遍く子等への祈り
イッシュ地方を発ち、ホウエン、ジョウト、カントーと各地を旅して回ること約2年。
再びイッシュでプラズマ団が悪事を働いているという噂を耳にして戻ったところ、事件はすでに解決しておりオレの出る幕はまったくなかった。
それ自体はそこまで驚くことじゃない。もともとイッシュには四天王やチャンピオンをはじめ実力あるトレーナーが数多くいるし――チェレンやベルもイッシュに残っている――、2年も経てば有望な新人トレーナーもでてくるだろう。
多少拍子抜けしたものの、今平和ならそれでよし。久しぶりに家に帰ってきたんだからしばらくはゆっくりするか、と考えていたオレの前に突然現れ驚きを提供してくれやがったのがNである。ずっと探していた相手――いや、旅のついでにどっかで会えねえかなと思ってたくらいで、けして積極的に探し回ってたわけじゃねえけど――と、なんで自宅の前で出会わなきゃいけねえんだ。前々から思っていたけど、あいつは神出鬼没すぎる。
その辺については色々言いたいことがあるが、まあ今は置いておく。とにかく、それからなんやかんやあってオレはNと一緒にシンオウ地方を旅することになっていた。


******


ミオシティの真ん中を横断するように流れ海へと続く大きな河川には、コイキングとギャラドスののぼりがいくつも飾られていた。赤いコイキングと青いギャラドスをはじめ、色違いの金のコイキングと赤いギャラドス、さらには本来ならあり得ない緑、紫、銀等々色鮮やかなコイキングとギャラドスの群集が河の上空を泳いでいる。
まるで錦のように水面を染め上げるそれは、オレたちを遥々イッシュから運んできた船を降りた時にはなかったものだ。シンオウの各地を見て回り、また久しぶりミオシティを訪れてみたら河の様子が様変わりしてるんだから、オレもNも手持ちのポケモンたちも呆気にとられて風に泳ぐコイキングとギャラドスを眺めるしかなかった。……興奮して走り出そうとするゼブライカのシーマとドリュウズのグリを自慢の蔓で捕まえるジャローダのタージャが視界の端に見えたが、3匹とも驚いてはいるんだろう。

「……ああ、そうか。今日はこどもの日だからか」

「こどもの日?」

少し我に返って呟くと、Nが首を傾げた。

「お前、イッシュを離れてからの2年間はこっちの方を旅してたんだろ? 見たことないのか?」

「カントーで似たようなものを見たことはあるけれど、ここまでの規模ではなかったよ。ただの飾りだと思っていたけれど、なにかの行事なのかい?」

なるほどな。イッシュにはない行事だし――あったとしても、こいつは知らなかったかもしれないが――、知らなきゃただのコイキングとギャラドスを模した布飾りとしか思わないのも無理ないか。ここまでの規模はなかなかないだろうしな。
オレだってカントー出身の父さんから聞いてなかったら知らなかった。

「シンオウやカントーの方では5月5日はこどもの日っていって、子供の健やかな成長を願ってこういうコイキングのぼりを飾るらしい」

「なるほど。確かこちらではコイキングは大成の象徴だったね」

「そういうこと。あとは五月人形っていう鎧兜の人形を飾ったり、厄落としに菖蒲湯に入ったり柏餅を食べたりだったか」

「ドリュ!」

「ブルルゥ!」

どういう食べ物かわかってないだろうに、グリとシーマが柏餅に反応する。嬉しそうに弾んで、くれるよねくれるよな、とばかりにぐいぐいと詰め寄ってきた。獲物を狙うような瞳をしていて、ちょっと怖いくらいだ。
ほんと、こいつらは食への執着がすごいな。

「わかったわかった。買ってきてやるから落ち着け」

どうにか宥めてタージャ以外はボールに戻し――このテンションのシーマとグリを連れ歩くのはトラブルを起こしそうで怖い――近くの売店で柏餅を買う。そこで店の人が色々教えてくれた。
もともとシンオウ地方にはこどもの日を祝う風習はなかったが、ジョウトやカントーから移住してきた人たちが様々な文化とともにこどもの日もこの地に伝えたらしい。その当時は移住民にギャラドスを嫌っていた人がいたらしくギャラドスのぼりはなくコイキングのぼりだけを飾っていたが、いつの頃からか他の地方と同じようにギャラドスのぼりも飾るようになったそうだ。やっぱりギャラドスのぼりもあった方が迫力があるからね、とのことだった。

