委員会も終わって下駄箱まで来たとき、千春(ちはる)は数学のノートを教室に忘れてきたことに気が付いた。いつもならそこで諦めて置いて帰るのだが、運悪く今日はちょうどテスト一週間前の日で、数学が壊滅的に苦手な千春は帰ってからも猛勉強しなければならない。それにはもちろんノートも必須。

「しょうがない、か。…教室遠いのになぁ」

仕方なく千春は教室のある3階へと向かった。
委員会で遅くまで残っていたせいか、廊下はもう綺麗な夕焼けに照らされている。
やっとのこと階段を上りきり、教室にたどり着く。ドアを開けると、千春は少し驚いた。

「誰か、いる…?」

この時間帯ではもう部活で残っている人すら少ないのだから、当然誰もいないと思っていたのに。その予想に反して、千春の教室にはまだ人が残っていた。

「寝てる、のかな…」

教室に入って近づいてみると、どうやら違うクラスの男子のようだ。
机に伏せて寝ているせいで、顔がわからない。上履きの色からして同学年らしいけれど、その後姿にはあまり見覚えがない。

まぁいっか、誰でも。とにかくノートをとってはやく帰らなきゃ。
千春は思い直し自分の席に行こうとするが、よく見てみたらこの男子の伏せている机が自分の席だ。机の中のものを取りたくても、その身体が完全にふさいでいる。

「困ったなぁ…」

まさか起こすわけにもいかないだろうし。
そのとき寝ていた男子が少し身じろぎをした。

お、起きた?

しかしそのまま見ていても起きる様子はなく、ただ顔を横向きに変えただけだ。

そのこっちを向いた顔を見て千春の心臓がドクンと鳴る。だって、なんかすごい綺麗な顔。
うちの学校にこんな人いたっけ…?いたら絶対知っていそうなものを。
今まで知らなかったことが悔やまれるくらいその男子の夕焼けに紅く照らされた寝顔は綺麗で、しばらく千春は時間が経つのも忘れて見入ってしまっていた。


〜〜〜♪


突如鳴り出した音楽に千春は我に返り、教室の黒板の上についているスピーカーを見る。
下校時間を知らせる音楽だ。時計を見ると、委員会が終わってからかれこれ10分近く経っていた。
さすがにもう帰らないと。あ、もしかしてこの放送で起きてくれたりしないかな。と多少の期待を込めて見つめるが、謎の美少年
は全く起きる気配を見せない。

なんせ放送といっても穏やかなクラシックだ。さらに睡眠を深めてしまっても文句は言えない。

でもこれ以上は千春も待てない。ただでさえ足りない数学に費やす勉強時間が、どんどんと減っていってしまう。

こうなったらもう、強行突破!

よしっ、と握りこぶしを決めて、息を詰めて近寄る。机の横にゆっくりとしゃがみ、身体と机の隙間から中に手を伸ばす。指先にノートが触れて、

よし、いける!

そう思って千春が手を引こうとした瞬間だった。

ふっと頭上から指していた紅い夕焼けが陰り、不思議に思って見上げた先には、美少年。

「へっ?…っ」

一瞬だけ掠めた暖かい感触にフリーズする千春。その様子を見て美少年はちょっと笑って席を立った。

「あ、あの、誰、何で、き、す」

一瞬だけ触れた額を押さえながらあせって問う千春に少年はただ笑って

「まっか」

その言葉に千春はさらに真っ赤になる。もちろんこれは、夕焼けのせいなんかじゃないことはわかっていた。

「質問に、こ、答えてください!」

「んー…」

必死に言う千春に少年は少し考えて、


「魔がさしちゃった、とか?」


悪戯に笑った。


ロマンチカ
(またね、竹岡千春さん?)(な、な、なんで名前っ)


-end-



提出→ゆびさき に きす
お題→『魔がさしました。』


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