うたた寝
煮立った鍋の火を止めて、味噌を溶き入れる。これで今日の夕食は完成だ。
ここ最近はいつもこのまま盛り付けて一人で食べるのだが、今日はもう一人いるため、ちさきは土間から上がって階段に向かった。

海村の調査のために教授に先んじて紡が帰ってきたのは昨日の夜遅くのことだった。その時はすぐに布団に入ったし、今日も教授がくる前に準備をしておく必要があるとかで朝早くからでかけていたから、一緒に食事をするのは本当に久しぶりだった。

「紡ー、ご飯できたよー!」

階段の下から呼ぶが、返事はなかった。
うたた寝でもしているのだろうか。

階段を上がって、紡の部屋の前に行く。入るよ、と声をかけてから障子を開けると、予想通り机に突っ伏していた。近付くと気持ち良さそうな寝息が聞こえてきて、思わず苦笑が漏れる。

「もう、風邪ひくよ」

肩を揺らして起こそうとしたところで、紡の腕の下にある紙が目についた。
地図……いや、海図だろうか。見慣れない記号や数字がたくさん書き込まれている。視線を滑らすと、机の端にも難しそうなことが書かれた紙の束があった。きっとこれも調査に必要なものなのだろう。

(頑張って、くれてるんだな……)

心にぽうっと灯火がともるのを感じた。
起こさないように、そっと紡の頭を撫でる。聞こえないのは承知で、ちさきは優しく囁いた。

「ありがとう」

べつに、私のためだなんて烏滸がましいことは考えていない。ただ、この気持ちを表す言葉が他に思いつかなかった。

その時、掌の下でむずかるような声がした。慌てて手を離すと、紡が緩慢に顔をもたげた。

「おはよう」

「……おはよう」

誤魔化すように笑うと、不思議そうに瞬かれる。その目は眠たげで、うっかりすると、また目蓋が落ちてしまいそうだ。

「夕飯できたから呼びにきたんだけど、あとにした方がいい?」

「いや、今もらう」

「じゃあ用意しておくから、その間に顔洗ってきてね。ほっぺに跡ついてるから」

指摘すると、紡は目蓋をこする手を頬にやってばつが悪そうな顔をする。そのさまに、ちさきは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
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