安眠妨害
どこかから、声が聞こえた。聞こえてくる声は二つ。
一つは、最近仲間になったコアルヒーのアル。
もう一つは、聞いたことがあるような気がするが、よくわからない。
二つの声に引き寄せられるかのように、意識がゆっくりと浮上していった。
******
重い目蓋をゆっくりと上げると、木々の間から満天の星が目に入った。正確な時間はわからないが、まだ夜中みたいだ。
首だけ動かして辺りを見回す。ジャノビーのタージャをはじめ、ハーデリアのリクやゼブライカのシーマ、モグリューのグリ、ヒトモシのユラは眠っているようだったけれど、やっぱり、コアルヒーのアルだけ見当たらなかった。
耳を澄ますと、ずっと遠くのポケモンの声に混じって、近くから囁き声が聞こえた。
そっちを確認しようと、オレはポケモン達を起こさないようにゆっくりと体を起こした。
「起きたみたいだね」
視界の端に人影が映った途端、顔面に向かってアルが飛んできた。
寝惚けた意識が一気に覚醒する。
アルがぶつかる寸前、反射的に前に出した手で捕まえた。
危なかった。もう少しでアルの嘴が眉間に刺さるとこだった。自分のポケモンに悪気なく殺されかけるとこだった。
「アル、どうした?目がさえたのか?」
クアーと間の抜けた声を上げて、アルは翼をばたつかせた。
落ち着かせようと、オレは腕の中で暴れるアルを抱き抱えて体を揺らした。昔、なかなか寝付けなかった時は母さんにこうしてもらったっけ。
「何に興奮してるのか知らないけど、はやく寝てくれ。明日はお前のジム戦デビューだぞ」
「そのジム戦が楽しみで、眠れないらしいよ」
「遠足前の子供みたいだな。でも、寝呆けてたらヤーコンさんに勝てないぞ」
「クアー」
アルは余計に張り切って翼を動かした。
だから、寝ろって。
「どうしたら寝るんだ」
「寝たい時に寝かせてあげればいいよ。強制するのはよくない」
「いや、でも、夜中ずっと起きてんのは体に悪いだろ。コアルヒーって夜行性じゃねえし」
こいつの言うことももっともだが、それで体調を崩させるわけにもいかない。ポケモンの体調管理はトレーナーの務めだからな。
……あれ?
「お前誰だよ!?」
枕元に置いていた懐中電灯を点け、人影の方に向ける。照らし出されたのは、長い若葉色の髪の無駄に整った顔が腹立つ青年だった。
「またお前か」
「キミはボクの顔を見るたびに顔を顰めるね」
「いい加減お前の顔には飽き飽きしてんだよ」
こいつは何度オレの前に姿を現せば気が済むんだ。もう充分だろ。
「今日は何の用だ。眠いから手短にしろよ」
「いや、キミに用があったわけではない。このコアルヒーが一人で修行してたから気になっただけだよ」
Nが同意を求めると、アルは一際大きく羽ばたいた。
「あっそ。用がないなら帰れ」
「何故?」
「眠い時にお前の相手してられるか」
Nは、ふうん、とだけ呟いて、立ち上がる気配を見せなかった。
そうだよな。帰れって言って、こいつが大人しく帰った例しなんてなかったよな。
まあ、ポケモンバトル挑んでくるわけでも、妙なご高説垂れ流すわけでもないから無視しとくか。
それよりも、アルを寝かし付けないと。
張り切ってるとこ悪いが、明日ジム戦させてやれないかもしれない。
オレが眠れない時、母さんどうしてくれたっけ。……確か、ホットミルク作ってくれて、それを飲んだら、不思議と眠気が襲ってきたっけか。ポケモンにもきくかわからねえけど、試してみるか。
アルを地面に置いて、懐中電灯の灯りを頼りにカバンの中から鍋とモーモーミルク、固形燃料なんかを取り出す。それから、燃料に点火してモーモーミルクを注いだ鍋を火にかけた。後は温まるまで待つだけだ。
オレのしてることが気になったのか、アルが手元を覗き込んできた。
「アル、危ないから近付くなよ」
「クアー」
アルは不満げな鳴き声を上げた。
「すぐできるから、もう少しだけ大人しく待っててくれ」
