夢のような日
守鏡でクリスマスのイルミネーションをやっている、と聞いたのは、二学期の期末テストの結果もでて緩んだ空気に包まれた教室でだった。
毎年、この時期になると守鏡の公園に大きなクリスマスツリーが立ち、周りの木々も電飾で彩られるらしい。そんな大規模なイルミネーションなんてこれまで見たことなかったし、なにより今年は彼氏と見にいくのだと語る友人の顔があまりにも楽しそうだったので、ちさきも興味を惹かれた。
だから、その日、紡と一緒に勇の見舞いに向かう道中で、真っ先に口にしたのもそのイルミネーションのことだった。
「今ね、街でイルミネーションやってるんだって」
「ああ、毎年やってるやつか」
そういうものに興味がなさそうな紡が知っていたことが意外で、ちさきはちょっと目を丸くした。
だが、よく考えてみれば、紡は幼い頃守鏡に住んでいたのだ。知っていてもおかしくはないし、もしかすると両親と見にいったこともあるのかもしれない。
気になったが、鴛大師にくる前のことは尋ねがたくて、そのまま同じクラスの友人から聞いた話を続けることにした。
「結構本格的らしくて、去年見にいった子が、すごく綺麗だったって」
「じゃあ、一緒に見にいくか?」
「えっ?」
さらっと言われた一言にさっきよりもずっと驚いて、ちさきは立ち止まって紡を見上げた。
「二十五日、予定はないだろ?」
「ないけど、いいの?」
「よくなかったら誘ってない」
ちさきはますます目を見開く。まさか紡に誘われるとは思わなかった。
けれど、だんだん胸の奥から湧き上がってくるものがあって、気付けば顔が緩んでいた。
「それじゃあ、楽しみにしてるね」
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それからクリスマスまでの数日間、本当に楽しみで、そわそわと心が浮き立った。
たった数日が待ちきれなくて何度もカレンダーを確認してしまったし、クリスマス当日は帰りが遅くなるだろうからと、先にクリスマスケーキを買ったクリスマスイブなんて、去年以上に張り切ってクリスマスらしい豪勢な料理をつくってしまった。
当日の朝もいつも通りのつもりだったけれど、どこかはしゃいでいて、服を選ぶのもいつもより気合いが入った。
それほど数はないが、それでも悩んで、クリーム色のタートルネックのセーターとグレーのジャンパースカートを手にとる。コートを着てしまったら見えなくなるけれど、悩んで選んだ服を着ると気持ちが弾んだ。
そんな気持ちが顔にもでていたらしい。
起きてきた紡に「機嫌いいな」と指摘された時は、子供じみているように思えて、流石に気恥ずかしかった。
けれど、「クリスマスだから」と答えるちさきに、「それもそうか」と返す紡の顔も少し機嫌がよさそうに見えて、紡も同じなんだ、と笑みが零れた。
守鏡に行く前に勇の見舞いに波七海病院に寄る予定だから、昼過ぎには出かける準備をする。
忘れ物がないか確認してから鏡を見ると、髪が乱れている気がした。一度解いて櫛で梳かし、結び直す。また鏡を見つめて、ちさきはよしと頷いた。
新聞の天気予報では今夜は雪が降って冷え込むらしいから、コートを羽織り、手袋とマフラーも忘れずつける。トートバッグを肩にかけて一階に降りると、すでに紡もコートを羽織って待っていた。
「もう行けるか?」
「うん、待たせてごめんね」
「そんなに待ってない」
紡は横に置いていたマフラーを手にとり、首に巻いた。深いネイビーブルーのマフラーは、去年ちさきが編んだものだ。
去年まで、紡も勇もマフラーを持っていなかった。それで凍った海にでるのは首元が寒そうだったので、お節介かもと思いながらも編んで渡したのだ。それから二人は寒くなると、ちさきが編んだマフラーを使ってくれる。そのマフラーを巻いた紡の姿はもう何度も目にしていたが、使ってくれているのを見ると、今でも面映ゆいような気持ちが胸をあたたかくした。
まずは電車で波七海に向かう。
病院までのもう歩き慣れてしまった道には、少し雪が積もっていた。見飽きてしまっているから、今更ホワイトクリスマスだと喜べはしないが、道中の家の門に飾られたリース等と一緒に見ると、不思議とクリスマスらしい景色の一部に思えた。
波七海病院にも十二月に入ってからクリスマスの飾りつけがされていた。小さなツリーや掲示板に張られた折り紙のサンタといった手作り感溢れるささやかなものではあるが、いつもの白い病院とは雰囲気が違っていて、見ていると気分が華やぐ。勇もそうであればいいと思わずにはいられなかった。
なるべく音を立てないようそっと戸を開けて、勇の病室に入る。奥のベッドへ行くと、勇が上体を起こして新聞を読んでいた。今日は体調がいいらしい。
「今日は顔色よさそうだな」
同じことを思ったらしく、紡がそう声をかけた。勇が顔を上げてこちらを見る。目が合って、ちさきは微笑を返した。
「落ち着いてるみたいでよかった。ご飯もちゃんと食べてる?」
「ああ」
少し話してから、着替えを換えるために戸棚を開ける。
と、いつもならあるはずのないものが入っていた。目を瞬かせ、それを手に取る。透明なビニールの小袋と赤いリボンでラッピングされたジンジャーマンクッキーだ。どうして、これが棚に入っているのだろう。
「今日はクリスマスだろう。二人で食え」
どこか悪戯めいた声に顔を上げると、勇がかすかに微笑を浮かべていた。驚いて紡と顔を見合わせる。紡も意外そうな顔をしていた。
クリスマスプレゼントとして、わざわざ売店で買ってきてくれたのだろうか。
じわじわと喜びが込み上げてきて、ちさきは「ありがとう」と顔を綻ばせた。