星降る夜に願うことは
「今夜は流星群が見頃らしい。一緒に見ないか?」

そう紡に誘われたのは、一緒に夕飯を食べはじめた時だった。
ずいぶんと急だとは思ったけれど、今は夏休み中で今夜も明日の朝もとくに予定はない。それにちさき自身も見てみたい気持ちが湧いてきて、うん、と迷うことなく頷いた。

流星なんて普段は見られないからだろうか。それからは妙に胸が弾んでいた。
暦の上では夏とはいえ、ぬくみ雪が積もった外は冷えるからしっかり防寒しなければ。温かいココアを淹れておくのもいいかもしれない。
夕飯を食べながらあれこれと考え、食後の片付けが終わってから準備をする。水筒にココアを淹れ、コートを着て庭に出ると、すでに紡がブルーシートを敷いて腰を下ろしていた。

「お待たせ。外、冷えるでしょ? ココア淹れてきたから、よかったら飲んで」

水筒を掲げて見せると、紡は「ああ、貰う」と頷いた。ココアをマグカップに注いで紡に手渡す。ありがとう、と受け取り、紡はココアに口をつけて白い息を吐いた。
ちさきも隣に座り、マグカップに注いだココアで身体を温める。ほっと息を吐いて夜空を見上げると、一面に銀色の砂を散りばめたかのように数多の星屑が瞬いていた。南の方には夜空にはためく白銀の絹のように天の川が流れ、川によって別たれた二つの星が一際強く光り輝いている。
ここから見える星空はこんなにも綺麗だったのか。
こんなふうに空を見上げたことなんてほとんどなかったから、ずっと気が付かなかった。

「……星、綺麗だね」

「今夜は新月だからな。おかげでよく見える」

「うん、本当にそう」

目を見張ったままちさきは星空を見つめた。
目的の流星はまだ一つもきてないが、この星空だけでも充分価値のあるものに思える。

「流れ星、紡はもう見れた?」

「まだ。ピークには少し早いけど、しばらく待っていればすぐにくるはずだ」

「楽しみだね」

紡の言葉に従って、二人で静かに星空を見上げる。雲一つない夜空には数えようなんて思いもしないほど多くの星が輝いているので、どれだけ眺めても見飽きることはなかった。
やがて、宵闇を切り裂くように白い光が一瞬空を過る。「あっ」と声を上げ、ちさきは弾かれたように紡を見やった。

「今、流れたよね!」

「ああ」

ついはしゃいでしまってから、紡の瞳が柔らかに細められていることに気付いて我に返る。一人だけ子供のようで、なんだか恥ずかしい。
赤くなった頬を誤魔化すように、ちさきは少しぬるくなったココアに口をつけた。
その時、

「あっ」

と、紡が声を漏らした。
反射的にちさきも顔を上げる。

「流れた?」

「ああ」

「どの辺り?」

「あの辺」

紡が指さす方を見やるが、すでに流星は去った後で、星屑だけが変わらずきらきら輝いている。
見逃してしまったのがもったいなくて、ちさきはちょっと肩を落とし、今度はじっと穴が空くほど星空を見つめた。
そうしているうちにまた白い光が流れて、ちさきと紡は同時に「あっ」と声を上げた。どちらともなく顔を見合せ、ふっと笑い合う。そして、また二人で星空を見上げた。

「思った以上に流れるもんなんだな」

ぽつりと紡が呟く。
星空から目を離したくなかったから紡の顔を見ることはできなかったが、その声はどことなく楽しげに聞こえた。

「紡も流星群を見るのははじめてなの?」

「昔、じいさんと一緒に見たことあるけど、その時はもっと一つ一つの間隔が長かった気がする」

「へえ、おじいちゃんと……なんか、いいね」

きっと過去の紡と勇もこんなふうにここから流星群を眺めていたのだろう。
写真でしか知らない小さい頃の紡と勇が並んで星空を見上げている姿を想像すると微笑ましくて、自然と口元が緩んだ。

「おじいちゃんのところからも見えてるといいけど」

「そうだな。そうだといいな」

それからもぽつりぽつりと他愛もない話をしたりココアを飲んだりしながら流星の訪れを待って、星が流れるのを見つけては「あっ」と声を上げた。昔見た映画と違い雨のように星が降るなんてことはないけれど、こんなふうに胸を踊らせて流星を待つ時間も楽しかった。
そして、いくつ星が降った後だったか。またふいに紡が「あっ」と声を漏らした。

