選んだ未来
海面に顔を出すと、朝日にエナが照り映えた。澄んだ光の眩しさに目を細める。薄青い空には紫がかった雲が淡く棚引いていた。
埠頭に上がると、袖口や髪から水滴が滴り落ち、地面に染みをつくる。服が乾くのを待ちながら、ちさきはさんざめく海を見遥かした。

ずっと凪いでいた海が動き出してから、色んなことが変わりはじめた。汐鹿生の人々は冬眠から目覚め、ぬくみ雪も止んだ。海神様とおじょし様が真に心を通わせたように、海と地上の間にあった壁もなくなりつつある。ちさきの生活も少しだけ変わり、ずっと離れていた両親とともに海の家で過ごすようになっていた。

海の上ではカモメの群れが飛び交い、その近くには漁をする船がある。ああしてカモメが集う場所に魚がいるのだと、教えてもらったのは五年前のことだ。
沖を行く船の中、ちさきは紡の姿を探す。そして、海上に静かに佇む、よく知った船を見つけた。同時に、船上の人物がこちらを振り返る。ちさきが手を振ると、いつものように軽く手を上げて返された。
船が旋回し、こちらに向かってくる。やがて埠頭に着き、船から紡が降り立った。

「はやいな」

「おじいちゃんの退院、今日でしょ。色々準備しなきゃだから。それと、紡には先に話しておきたいことがあって」

紡は少し不思議そうな顔をしたが、無言で頷き、続きを促した。
ちさきは髪をかき上げ、ゆっくりと話しはじめた。

「今日、おじいちゃんにお願いしてみようと思うの。また一緒に、あの家で暮らしたいって」

紡が目を見張った。そこまで驚かれるとは思っておらず、慌てて付け足す。

「もちろん、おじいちゃんが迷惑じゃなければだけど」

「いや、じいさんは喜ぶと思う。けど、本当にいいのか?」

紡は念を押すように尋ねた。
けれど、海の家に帰ってから、何度も考えてきたことだ。心はすでに決まっていた。

「両親とは、もう会おうと思えばいつでも会えるし、このことを話したら、好きにしていいって言ってくれたから」

ちさきは懐かしむように海を見つめた。
これまで何度、こんなふうに地上から海を眺めただろう。

「私ね、ずっと変わらなければいいと思っていたし、変わりたくなかった。ずっと、みんなと一緒に、同じ場所にいたかった。でも、」

潮風が頬を撫でていく。はじめて触れた時は違和感しかなかったのに、今ではすっかり馴染んでいた。

「地上に一人残された私をおじいちゃんが家に迎えてくれて、紡も当たり前みたいに受け入れてくれて、嬉しかったの。みんなと離れて、私だけ変わってしまったのは怖かったけど、それでも、この五年間、一緒に過ごせてよかった。嬉しかった」

隣で息を呑む気配があった。ちさき、と戸惑ったような、感嘆したような声で呼ばれる。
ちさきは振り向き、まっすぐに紡を見つめた。紡が想いを伝えてくれた時のように。

「私、紡が好きなの」

ずっと心の奥底に仕舞い込んでいた言葉を、ちさきは穏やかな気持ちで口にした。
紡ははっきり微笑んだ。

「知ってる」

ちさきは絶句した。
紡に気持ちを知られていることはわかっていた。そもそも、ずっと自分にも隠していた気持ちを暴いたのは、他でもない紡なのだから。
だが、それにしたって、もっと別の反応があるだろうに。
ふと、昔、光と要に男の趣味が悪いと言われたことを思い出した。どうしよう。本当にそうかもしれない。

「やっぱり、紡はモテないと思う」

「別に、ちさきが俺のことを好きでいてくれるなら、それでいい」

大真面目に恥ずかしいことを言うものだから、今度こそ二の句が継げなかった。
拗ねた顔をするちさきに、紡が表情を和らげる。

「だから、ちさきが気持ちを伝えてくれてよかった」

「知ってたのに?」

「ああ」

紡の目に浮かんでいるのは、安堵だった。それは、つい最近も見たものだ。
おふねひきが終わり、海から帰ってきた紡の胸にはじめて心のままに飛び込んだ時も、紡はこんな目をしていた。
やっとこの時がきた。やっとここまで辿り着いた、と。
それはちさきも同じだった。自分自身でも知らないうちに選んで、ようやくここまでこれたのだ。
あの時、はじめて同じ想いを胸に抱いて、紡ときちんと向き合えた気がした。そして、今も――。

「私も、ちゃんと伝えられてよかった。なんか、とってもすっきりしたし」

ちさきは晴れやかに笑った。
ふと、手と手が触れあった。どちらともなく指を絡め、しっかりと繋がれる。不思議と気恥ずかしさはない。ただ、掌から伝わるぬくもりに満ちていくものがあった。エナを潤すように、いつの間にかこんなにも互いの存在が浸み込んでいたのだと、その時気付いた。
波が埠頭で弾け、白い飛沫が朝日に輝く。
ふいに、紡が繋ぐ手の力を強くした。

「俺も、伝えておくか」

「そんなの、もう充分すぎるほど聞い――」

紡が背をかがめる。気付けば驚くほどに顔が近付いていて、あっと漏らした声は吐息ごと呑まれた。
きっと、また何かが変わる。そんな予感がした。
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