人魚の足
山から吹き下ろしてくる風が、ふわりと洗濯物を揺らす。
そろそろ頃合いだろうか。
ちさきはサンダルを履き、庭先にでようとした。だが、一歩踏み出した時、サンダルのベルトが切れた。突然のことにバランスが崩れ、身体が前に倒れる。なんとか踏み止まって、ほっと息を吐いた。
転んでしまわずにすんだこともだが、勇と紡が漁にでている時でよかった。こんなところを二人に見られたら心配させてしまうし、なにより気恥ずかしい。

ベルトの切れたサンダルを持ち上げてみる。気付かないうちに擦り切れていたのだろうか。勇が帰ってきたら謝らなければ。
壊れたサンダルを靴箱にしまい、代わりにローファーを履いて庭先にでる。秋めいてきた日差しに晒された服に触れてみると、もうすっかり乾いていた。ちさきは、よし、と頷くと、洗濯物を取り込みはじめた。
柔らかな布地からは柔軟剤と陽だまりの匂いがする。気分がよくなって、自然と鼻歌が漏れた。

「それ、なんて歌だ?」

「えっと、なんだったかな? 今流行ってるって、憂ちゃんが教えてくれたんだけ、ど……」

振り返りながら答えたちさきは、作業場に立つ紡を認めて言葉を失った。
急速に沸騰するように顔に熱が集まり、耳まで赤くなる。誰にも聞かれていないと思っていたのに。

「いつの間に帰ってきたの!?」

「今さっき。じいさんは仕掛け見てから帰るって」

ということは、勇には聞かれずにすんだようだ。
少しだけほっとするが、紡に聞かれてしまった事実は変わらない。こちらの気など知らず、涼しい顔で作業場に漁網を干す紡にちさきは恨めしげな視線を送った。
紡は時々、妙にタイミングがいいから油断ならない。

きまりの悪さを隠すように、洗濯物の取り込みを再開する。
居間と庭先を行き来しているうちに視線を感じ、ちさきは立ち止まった。視線の主である紡はしかめ面で、ちさきの足元をじっと見つめている。そこになにかあるのかと、足を持ち上げてみるが、乾いた地面があるだけだ。首を傾げていると、ちさき、と声をかけられた。

「ちょっと足見せろ」

ちさきは目を剥いた。一瞬、なにを言われたのかわからなかった。いや、理解したくなかった。
どう考えても危うい発言に唇がわなわなと震える。

「なっ、なに言って」

「足、怪我してるだろ。さっきから変な歩き方してる」

続けられた言葉に、ようやくすべて飲み込めた。
そうだ。よく考えてみれば、相手は紡だ。海と魚にしか興味がないような男の子に、下心なんてあるはずがない。

「確かにさっき躓いたけど、痛くはないから大丈夫だよ」

「いいから、見せてみろ」

有無を言わさない物言いに気圧され、促されるままに上がり端に腰かける。紡はちさきの前に膝をつくと、そっと靴を脱がせようとした。

「待って、自分で脱ぐから」

「じっとしてろって」

狼狽え制止しようとするが、その前に左の靴をとられてしまった。恥ずかしさに目を泳がせているうちに、ゆっくりと靴下も脱がされる。
露になった足首は赤くなっていた。こんなになっているとは思わず、目を丸くする。自覚すると、じくじくと痛みを主張しだしてきた。

「少し腫れてるな」

紡の指先が足首にそっと触れる。と、びくっと身体が震えた。はっとして手が引っ込められていく。

「悪い、痛かったか?」

「ううん、ちょっとくすぐったかっただけ」

大袈裟に反応してしまったことに気まずさを覚え、誤魔化すように笑う。
そうか、とどこか気のない返事をし、紡は玄関の方に回って台所に向かった。がちゃがちゃと金属のぶつかる音と水の流れる音が聞こえてくる。
音が止むと、紡がバケツを持って戻ってきた。

「足、これにつけとけよ」

足元に置かれたバケツの中には氷水が入っていた。
そろそろと足を水に浸す。思ったよりも熱を持っていたのか、水の冷たさが心地よかった。
その間に紡は取り込んだばかりの洗濯物を畳みはじめる。それに気付いて、ちさきは慌てた。

「それはあとで私がやるから」

「怪我人は大人しくしてろよ」

「でも、そんな大袈裟にするほどじゃないし」

「無理して悪化したら、困るだろ」

紡はけして手を止めようとはしなかった。
こうなったら紡は絶対に意見を曲げない。実はかなり頑固な性質なのだ。
ちさきはため息をついて眉を下げた。

「ごめんなさい、迷惑かけて」

「べつに、気にすることない」

昔から勇を手伝って家事をしていただけあって、紡の手際は手を貸す余地もないほどよく、すぐにすべて畳み終えてしまう。
紡は畳まず手元に残しておいたタオルと箪笥から取り出した包帯を持って、またちさきの前に膝をついた。

「足、上げて」

「うん」

バケツから足を上げると、やんわりとタオルで包まれる。痛まないよう気を遣って拭ってくれるせいか、やけにくすぐったかった。
水気がとれると、今度はゆっくりと包帯を巻かれていく。迷いのない手つきではあったが、やはりひどく優しくて、くすぐったい。どうしてか、だんだん見ていられなくなって、ちさきはついと目を逸らした。

くすぐったいからか、恥ずかしいからか、申し訳ないからか、胸がざわついて落ち着かない。冷えた肌に、壊れ物でも扱うかのように触れてくる手は熱すぎた。
逃げだしたいのに、縫い止められたように身体が動かない。ただひたすらに、はやく終わってくれることだけを願った。

やがて、そっと手が離れていった。いつの間にか詰めていた息を吐く。
紡が顔を上げ、眉を寄せた。

「痛むか?」

「ううん、大丈夫」

首を横に振るが、紡はまだ訝しげにちさきを見上げている。あまりにもじっと見つめられるので、ちさきはたじろいだ。

「あの、本当に大丈夫だから。無理はしてないから」

と、あたふたと言うと、ようやく納得して立ち上がった。

「しばらくは走ったり、重い物持ったりするなよ。湯船に入るのも控えた方がいい」

「うん、ありがとう」

紡はかすかに表情を緩めると、バケツを持って台所に向かった。背後から水を流す音が聞こえてくる。
ちさきはそっと包帯の上から足首に触れてみた。よく冷やして固定したおかげで、痛みはあまりない。それなのに、まだ熱が残っている気がして、しばらく立ち上がることができなかった。
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