タルトとコーヒー
「回覧板届けてきて」
姉ちゃんに命令され、オレは隣の家の前まで来ていた。
世間でいうところの幼馴染みの家だから、特に緊張することなくドアチャイムを押す。
しばらくするとパタパタと足音が聞こえてきて、ドアが開かれた。
「はーい、どちら様……って、なんだアオイか」
「よお、ハヅキ」
出てきたのは幼馴染みの一人、ハヅキだ。
エプロンをしているし、甘い匂いも漂ってくるから、菓子作りでもしてたんだろう。
「どうしたの?ヒヅキに用でもあるの?」
「いや、回覧板届けにきただけ」
「ああ、ナナミさんに頼まれたのね。アオイ、ナナミさんには逆らえないもんね」
「うるせー」
投げ遣りに回覧板を差し出す。
ハヅキはクスクス笑って受け取った。
「ねえ、さっきタルト焼いたんだけど、よかったら食べる?」
「まじで!?食ってく」
「じゃあ、あがってあがって」
ハヅキの作る菓子はかなりうまい。料理にはうるさい姉ちゃんも絶賛するほどだ。
オレは靴を脱ぎ、ハヅキについてリビングへ向かった。
リビングにはハヅキの双子の弟でオレのもう一人の幼馴染みのヒヅキが、ソファーに座ってピカチュウのコウと遊んでいた。
コウがオレに気付いて威嚇してくると、ヒヅキも気付いたのかこっちに顔を向けた。
「あれ、アオイどうしたの?」
「回覧板届けにきてくれたついでに、タルトをご馳走しようかと思って」
オレの代わりにハヅキが答える。
ヒヅキはふうんとだけ呟くと、コウの背中を撫でた。反応が薄いのはいつものことだ。
コウはまだオレを威嚇している。いつになったらこのピカチュウはオレに懐くんだ。
ハヅキがキッチンに行ったから、オレはヒヅキの隣に腰を下ろした。
その途端、コウが“でんきショック”を食らわせてきやがった。
ビリビリと電撃が体を駆け抜ける。目の前が一瞬真っ白になった。
この野郎!
「小さなピカチュウだと思っていつまでも好きにさせておくと思うなよ!」
オレはコウの首根っこを掴み上げた。
コウが離せ離せというふうに暴れるが、力が弱いからなんてことはない。
一拍遅れて、ヒヅキが慌ててオレからコウを取り上げ、険のある目付きで睨んできた。
「コウをいじめるな」
「そっちが先に仕掛けてきたんだろ!」
いじめではなくただの躾だ。
だが、ヒヅキは責めるような目をオレに向けたままだった。
「アオイが馬鹿だから、舐められてるんじゃない?」
言わせておけば。
このピカチュウにしてこのトレーナーありってことか。
「よーし、トレーナーともども躾直してやる!そこ動くなよ!」
「ちょっと二人とも!喧嘩するならタルトあげないわよ!」
キッチンから聞こえた声に、オレもヒヅキも押し黙った。
目配せすると、ヒヅキは小さく頷いた。
ハヅキを怒らせると後が面倒だ。前に怒らせた時なんて、………思い出したくもない。
ハヅキを宥めようと、オレとヒヅキは強張った笑みを張り付け、肩を組んだ。
「ハヅキ、もう喧嘩してないから大丈夫だよ」
「そうそう。オレ達超仲良し」
「そう?よかった」
ハヅキが納得したのを認めて、オレ達は胸を撫で下ろした。
コウがヒヅキの腕の中でまた威嚇しているが、もう構う気はおきない。
「ねえ、二人は何飲みたい?」
「ボクは紅茶」
「オレ、コーヒー。ブラックな」
「えっ!?」
「はっ!?」
何故かキッチンと隣から驚愕の声が上がった。
何か変なことを言ったか?
「本当にブラックコーヒーでいいの?」
「ああ」
「後悔しない?」
「この家のブラックコーヒーはそんな大層なものなのか?」
たかがブラックコーヒーで、なんでここまで念を押されないといけないんだ。
しまいには、二人から責任は自分でとれよとまで言われた。
なんなんだよ、一体。
深刻そうな顔したハヅキがトレーを持って来て、ソファーの前のテーブルに切り分けられたタルトとカップを並べた。オレのにはブラックコーヒー、ハヅキとヒヅキのには紅茶が注がれている。
コウの前にもタルトとホットミルクが置かれて、コウが目を輝かせた。オレの時とえらく態度が違うじゃねえか。
「はい、どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
オレ達は同時に手を合わせて、タルトを一口食べた。
口内に広がる甘さはくどくなく、フルーツの酸味と合わさってちょうどいい。
「このタルト、うまいな」
「やっぱりハヅキの作るお菓子はおいしいね」
「ぴかぴか」
「ありがとう。口に合ったみたいでよかった」
ハヅキはほっとしたように顔を綻ばせた。
タルトを食べ終えると、オレはコーヒーを飲もうとカップを手に取った。
ヒヅキとハヅキがまじまじと見つめてくる。
居心地が悪い。
「なんだよ」
「苦くないの?」
「見栄はって飲まなくてもいいんだよ」
「そこまで苦くねえし、見栄もはってねえよ」
この反応を見る限り、こいつらはコーヒーが飲めないんだな。
優越感で上がりそうになる口角を押さえ、オレはコーヒーを飲んだ。途端にどよめきが起こる。
「本当に飲んだ!?」
「大丈夫?死なない?」
「お前が毒でも入れてない限りな」
コーヒーひとつでここまで騒ぐとは、おめでたい奴らだ。
大人はみんな飲んでるって言うのに。
「お前らガキだな」
鼻で笑ってやると、二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「コーヒーは飲めないけど、アオイにガキって言われると変な感じね」
「まあ、コウ相手にまで大人気ないガキだから」
「お前らに言われたくねえよ!」
ヒヅキの膝の上のコウまで頷きやがる。
やっぱり、このピカチュウにしてこのトレーナーありか!
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