言の葉
「またこんなところで居眠りして」

居間の襖にもたれて眠る紡を見つけて、ちさきは苦笑した。
紡の横には栞を挟んだ本が置かれている。本を読んでいるうちに眠くなってしまったようだ。ここ最近は毎日夜遅くまで調査結果をまとめていて寝不足だったみたいだし、ちょうど陽だまりになる場所で心地いいから、微睡みたくなる気持ちもわからなくはないけれど。

「こんなところで寝たら風邪ひくし、身体も痛くなっちゃうよって、いつも言ってるのに」

紡は布団を敷くのが面倒なのか、急に寝落ちてしまうのか、昼寝の時はもちろん、夜ですらたまに畳の上でごろっと寝てしまうことがある。そのたびに注意しているのだが、いっこうに改めてくれる様子はなかった。
勇の話では、小学生の時は涼を求める猫のように廊下の床板の上で昼寝していたこともあったそうだから、その頃に比べればましになってはいるのかもしれないけれど。

せめて風邪をひかないよう、二階の押し入れから毛布をとってきて紡にかけてやる。
あまりよく眠れない体勢だろうに、紡の目蓋はぴくりとも動かなくて、起きる気配がまったくなかった。

「ほんと、世話が焼けるんだから」

つんつん、と軽く紡の頬をつついてみる。少し睫毛が震えた気がしたけれど、返ってきた反応はそれだけだった。
穏やかな寝息を零す唇は薄く開いていて無防備だ。いつもは精悍な横顔も今は少し幼くて可愛く思える。紡は中学の頃から物静かで大人っぽいと言われているけれど、全然そんなふうには見えなかった。
こんなふうにどこでも寝ちゃうし、案外抜けてるし、頑固だし、デリカシーないし、もりのどうぶつのみかんジュースとクリーム多めのコーヒーゼリーが大好物だし。
あまり喋らないからばれてないだけで、本当は結構子供っぽい。困ったところもたくさんある。
でも、普段は他人に見せない、けれどちさきにとってはいつの間にか当たり前になったそういう子供っぽいところを見ると、ふいに胸の奥からなにかが込み上げてくる。胸の内側がどんどんあたたかなもので満たされていく。

(ああ、好きだなあ)

胸を満たすこの感情がなんなのか、以前は考えないようにしていた。言葉にしてしまったら、もう戻れなくなってしまうから。
でも、今は自然と言葉にすることができる。
そう、もう否定しなくてもいいのだ。紡のことが好きだと感じても、自分を責める必要はない。自分に嘘をつくことなく、ただ穏やかな気持ちでいられる。

この気持ちを普段からもっと素直に伝えられたらいいのに。
紡はいつもまっすぐに気持ちを伝えてくれるから、ちゃんと返したいのに、恥ずかしくてなかなか口にできない。頑張ってなんとか伝えたこともあるにはあるけれど、いつもは察してくれていることに甘えてしまっていた。
自分の気持ちも、紡のことも、今度はちゃんと大事にしたいのにうまくいかない。どうしようもなく変わらない。こんな自分がひどく嫌になる。
変わりたい。素直になりたい。

だから、練習のつもりでちさきは紡の耳元に唇を寄せた。

「好き」

聞こえていないとはわかっていても、声に出すとやっぱり恥ずかしくて顔が熱くなる。心臓が早鐘を打って落ち着かない。
でも、不思議と嫌ではなかった。むしろ、このくすぐったさに浸っていたいような……。

「好きよ、好き、大好き」

これまで言えなかった分まで何度も夢中で繰り返す。そのたびに胸が甘く疼いて、紡への気持ちがどんどん膨らんでいくような気がした。
想いを口にするたび、声に多幸感が滲んでいく。自身の熱に浮かされていく。
自分でも何回言ったのか、わからなくなってきた。何回言っても、胸に溢れるこの気持ちには足りない。

「好き……紡が好き……」

「そういうことは起きてる時に言ってくれ」

ふいに聞こえた声に、はっと夢から覚めたみたいに我に返る。
反射的に顔を上げると、はっきりと目を開けた紡にじっと見つめられていた。

「いっ、いつから起きて!?」

「毛布かけてくれた時には。そのまま二度寝するつもりだったけど、流石に寝てられなくなった」

つまり、ほとんど最初からではないか。
もともと熱かった顔がべつの意味でも熱くなった。

「起きてるならはやく言ってよ! ばか! むっつり!」

ああもう、こんなことを言いたいはずではなかったのに。
本当に伝えたかった言葉はもう喉の奥に引っ込んでいってしまった。きっともうしばらくは隠れたままでてこない。これじゃいつもと変わらない。
でも、今回は紡が悪いと思う。
なのに、紡はまったく気にした様子もなく、それどころか嬉しそうに口角を上げていた。

「なんでにやにやしてるのよ」

「嬉しかったから」

紡は穏やかに目を細めた。
怒っていたはずなのに、その優しげな顔に、まっすぐな眼差しに絆されそうになる。悔しいことにいつもそう。いつも紡には敵わない。

「紡はずるい」

「なんで?」

「ずるいったら、ずるいの」

「そうか」

そっと、あやすように頭を撫でられる。子供扱いしないで、と唇を尖らせるけれど、大きな手があんまりにもあたたかったから拒めなかった。
この手に触れられると、鼓動が高鳴るのに、なによりも安心して穏やかな波に身を委ねているみたいに落ち着く。だんだん夢を見るような心地になる。さっきと同じ。胸が甘く疼いて、熱に浮かされる。

「……好き」

そのせいで、いつの間にか無意識に想いが口から零れてしまっていた。
自分の小さな、けれど確かな音になった呟きに気付いて声を詰まらせると、一瞬目を丸くした紡がさっきよりもずっと柔らかに蕩けるような瞳で微笑んだ。

「俺も好きだ」

ああもう、やっぱり紡はずるい。


途中で紡が声かけたのは、流石にちょっと照れたからです。
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