夢のような日
守鏡行きの電車の時間に合わせて病院を出て、駅に向かう。駅に着いたのは、電車が発車する数分前だった。
クリスマスだからか、乗客がいつもより少し多い。それでも席が埋まるほどではないので、ドア付近の席に紡と並んで座ることができた。

守鏡まで一時間半程かかるので、勇から貰ったジンジャーマンクッキーを食べようとリボンを解いて袋を開ける。ジンジャーマンの笑顔が可愛くて、食べるのがもったいなく思えたが、紡がなんの躊躇いもなく齧ったのを見て、ちさきもくすりと笑って口元に持っていった。
さくっと一口齧ると口の中にスパイシーな味が広がる。生姜がよくきいているが食べやすい。次第に、ぽかぽかと身体の内側から温められていくのを感じた。

「おいしいね」

「そうだな」

ジンジャーマンクッキーを食べ終えて、ちさきは流れていく景色を眺めた。電車に乗った時はまだ夕暮れだったが、だんだん薄暗くなっていき、家や街灯に灯りが点きはじめる。守鏡に着く頃には、もうすっかり日が沈んで夜の帳が下りていた。駅前の街灯やビル群にも灯りが点いて辺りを照らしている。こんな時間に守鏡に来るのははじめてだから、少し新鮮だった。
シャッターの閉まった店も増えているが、それでも鴛大師と比べると明るく賑やかだ。クリスマスツリーやリースを飾ってクリスマスソングを流している店舗が多いから、なおさらそう感じるのかもしれない。

イルミネーションをやっている公園は駅から少し歩いたところにあるらしい。あまり行ったことのない場所で、駅から出てどちらに向かえばいいのかわからずきょろきょろとしていると、紡が「こっち」と迷わず歩き出した。ちさきもその後をついていく。イルミネーションを見にいく人が多いのか、周りを見ると、ちさきたちと同じ方向に行く人たちが何組かいた。

「余所見してると、はぐれるぞ」

「そんな子供みたいなことしないわよ」

子供扱いされて唇を尖らせるが、街灯が点いているとはいえ辺りは暗く、しかもそれなりに人が多いから、油断すると紡の姿を見失ってしまいそうだった。
拗ねる気持ちは残っていたが、紡から目を離さないよう気を付ける。

しばらく並んで歩いていると、きらきらと光り輝くものが見えた。そこから、オルゴールの音が聞こえてくる。曲名は知らないが、クリスマスによく聞く曲だ。多分、賛美歌なのだろう。神秘的なのに、どこかあたたかな音色のもとへ向かいながら、ちさきは白いため息をついた。
公園の周りを囲んでいる木々が、枯れ落ちた葉の代わりに青い星屑を纏って輝いている。公園に足を踏み入れると、まるで星空の中を歩いているかのような気持ちになった。
そして、公園の真ん中には見上げるほど大きなツリーが立っていた。たくさんのオーナメントが吊るされたツリーも青い星屑で彩られている。その頂で大きな星が一際明るく光り輝いていた。
きらきらと、地上で星が瞬いている。
それは、まるで夢のような光景だった。

「綺麗……」

「すごいな」

ほとんど同時に呟いて、紡と顔を見合わせる。穏やかに目を細めて、紡はまたツリーを見上げた。
優しげな横顔が数多の光の粒に照らされて、黒い瞳の中で青い光が煌めいている。その煌めきが、ここにあるどの光よりも綺麗に思えた。

思わずじっと見つめてしまい、はっとしてツリーに視線を戻す。
と、ツリーのすぐ近くに見知った顔を見つけた。このイルミネーションのことを教えてくれたクラスメイトの女の子だ。
声をかけようかと思ったけれど、その子が知らない男の人と手を繋いでいるのに気付いてやめた。確か、今年は彼氏と行くのだと言っていたはずだ。邪魔してしまっては悪いだろう。
なんとなく気恥ずかしいし、あまり見るのもよくない気がして視線を逸らした。

