおりが入っていて、本を借りた生徒はそのしおりも自由に取っていくことができるという仕組みだ。本を返すのと一緒にしおりもボックスに戻すのが暗黙のルールとなっているが、なくしたり私物化してしまったりする人もいて、時々補充しなければならない。そしてそれは、私たち図書委員の仕事の一つでもある。

「鈴木(すずき)さん、箱の中はどう?」

図書委員担当の先生に聞かれ、カウンターから身を乗り出して箱を引き寄せる。中を見ると、表層のしおりがごっそりとなくなっていた。もうすぐ冬休みに入るからか、この時期になるとみんな一斉に本を借りる。貸し出しできる本の数もいつもの2倍になるから、しおりの減りも2倍だ。

「半分くらいに減っています」

適当に一枚摘み上げると、端がよれた薄茶のしおりだった。和紙のような手触りで、中央には『英語赤点、ガンバレ俺!今月の新刊は当たりが多い』と筆ペンで書かれている。それに小さく笑いをもらし、私は箱に戻した。

「それじゃあまた頼むわね。道具はいつものところにあるから」

そういって先生は奥の書庫へと引っ込んでいく。それを見送ってから、私はカウンターの奥を覗いた。

「今日はどれにしようかな。和紙は手触りが良いけれど、折れやすいし濡れたら字がにじんじゃうなぁ。やっぱり時代は、金属製?」

独り言を呟きながら、カウンターの奥を物色する。そこにはいろんなタイプの紙が無造作に放り込まれていたが、結局悩んだ末に私が取ったのは和紙だった。先ほどの薄茶のしおりの優しい手触りが脳裏に残っていたのかもしれない。手に優しいしおりは、本にも優しい。

「何を書こうかな」

筆ペンのフタを取ると、きゅぽんと間抜けな音がなる。
しおりボックスのしおりは、すべて図書委員の手作りだ。いつから始まった取り組みなのか知らないが、中には大分古いものもあるから、きっとずっと昔の先輩の頃から続いているのだろう。作り方に特別なルールはない。ただ一つ、何か一言残すこと。それだけだ。

「『隣の家に子猫が生まれました。白くて小さい可愛い女の子です。元気に育ってほしいな』……っと」

書き終わって、一番下に今日の日付を入れる。それをカウンターの端に寄せて乾かしながら、次のしおりに取り掛かる。
残すメッセージは自由だから、誰かの格言を記す人も居れば、自分のモットーや口癖を書いたりする人も居る。けれど大抵は、作らなければならないしおりの数に圧倒されて、結局は最近あったことなどを書くことが多い。私も最初は、押し花を作ってビニールで挟んだりとかしていたけれど、今ではもうそんな手の込んだことはやっていない。それに、実を言うと出来の良いしおりはなくなる確率が高い。実際に私のしおりもいくつかボックスからなくなっている。気に入った人がそのまま持ち続けているんだと思うと、少し誇らしい気がしてしまうのが困りものだ。そんなこんなで、今日もせっせとしおりを作っていく。


* * *



「――…出来た!」

「お疲れ様」

ノルマの最後の一枚が出来、思わず声を小さな歓声を上げた私に返事が返ってくる。驚いて顔を上げると、同じクラスの志藤(しどう)君が立っていた。その腕にはこれから借りるであろう数冊の本が挟まれている。相変わらずの読書家だなぁ、と感心。

「貸し出しと返却、お願いできるかな」

「うん。図書カードを出して下さい」

いつもの事務口調で言うと、見慣れたカードが手渡された。返却の本は一旦カウンターの端に置いて、後で処理しよう。
志藤君はとても早いサイクルで本を借りていく。少なくとも私が受付を担当する日には必ずと言って良いほど、何かを借りていくのだ。おかげで、志藤君のカードナンバーが空で言えるほどになってしまった。

