箱の中
火薬の点検と焔硝蔵の掃除を終え、伊助は忍たま長屋へ帰ろうと歩を進めていた。
廊下の角を曲がったところで、向かいから団蔵が箱を抱えて歩いてくるのが見えた。

「おーい、団蔵」

「よお、伊助」

「ねえ、それはなに?」

団蔵の頭より少し大きな箱を目線で示す。
会計委員会で使うものか、加藤村から送られてきたものだろうか。
あまり急いでいる様子ではないから、後者かもしれない。会計委員会の仕事なら、委員長怖さ故にもっと急いでいるはずだ。

「ああ、これ?加藤村から届いたんだ」

「へぇ。何が入っているの?」

伊助は期待で頬を紅潮させた。
しかし、団蔵の答えは伊助の期待を裏切るどころか、予想の遥か上をいくものだった。

「馬肉だよ」

「へっ……?」

一瞬耳を疑った。
何度も頭の中でその言葉を反芻し、咀嚼する。
とても団蔵の口から発せられた言葉とは思えなかった。

「馬肉って……」

「うちの馬が一匹走れなくなったから、殺したんだ。で、それの肉」

ひょいと、団蔵は馬肉の入った箱を少し持ち上げた。
思わず、伊助はその箱から目を背けた。

「……なんで、殺したの?」

問うた声は震えていた。
平静を装う余裕もなく、血の気の引いた顔が引きつる。

「だから、走れなくなったから」

「……そんな理由で?」

「走れない馬を養っていけるほど、うちは金を持ってないんだよ」

「団蔵も馬借の人達も、馬が好きだったんじゃ……」

「好きだよ。でも、好きだから飼ってるんじゃなくて、馬借の仕事のために飼ってるから」

普段の快活さからは想像出来ないほど淡々とした口調で、団蔵は答えた。
その表情は硬い。彼自身も、やりきれない想いを抱えているのかもしれない。

「うちの村はまだましで、能力テストをして基準に満たない馬は全頭殺すところもあるんだ」

「酷い……」

「仕方ないって、割り切るしかないんだよ。人に飼われた動物は、人の都合で生死が左右されるから。……本当は、どの馬も一生面倒みてやれたらいいんだけどな」

とうに諦めたように、団蔵はふっと遠くを見つめた。
伊助はどう声をかけてよいのかわからず、そのまま立ち尽くした。
ふと、馬肉を入れた箱が視界に入った。それが、将来の自分と重なった。
いつか、忍務につくようになったら、あんな風に他人の都合で死んでしまうのかもしれない。死間を命じられるかもしれないし、忍務に失敗して殺されるかもしれない。
結局、どんなに頑張っても結果が全てなのだ。
伊助はその箱を視界から外した。

「じゃあ、俺、これを生物委員会に届けないといけないから」

団蔵の声にはっと我に返り、伊助は曖昧に頷いた。

「ああ、呼び止めてごめん。それ、動物の餌になるんだね」

「うん。……なあ、これを食べなくていいとわかって、ほっとしてるだろ?」

感情の読めない瞳に見据えられて、どきっとした。
責められているような気がして、すぐに答えられなかった。
学園内の喧騒が、やけに遠く聞こえる。

「……少しだけ」

「うん、俺も」

小さく呟いた団蔵の顔は、泣いているようにも、笑っているようにも見えた。

「変な話してごめんな。じゃあ、俺、もう行くから」

「うん。もう寄り道するなよ」

「わかってる」

横を通り過ぎていった団蔵の背を伊助は振り返って見つめた。
割り切ろうとしている彼も、割り切れない自分も、いつかはちゃんと受け止めなければならないのかもしれない。それでも、今はまだ−−−。

「遊びにいこう」

とっくに見えなくなった背中から目を離して、伊助は喧騒が聞こえる方へ走りだした。
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