「えっ、どこ?」

ずっと星空を見ていたはずだが、今流れた星はなかったはずだ。きょろきょろと首を巡らせてみてももう見つからない。見逃してしまったのだろうか。そう肩を落とした瞬間、

「いや、冗談」

淡々と悪びれなく紡が言った。
あまりにもいつもと変わらないものだから、一瞬きょとんとしてしまう。けれど、だんだんと意味が理解できて、ちさきはむっと唇を尖らせた。

「紡の冗談はわかりにくいのよ!」

「悪い。そんなに騙されるとは思わなかった」

口では謝っているけれど、紡の声音にはかすかに笑みが含まれていて、本当に悪いと思っていないことは明白だった。
意外にも紡はこういう冗談を口にする時がある。普段は寡黙で嘘なんてつかないのに、たまに子供のような悪戯をするのだ。しかも、いつもと変わらない調子で言うからわかりにくいうえ、忘れた頃にくるから性質が悪い。そのせいで毎回引っ掛かってしまう。
今回も見事騙されたちさきは「もう……」と拗ねた顔を背ける。そうやって怒っていることをアピールするが、紡からは変わらず楽しげな気配が伝わってきて、ちさきはますます唇を尖らせた。
一方で、このやりとりを楽しんでいる自分もどこかにいた。

いつの間にか空になっていたマグカップにココアを注いで口をつける。なんだかほっとする。心地がいい。嬉しい。
だから、ふと思ってしまった。

――ずっとこうして一緒にいられたらいいのに。

その瞬間、星が流れた。

あっ、と声を上げる。流れ星のジンクスを思い出す。流れ星に願い事を三回唱えれば、その願いは叶うという。
願い事なんて、たいそうなものではない。その資格もない。ただ、本当にふと思ってしまっただけ。
それだけのはずなのに、何故か怖くなった。
ふるり、と震えた身体を抱き締める。そうやって胸の奥底から溢れ出しそうなものを抑え込んだ。

「寒いのか?」

心配そうに問われて、顔を上げる。気遣うように顔を覗き込んできた紡に内心どきりとしながらも、ちさきは安心させるように首を横に振った。

「平気、ココアもあるし」

「本当か? 冷えるなら、中に戻っても」

「ううん、大丈夫。……もう少し見ていたいから」

「……わかった。もう少しだけな」

紡は嘆息すると、コートの中からなにかを取り出して差し出してきた。反射的に受け取ったそれは柔らかく温かい。どうやらカイロのようだ。

「それで少しはましになるだろ」

「いいの? これがないと、紡が寒くなっちゃうんじゃ」

「俺はもう充分温まったから」

「……じゃあ、ありがたく使わせてもらうね」

申し訳なくはあるけれど、きっと返しても受け取ってもらえないだろう。紡はそういう人だ。
ぎゅっとカイロを両手で握り締める。冷えた指先がじんわりと温められて、思わずちさきは「……あったかい」と呟いていた。

空を見上げれば、変わらず満天の星が広がっている。しばらく待っていれば、また流星がくるだろう。

「どうして、流れ星に願い事をすると叶うって言うんだろう?」

ぽつりと独りごちるようにちさきは呟いた。
つい、と紡は横目でちさきを見やる。「由来は知らないけど……」と前置きをしながらも、答えを探すように星を見据えた。

「流星が過ぎる一瞬の間に言える願い事っていうのは、多分いつも一番に想い続けてることだから、それだけの強い想いがあるならきっと叶うんじゃないか」

「……いつも一番に想い続けてること」

切実な瞳でちさきは星空を見つめた。
煌めく星屑を集めるように大切なものは増えていく。その輝きはどれも愛しくて、なくしたくはない。でも、順番を間違えてはいけない。
だから、ちさきは心の中で何度も唱えた。

(はやくみんなが帰ってきますように、はやくみんなが帰ってきますように、はやくみんなが――)

次に流れ星がきた時に願えるように。
いつも一番に想うものが海の底で眠る彼らであるように。
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