「そっち、なにかあるのか?」

怪訝そうに紡に尋ねられて、ちさきはきまりの悪い顔をした。

「友達を見つけたんだけど、彼氏といるみたいだから、邪魔しちゃ悪いかなって」

「そうか」

少し思案するような間があって、紡はまた口を開いた。

「少し歩くか」

紡の提案にちさきはほっとして頷いた。近くにいると、よくないとはわかっていても、つい気になってしまうからありがたかった。

広くはないが狭くもない公園を紡とゆっくり歩いて回る。
最初はツリーにばかり目がいってしまって気付かなかったが、本来は花壇であろう場所にもスノーマンやトナカイが曳くそりに乗ったサンタクロースのライトが飾られていた。トナカイもサンタクロースもぬいぐるみのようなずんぐりむっくりとしたフォルムで愛らしい。見ていると、自然と頬が緩んだ。

「可愛い。本当に星空を飛んでるみたい」

散らばる星屑の中でトナカイの赤い鼻が鮮やかに輝いていて、有名なクリスマスソングを思い起こさせた。きっと、このサンタクロースたちは迷わずに空を飛んでいけるのだろう。

「そういえば、小さい頃はサンタさんのそりに乗ってみたかったな」

サンタクロースがそりで夜空を駆ける絵本のワンシーンが綺麗で、楽しそうで、憧れたのだ。そしてサンタクロースのプレゼントにそりに乗せてもらうことをお願いして、両親を困らせたことを思い出し、ちさきはそっと目を伏せた。
冬眠してしまった人たちとの幸せな記憶は眩しくて、思い出すたびに痛みをともなう。きっと、すべてが元に戻らない限りずっと。
その痛みを仕舞い込んで、ちさきは紡を見上げた。

「紡は、そういうのなかった?」

「なかった、と思う。サンタの存在も信じてなかったし」

「可愛くない子供だったんだね」

からかうように肩を竦めてみせながらも、覚えてないだけで本当はあったんじゃないかと思った。大人びているように見えて、実は紡も子供っぽいところがある。サンタクロースなんていない、と最初から冷めた態度でいたとは思えない。むしろ、ちさき以上にすごいことをやらかしていそうだ。
小さな紡を想像して思わずくすりと笑うと、顔を顰められた。その反応がおかしくて、余計にくすくす笑ってしまう。
その時、

「ちさき」

ふいに手を掴んで引き寄せられて、ちさきは目を見張った。紡、と戸惑って呼ぶと、二人組の男女がすぐ横を通り過ぎていく。すると、すぐに手を離されて、ぶつからないよう引っ張り寄せてくれたのだと、ようやく気付いた。

「大丈夫だったか?」

「うん。ごめん、ありがとう」

イルミネーションにばかり目がいってしまうけれど、人が多いのだから気を付けなければ。

そう思い辺りを見渡して、男女の二人組がやけに多いことに気付いた。手を繋いでいたり、腕を組んでいたり、明らかに家族や友人の距離感ではない。クラスメイトも恋人と来ていたし、もしかして、ここはそういう場所だったのだろうか。

ちら、とちさきは紡を見やった。
紡に他意がないことはわかっている。わかってはいるが、そういう場所に紡といると思うと、いやに鼓動が速くなった。

「どうした?」

心配そうに顔を覗き込まれて、心臓が跳ね上がる。近い。顔が熱い。
これじゃ、まるで……。
頭を過った考えに、怖れにも似たものが胸を冷やした。
違う。絶対に違う。
心の中で自分に言い聞かせながら、そっと紡から距離をとった。

「ごめん、なんでもない」

悟られたくなくて笑みをつくる。それで納得してくれないだろうから、追及される前に話題を変えた。

「そろそろ出よっか。帰り、遅くなっちゃう」

「もういいのか?」

「うん、もう充分」

まだ見ていたい気持ちはあったが、これ以上ここにいてはいけない気がした。実際、帰りが遅くなるのは困る。
そうか、と頷くと、紡は腕時計を確認した。

「次の電車には間に合いそうにないし、こっちで夕飯食べてくか?」

「そうだね、そうしよっか」

「なにがいい?」

訊かれて、ぱっと思い浮かんだのはクリスマスらしいディナーだった。でも、そういう雰囲気のある店はまずい気がする。もっと色気のないようなところでないと。

「お好み焼き、とか」

「クリスマスらしくないな」

「いいでしょ! 食べたい気分だったの!」

半ばむきになって言い返すと、わかった、と苦笑された。

「確か、ここに来る途中にあったよな」

思い返すように呟いて、紡は歩き出した。
少しほっとしてついていく。星空のような公園から出ると、夢から覚めた心地がした。


******


駅に戻る途中にあるお好み焼き屋はぱっと見混んでいそうだったが、幸いなことに少しは空いていたらしく、すぐに窓際の席に通された。
店内に満ちたソースの焦げたいい匂いが空腹を刺激する。コートやマフラーを脱いで紡と向かい合って座り、メニューを開いた。
定番のものから変わり種まで色々あって、悩んでしまう。一通り目を通して、とりあえず定番のものにしようと最初の方のページに戻るが、それでも種類が多くて決めがたかった。

