思慕
目を覚ました紡は、そこがベッドの上でないことに首を捻った。背もたれが視界に入り、ソファーの上であることを知る。目を瞬かせているうちに寝惚けた頭が次第に覚醒していき、課題をこなしている途中で少し仮眠をとろうとソファーに横になったことを思い出した。
どのくらい眠っていたのだろうか。傾いていた日はすっかり落ち、なにも掛けていなかったせいもあって肌寒さを感じた。
起き上がって照明をつけ、机の上の時計を確認する。針は七時半過ぎを示していた。二時間ほど眠っていたらしい。昼寝にしては少し寝過ぎた。
(ちさきがいたら、小言言われるだろうな)
ここにちさきがいたら、きっと毛布を掛けて、夕飯前には起こしてくれただろう。「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」と仕方なさそうに叱る顔が簡単に想像できて、紡はかすかに笑みを漏らした。
離れて暮らすようになってから、なにかにつけてちさきのことを思い出すことが増えた。この場にいたらこんな反応をするだろうとか、今どうしているだろうとか、一人で家にいる時や、海や花を目にした時にふと思い浮かべてしまう。
これほどまでに誰かの存在が自分の中に根を張っていることに、紡自身も驚いていた。ただ傍にいないだけでなにかが欠けたような気がするほど、ちさきが隣にいることがいつの間にか当たり前になっていたのだ。
ふいに、電話の音が鳴り響いた。我に返って受話器をとる。耳に押しあてると、先ほど思い出していた声が聞こえた。
「もしもし、紡?」
「ちさき?」
「うん、急にごめんね」
タイミングのよさに笑みが零れそうになる。だが、すぐになにかあったのかと心配になり、返す声は硬くなった。
「どうかしたのか?」
「ううん。ただ、どうしてるかなって」
どことなく気恥ずかしそうな声音だった。ちょっと目を伏せて、髪を弄る姿が目に浮かぶ。ついで「ほら、紡ってちょっと抜けてるから心配で」と早口で誤魔化すように付け加えられて、頬を染めながら唇を尖らせた顔が浮かんだ。
ちさきも同じことを考えていたのだろうか。
そうであればいいと願いながら、紡は答えた。
「とくに変わりない。そっちは?」
「こっちもいつも通り。……でも、おじいちゃんが最近ご飯残してるらしくて少し心配かな。見た感じは元気そうなんだけど」
「そうか……。今度の連休にでも顔見せに帰るよ」
「ほんと? おじいちゃんも喜ぶよ」
わずかにちさきの声が弾んだ。柔らかな笑い声が心地いい。
しかし、それだけでは満たされず、会いたいという想いは余計に募っていく。自身の選択に後悔はしていないが、この恋しさだけはどうしようもなかった。