そんなコイキングのぼりを眺めながらオレたちは上流の方にある林に向かった。周りに人がいないのを確認してからムーランドのリク、ゼブライカのシーマ、ドリュウズのグリ、シャンデラのユラ、スワンナのアル、そしてレシラムをボールの外に出す。Nも2年前にシンオウで仲間にしたというリーフィアとグレイシアをボールから出していた。
Nは色々なポケモンとすぐに仲良くなるからよく手持ちのポケモンを入れ換えているが、シンオウに来てからはこの2匹を連れていることが多い。リーフィアとグレイシアにとっては故郷だからなるべく一緒に回りたいとか、そういう話し合いがきっとあったんだろう。その姿はまるで普通のどこにでもいるポケモントレーナーみたいだった。

「ほら、お前らの分」

「アリガトウ。柏餅というのは桜餅と似ているんだね」

3人分の柏餅を渡すと、Nは少し不思議そうな顔をして受け取った。カントーよりも冬が長く春の訪れが遅いシンオウ地方ではちょうど今が桜の季節で、この前みんなで花見をしながら桜餅を食べたばかりだった。

「そういやそうだな」

シーマとグリの我慢が限界を迎えそうだったから、適当に相槌を打ってポケモンたちに向き直る。
まずはグリに手渡し、シーマに渡す前に餅を包む柏の葉をとってやろうとするが、その前にシーマが詰め寄ってきてオレの手から葉っぱごと柏餅を奪っていった。

「あっ、こら!」

「ブルルゥ」

シーマは葉っぱごと柏餅を咀嚼しながらご機嫌な声を上げる。本来柏の葉はとるものなんだが。
けど、シーマは全然気にしてないし――もともとゼブライカはその辺の葉っぱも普通に食うしな――、グリも葉っぱをとらずに丸呑みしてるから問題はない……のか?

「食い物は逃げねえし誰も横取りしないんだから、慌てて食うなよ。その葉っぱ、本当は食べるもんじゃねえんだぞ」

一瞬呆気にとられたが、一応苦言はしておく。
だが、それに「えっ……」と反応したのはシーマでもグリでもなく隣に座るNだった。
まさか、と思いながらも振り返る。ぽかんと口を開けたNの手には予想通り葉ごと齧られた柏餅があった。きょとんとした顔でオレを見上げるリーフィアとグレイシアの足下にも当然のように柏の葉ごと齧りかけの餅が転がっている。

「お前もか、N」

呆れて思わず有名な台詞に似た言葉が口をついてでた。
きまり悪そうにNは目を逸らす。手元でこっそりと柏餅の葉をとろうとしているが、今更遅いからな。

「なんで食えると思ったんだよ」

「桜餅は葉も食べていたじゃないか」

「あれはまた別……まあ、いいか」

そこら辺の事情はオレもよく知らないから説明しようにもうまくできない。それに、昔父さんが柏餅を買ってきてくれなければ自分も同じ間違いをした気がする。けど、それを悟られるのは悔しいからこれ見よがしにため息をついて誤魔化した。
Nも機嫌を悪くしたグレイシア――どうやら知らずに柏餅の葉まで食べてしまったことが恥ずかしかったらしい。ちなみにリーフィアの方はまったく気にせずまた葉っぱごと柏餅を食べている――を宥めはじめたから、こっちに構う暇はなくなったらしくなにも言ってこなかった。

その時、とんとんと背中をつつかれた。
振り返ると、目の前にアルがいて「クォーン」とねだるように鳴く。

「ああ、悪い。まだあげてなかったな」

柏餅の葉をとってから、アルに差し出す。アルは器用に嘴で受け取ると、上を向いて飲み込んだ。それで味がわかるのかといつも疑問に思うが、ちゃんとうまかったらしく嬉しそうにパタパタと翼を羽ばたかせた。
同じようにリクとレシラムには葉を外して手渡し、タージャとユラにはそのままやる。甘いものが好きなリクは食べる前から尻尾を振って喜び、レシラムもいつも通り落ち着いてはいるがなんとなく機嫌がよさそうに目を細めているような気がした。
タージャとユラもそれぞれ蔓と超能力で器用に葉を外して柏餅を口にする。タージャは悪くないって言いたげな顔で食べ進め、ユラは炎を揺らしておいしいねとばかりにアルやリクに声をかけていた。
オレも柏餅の葉を剥いて白い餅を口に運ぶ。柔らかな餅を噛むと中からしっとりとしたあんこがでてきて品のいい甘さが口の中に広がった。小さい頃に父さんが買ってきてくれたのを食べて以来だが、なかなかうまいな。