「二つ頼んで、わけるか?」

見かねたのか、紡がそう提案してきた。
少し考えて、ちさきは「そうしよっか」と頷いた。

「紡はなにがいい?」

「豚玉」

「……じゃあ、もう一つは海鮮にしようかな」

店員を呼んで、注文を伝える。
メニューを戻し、お冷に口をつけると、ようやく人心地つけた気がした。変に意識してしまったせいで、少し疲れたようだ。

店内には楽しげなクリスマスソングが流れている。ぼんやりと聞いていると、背後から視線を感じた。怪訝に思って振り返ると、奥の席に座る大学生くらいの男性たちがこちらを見ていた。睨まれているというほどではないが、あまりよくないものを感じて眉を顰める。なんなのだろう。
見ていたくなくて顔を正面に戻すと、ちょうど若い女性の店員が飲み物を運んできた。温かい烏龍茶がちさきの前に、オレンジジュースが紡の前に置かれる。軽く頭を下げると、店員は困ったような苦笑を浮かべた。

「ごめんなさいね。あの人たち、彼女がいないからカップルを僻んでるんですよ」

「えっ!?」

思いがけない単語に唖然としていると、背後から「お前もだろ!」とヤジが飛んできた。それを「うるさい!」と一蹴する辺り、この店員とあの男性たちは親しい間柄なのかもしれない。
それは別にいい。それよりも、

「違います! カップルじゃありません!」

我に返って慌てて否定する。
だが、店員はおかしそうに笑って厨房に戻っていった。何度か同じようなネタでからかわれたことがあるからわかる。あれは絶対に信じていない顔だ。
本当にカップルなんかじゃないのに。全然違うのに。
もう、とぼやき、ちさきはテーブルに突っ伏してしまいたくなった。

「そんなに嫌か?」

妙に真面目な声で訊かれて顔を上げる。
と、あまりにもまっすぐ見つめられていて、ちさきはたじろいだ。

「嫌っていうか、困るでしょ、紡も」

「べつに、困りはしてない」

「紡は周りを気にしなさすぎ。今はそれでよくても、いつかきっと困るよ。たとえば」

――紡に好きな人ができた時とか。

そう言いかけて、口を閉ざす。
何故か、それを口にするのは躊躇われた。

「……とにかく、困るのよ、色々」

紡の顔を見ていられなくて、窓の外に目をやる。窓には自分と紡の姿が映っていた。

いつかは紡も困る日がくるだろうか。紡の一番近くにいる女の子が、ちさきではなくなる日が。
そうなったら、きっとこんなふうに一緒にクリスマスを過ごすことはないだろう。一緒に暮らし続けることも難しいかもしれない。
あの家で暮らす日々が終わるのは汐鹿生が目覚めた時だと思っていたけれど、まったく違う形で終わりを迎える可能性もあることに今更気が付いた。
夢みたいだと思った。今、こうして紡といることが。
だから、きっといつかは夢から覚めるように終わってしまう。楽しかった今日も、記憶の中だけの思い出になってしまう。
わかっていたことだ。ずっとそばにいることを望んでいいはずがない。
なのに、どうして寂しいと思ってしまうのだろう。
どうして、こんなにも怯えているのだろう。

その理由を考えないように、ぎゅっと目を瞑る。
そっとまた目を開けると、街の灯りに照らされた夜闇に白い花弁のようなものが舞った。あっ、と思った時には、闇を埋めるように空からいくつも落ちてくる。

「降ってきた」

ちさきの呟きに反応して、紡も窓の外に目を向けた。
しんしんと白い雪が降り積もっていく。いつかは溶けて消えてしまうのに。
その雪を二人でじっと見つめていた。
prev * 2/2 * next
- ナノ -