「……クア」
渋々とだが、一応納得して引き下がってくれた。よかった。
「キミはまるで、彼女の親のようだね」
「“おや”だからな」
「ふうん」
今日はやけに大人しいな。
いつも調子でこられると、絶対に怒鳴って他のポケモンを起こしかねないからいいけど。タージャ辺りは起きてるかもしれないが、なんの反応もないから、あえてこっちを無視してるんだろう。
つらつらとそんなことを考えていたら、ぐつぐつと鍋が鳴った。慌てて火から上げて、表面にできた膜を取ってから、二つのカップに分けて注ぐ。
「クア!」
「まてまて、最後の仕上げするから」
ミツハニーの蜜をホットミルクに溶かして、アルの分にはストローを付ける。
「ほら、零すなよ」
ホットミルクを渡してやると、アルは嬉しそうな声を上げてストローに吸い付いた。
「甘そうな匂いだね」
「実際甘いからな」
「ボクは眠気覚ましにブラックコーヒーが飲みたいのだけれど」
「作るわけねえだろ。そんなに眠気覚ましたいなら、こっちこい。喝入れてやるから」
Nに向かって、握りこぶしをつくってみせる。
Nはそれ以上何も言わなかったが、不機嫌そうな雰囲気を醸し出しているのはわかった。
気を遣ったのかアルが器用に翼でカップを持ってNの元に歩いていった。
「クア」
「くれるのかい?ありがとう」
アルが差し出したカップをNは受け取った。暗くて表情の変化なんてわからないが、こいつは雰囲気の変化がわかりやすい。恐らく、微笑んで受け取ったんだろう。焚き火でぼんやりと照らされた暗闇の中、妙にそこだけ穏やかな雰囲気が流れている。
ぼんやりとその光景を眺めながら、ホットミルクに口をつけた。仄かな甘さが口いっぱいに広がり、体の奥から暖まっていくのが感じられた。
平和だな。
……じゃねえよ!
Nが目の前にいる時点で平和じゃねえんだよ。
やばい、眠気に頭がやられてる。
一旦頭を冷やそう。
カップを置き、カバンから水とタオルを取り出した。タオルを水で濡らし、それで鍋を適当に拭く。焚き火は、しばらく燃やしたままにしておくか。
さて、あとはNを追い返せば片付け完了だ。
オレはNの方を向き直った。しかし、焚き火の向こう側にいたはずのNの姿が見当たらない。アルもいない。
まさか、アルを攫いやがったのか!?
くそっ、油断した。あいつがプラズマ団の王だってことを忘れかけてた。
懐中電灯を持って立ち上がり、Nを探すため辺りを見回しながら歩く。と、何か躓いた。瞬間、くぐもった声が聞こえた。
見下ろすと、穏やかな寝息を立てているアルを抱き締めて、子供のような顔して眠るNがいた。そのすぐ傍に、僅かにホットミルクが残ったカップが置かれている。
何してんだ、こいつ。
一応、オレとこいつは敵対してるはずだよな。なのに、なんでオレの目の前で爆睡してんだよ、こいつは。
しかも、我が物顔でアルを抱えて。ふざけんな。アルはオレのだ。
「おいこら、起きろ」
顔を叩いたり、髪を引っ張ったりしてみるが、身動ぎするばかりで起きる気配はない。
せめてアルだけでも取り返そうとするが、取られまいとするかのようにNが余計に腕の力を強くするだけだった。だから、アルはお前のじゃねえ。
「起きろ、馬鹿N」
首筋に手刀をかましてみたが、うっと一瞬呻いただけで、起きやしない。その後は、叩こうが蹴ろうが身動ぎ一つしなかった。
ああもう、面倒になってきた。眠いし。
少なくとも、Nがポケモンに危害を加える心配はないし、放っておこう。眠いし。
アルが眠ったんだから、結果オーライだ。眠いし。
オレは火と懐中電灯を消し、寝床に入った途端に眠りについた。
次の日、オレがタージャに起こされた時には、すでにNの姿はなかった。一瞬夢だったのかと疑ったが、すっかり冷めてしまったモーモーミルク二つが現実だったと主張していた。prev * 1/1 * next