「あれ、もしかして志藤君、この作者の本が好きなの?」

バーコードを読み取るために受け取った本は見慣れた表紙だった。私も先週まで読んでいたものだ。思い返せば志藤君はよくこの作者の本を借りていた気がする。私も好きな作者だからつい興奮して聞いてしまった。それに志藤君は少し驚いた顔をした。

「ほら、よくこの作者の本借りてるから」

「気付いてたの?」

どこか嬉しそうに微笑む志藤君。やっぱり嬉しいよね、本の好みが合う人に出会うのは。同じクラスといっても教室では挨拶を交わす程度の仲だったけれど、これからはもっと話しかけてみようかな。この本が好きな人に悪い人はいない!なんてね。
既に夕焼け色に染まった図書室にはもう他の生徒はいない。おかげで気兼ねなく志藤君と本について語らうことができた。そして志藤君は去り際、いつものようにしおりボックスからしおりボックスへと手を伸ばす。けれど今日はその寸前にもう一度カウンターに目線を戻した。

「ねぇ、それって全部鈴木さんが作った新しいしおり?」

「あ、うん。月曜日は私ひとりの担当だからね」

「うん、知ってる」

思わぬ即答に軽く目を瞠る。志藤君はなぜかそのままボックスから離れ、カウンターに戻ってきた。なんだろう、と思っていると、その指が真新しいしおりに向く。

「ねぇ、今日はこっちから持っていってもいいかな?」

「えっ」

予想もしていなかった提案に素っ頓狂な声が出る。指された先にはずらりと並んだ私の新作。いや、もちろん悪いことはないのだが。そのしおりたちの上には当然だが私の文字が連ねてある。どうせ無記名だからと好き勝手に書いたが、志藤君がそこから取るということは自づからそれらが私の文だとわかるというわけだ。無性に恥ずかしく思いながらも、断わることはできずにおずおずと頷いた。
それに志藤君は嬉しそうに笑い、腰をかがめてしおりに視線を滑らせていく。ただしおりを見ているだけだとわかっているのに、あまりにも志藤君の視線が真剣なせいか、まるで私自身が凝視されているようで落ち着かない。しばらくして決まったのか、志藤君は3枚ほど選んで帰っていった。「大切に使うから」と、素敵な笑顔を残すことも忘れずに。
高鳴る胸を押さえながら、何気ない顔で見送る。志藤君は綺麗な顔をしているから、不意に見せられる笑顔の威力は大きい。絶対心臓に悪いよ、あの人!そんな理不尽さにもやもやしながら、新作のしおりをボックスに入れていく。最後に軽く箱を振って混ぜればおしまい。これでもうどれが誰のかなんてわかるまい!
何に焦っているのかもわからないが、自棄になって振っていたら、やりすぎてしおりが数枚箱から飛び出してしまった。

「わっ、私の馬鹿……!」

慌てて床に落ちたのを拾う。ふと、その中の一枚に目が留まった。見た目は何の変哲もない、ただの白い画用紙でできたしおり。真ん中には無骨な字が並んでいる。何気なく、その内容に目を通す。

『やっと席替え。彼女の近くの席がよかったけれど、結果は斜め後ろ。微妙だけど、授業中に彼女が見れるのは嬉しい』

「う、わぁ……」

気恥ずかしい内容になんともいえない声がでる。まるで誰かの恋路を覗き見しているような。他人事なのに少しそわそわしてしまう。そしてそのしおりの日付を見て、私はさらに驚いた。それは今年の6月の日付だった。その時期には、ほぼすべてのクラスで席替えが行われる。やっと名簿順から解放される、クラス最初の楽しみ。確か私のクラスもこの時期に席替えをした。それに気がつくと、急にこのしおりの人物を身近に感じた。今年、ということは今も同じ学校にいる誰かなのだ。そんな誰かが、誰かを想っている。青春だなぁ、と箱に戻す時に、その中に気になる白色を見つけた。まさか、と思いつまみ出す。



←|




桜宵 ( main home )