「宮(みや)くん」
「………」
「宮くん、」
「………」
「宮くんっ!」
「へっ、…あぁ、ごめん。吉野(よしの)さん」
3度目の呼びかけにやっとこっちを向いてくれた宮くん。何見てたの?なんて、聞かないよ。
「もう、宮くんって本当にぼーっとしてるんだから」
笑顔で言う私に宮くんはほっとしたように笑いながらそんなことないよー、なんて言う。
いつからだろう、作り笑顔が得意になったのは。自然な笑顔よりも、作り笑顔の方が多くなったのは。
「宮くんは次の授業、何?」
「体育だよ。吉野さんは?」
「家庭科。マドレーヌ作るんだぁ」
へぇ、と呟きながら一瞬遠くなる視線。
「楽しみ、だなぁ…」
ポツリと呟きながらその脳裏に浮かぶのは、私じゃない。私と同じクラスの、あの子。そんな宮くんの思考を遮るように慌てて言葉をつむぐ。
「まだ誰も宮くんにあげるなんて言ってないんだけど」
「えっ、あれ、俺の勘違い!?はずっ!」
慌てて真っ赤になって謝る宮くん。
ごめんね、でも私と一緒にいるときだけでも、あの子については考えないで欲しいの。
「ハハッ、ウソだよ。宮くんに、あげるから」
「うん、ありがとう」
遠くから聞こえる予鈴の音に、座っていたベンチから立ち上がる。裏庭にある小さなベンチ。ここに2人で寄り添ってお弁当を食べるのは、私と宮くんが付き合い始めた頃からの習慣。
「じゃあ、俺は着替えなきゃだからちょっと急ぐね」
「うん、体育がんばってね」
「お菓子、楽しみにしてるから!」
にっこりと笑う宮くんの笑顔に心はほっこりとあったかくなる。でもすぐに冷えてしまう。軽く駆け足で走り去っていく彼を、校舎の中から見つめる彼女に気付いて。
宮くんは私の彼氏。付き合ってそろそろ3ヶ月。
宮くんの心には、違う人がいます。
* * *「ちょっと詩織(しおり)!アンタそれ分量おかしくない?」
「え?ウソ」
香苗(かなえ)の声に慌てて調理プリントを確認すると、確かに規定量の2倍近く入れていた。ぼーっとしてて全くメモリを見ていなかった。
「うわぁ、危うく砂糖二倍のマドレーヌになるとこだった…」
「それシャレになんないって。ゲロ甘じゃん」
オエッ、と吐く仕草をする香苗。
確かにそれじゃあ甘すぎだ。甘すぎて宮くん、気持ち悪くなっちゃうかも。でも宮くんは優しいから、我慢してでも食べてくれそう。青白い顔しながら最後まで食べる宮くんが想像できて、少し笑ってしまった。
「ちょっとちょっとお姉さん〜、何笑ってんのよ〜」
「なんでもなーい」
「どーせまた愛しの宮内くんについてでも考えてたんでしょー?ったくこれだから色ボケ詩織は〜」
泡立てを交代でやりながら香苗とじゃれあう。やっぱり仲の良い子が同じ班にいるっていいな。
家庭科の調理グループは先生が決めるから基本的に友達とはバラバラになってしまう。だから最初の授業のグループ発表で、自分の名前と香苗の名前が並んでいるのを見たときには思わずナイス先生!なんて思ってしまった。
もっともその喜びも、香苗のさらに横の名前を見つけるまでだったけれど。
「吉野さん、大丈夫?今日なんかフラフラしてるよ」
心配そうに声を掛けてくるのは同じグループになった花村(はなむら)さん。
動揺を隠すように少し俯いて、スッと口角を上げる。ほら、得意の作り笑顔の出来上がり。
「、うん、大丈夫だよ!でも最近ちょっと夏バテ気味かも」
笑いながら言うと花村さんも安心したように笑った。
「いやぁ〜優しいね、花村さん!うちの詩織にまでこんな気に掛けてもらっちゃって…!」
「そそそんなことないよ!普通だよ!でも、吉野さんが具合悪そうだったの、気になったから…」
「それが優しいって言うんですよ〜」
からかうように言う香苗に真っ赤になりなる花村さん。
本当に可愛くて、優しくて、とてもいい子。最初に同じクラスになったときは、仲良くしたいな、なんて思ってた。今じゃとても、そうは思えないけれど。
そこまで考えてフッと自嘲な笑いが漏れる。私、最悪。彼女にはなんら、非がないのに。
「ちょっと調味料とってくるね」
適当に理由をつけて調理台から離れる。
「ちょ、詩織。アンタ本当に大丈夫…?顔色やばいよ?」
「だーいじょうぶだって、ホントちょっとバテてるだけだから」
真剣に心配そうな顔をする香苗にへらりと笑って調味料のある棚へと向かう。
と、トンと何かが手首に当たった。何?と反応する前に、遠くからドンガラガシャーンッと大きな雪崩音が聞こえる。きっと誰かがボウルや計量カップを落としちゃったんだろうな。あれ、積み重なってて危ないと思ってたのに。
意識が飛ぶ直前に聞こえたのは、吉野さん!と呼ぶ花村さんの声だった。
* * *その話を知ったのは、本当に偶然だった。
テスト前の放課後、図書室で残って勉強をしていたらどうやらすっかり眠ってしまったらしい。ぼんやりと覚醒した頭を持ち上げる。
ちょうどそのときだった。背後の本棚の向こうから、えぇ!と驚いたような声が上がったのは。
その声に目が覚め、図書室なんだから静かにしなよ、なんて思ったのを覚えている。けれどそのときにはもう下校時間間近で、見渡す限りもう他の生徒はいないようだった。
きっと彼女たちもそう思ったんだろう。特に声を抑えることもなく、本棚の向こうで会話が進む。
「じゃあ千佳(ちか)が言ってた元彼って宮内くんのことだったんだ〜」
「う、うん。まぁ昔の話だけどね!」
照れたようにつっかえて離す女の子の名前も、会話に出てきた男の子の名前もよく知っていた。
千佳は今年同じクラスになった花村千佳で、宮内は私の彼氏の宮くんの苗字。同じ学年に違う"宮内"はいない。
「元、彼…?」
初めて聞いた話に呆然として声が漏れる。やばい、と思って慌てて口を手で押さえる。
勝手に打ち明け話をしていたのはあっちだけれど、内容が内容だ。少なくとも今カノという立場の私がいるのは気まずい。
けれどそんな心配も杞憂で、花村さんとその友達はそのまましゃべりながら図書室を出て行った。
花村さんは宮くんの…昔の彼女…?
しばらく呆然としていたが、ふと視界に入った時計を見て慌てる。
校門閉まる…!
そしてあの後から気がつくようになった。
彼の視線の先に。
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