そうして木々の間からコイキングのぼりを眺めながら柏餅を2つずつほど食べ――グリとシーマはもっと食べたがっていたが、夕飯前だからなんとか我慢させた――オレは柏餅と一緒に買ってきた大きめの色紙を取り出した。適当なファイルを台にして色紙を折っていく。
と、甘えるリーフィアを撫でながらNが興味深そうに手元を覗き込んできた。

「それはなんだい?」

「折り紙の兜。せっかくだから、柏餅以外にもこどもの日らしいことをしてみようと思ってな」

折り紙なんて数年振りだから忘れているかもしれないと思っていたが、案外手は覚えていた。わざわざ作り方を調べなくても、正方形の紙はすぐに子供が被れるくらいの兜の形になる。残念ながらオレのポケモンに被らせるには小さいが、なかなかいい出来じゃないだろうか。

「N」

せっかくだから自慢しようとNを呼ぶ。
すると、Nは何故か当然のように帽子を外し頭を差し出すように膝をついた。まるで今まさに王冠を戴こうとする王のようだ。それがやけに様になっていていらっとした。

「お前にやるためにつくったわけじゃねえよ!」

差し出された頭頂部目掛けてチョップをお見舞いしてやる。その手の下でNが呻き声を上げた。
ミスミ、と恨めしげに見上げられる。

「安心しろ、峰打ちだ」

「手刀に峰もなにもないだろう」

「手加減してやったってことだよ」

こんなやりとりはいつものことで、ポケモンたちは気にすることなく思い思いに日向ぼっこしたり遊び回ったりしている。前は心配していたユラも今ではこっちをちらと見やるだけでアルやグレイシアと話すのをやめたりしない。
当然N本人もたいして気にすることなく、肩を竦めてまたコイキングのぼりを眺めはじめた。
オレもなんとはなしにそっちを見やる。
色とりどりのコイキングのぼりは、ここから見ると河川にかかる虹の橋みたいだった。

「……祈りに溢れているね」

独りごちるようにNが呟く。
意味がわからずオレは眉を寄せた。

「急になんだよ」

「コイキングのぼりも柏餅も兜も子供に対する祈りだろう? 健やかに育ってほしい、幸せであってほしいという」

「まあ、そうだな」

急にポエムでも詠み出したのかと思ったが、ただ単にこどもの日の意義を確認していただけだったらしい。

「イッシュにこうした行事はないそうだけれど、イッシュにも、いや、きっと世界中に同じ祈りが溢れているんだろうね」

Nは眩しそうに目を細めた。
今、こいつはなにを考えているんだろうか。Nを森に捨てたという実の親のことか。それともNの親を名乗りながら道具として扱いバケモノと呼んだゲーチスのことか。
わからないが、羨望のような諦観のような横顔に妙に腹が立った。

「お前のために祈ってたやつもいるだろ」

「そうだろうか」

「知らねえけど、お前と一緒にいたポケモンとか、ヘレナとバーベナとかはそうなんじゃねえのか」

とにかく反論したくて思いつくまま口を動かす。
確信なんかない。けど、そうじゃないかと、そうであってほしいと思う。母さんが、父さんが、ランが、アララギ博士が、オレの周りにいた人たちがオレのために祈ってくれたみたいに。
Nはかすかに目を見張り、ふっとおかしそうに口元に笑みをはいた。

「……そうだね。少なくともキミはボクのために祈ってくれるようだし」

「……っ」

返された言葉に二の句が継げなくなる。
なんだか妙にむず痒い。
どうにかそれを振り払いたくて、オレはまたNの頭頂部にチョップを叩き込んだ。



お題箱より「ミスミと手持ちのポケモンとNで子供の日ネタ」
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