平穏崩壊
木々に囲まれた草原に座り、オレはサイコソーダの蓋を開けた。
手持ちのポケモン達も出してやって、彼らにはミックスオレをやる。
狭いボールの中じゃ退屈だろうから、オレはよく手持ちのポケモンを外に出す。
そうすると楽しそうにするし、じゃれてきてくれるからこっちも嬉しくなる。
流石に街中や洞窟内などの狭い場所では自重しているけど。
バトルしたり捕獲したりするのも好きだけど、やっぱりこうやってポケモン達とのんびりする時間が一番好きだ。
今日は陽当たりもいいし、みんなで日向ぼっこするにはちょうどいい。
いい日になりそうだな。
「ミスミ、匿って!」
訂正。今日は厄日になりそうだ。
******
突然やってきて、匿って、などと宣う青年は、Nという電波な不審者だ。
正直、関わり合いになりたくない人物である。
だというのに、こいつはオレの行く先々に現れては、訳のわからないことを捲し立てて去っていく。
実はこいつ、ストーカーでもしてるんじゃないか?
オレはドリュウズのグリの後ろに隠れたNを睨み付けた。
「おい、今日は一体何の用だ。せっかくのオレの平穏な日々を邪魔しやがって」
「理由は後で話す」
「理由なんかどうでもいいから今すぐ去れ」
どすの利いた声を出すが、Nは気にした様子もなくグリに何か話しかけていた。グリもこんな奴の相手しなくていいのに。
なんなんだ、こいつは。
匿ってということは、誰かに追われているのだろうか?
まあ、見えないけどこいつはプラズマ団のトップなんだから、追われる理由なんていくらでもあるだろう。
よし、こいつを捜している奴がいたら引き渡そう。
そう決意した途端、遠くからバタバタとした足音とN様ーと呼ぶ声が聞こえてきた。それはだんだん近付いてくる。
Nの肩がびくっと跳ねた。
あいつらか。
声の方へ目を向けると、奇抜な服装をしたプラズマ団の団員が二名、こっちへ走ってきていた。
Nがプラズマ団に追われている理由はわからないが、あいつらにNを引き取ってもらおう。
そうすれば、オレの平穏無事な一日が戻ってくる。
プラズマ団員はオレの前に来ると足を止めた。
Nはオレのポケモン達の後ろに隠れていて、こっちからは見えない。
「おい、そこの奴。この辺で、長い緑の御髪の高貴なお方を見なかったか?」
「誰だそれは」
本当に誰だ。
緑の髪をした電波で人間嫌いな不審者なら知ってるけど、そいつに高貴なんて形容詞は当てはまらない。
本当に誰だ。
口から思わず出てしまった言葉に、プラズマ団員は、知らないならいい、と返して去っていった。
足音が完全に聞こえなくなった頃、Nがポケモン達の間から顔を出した。
「匿ってくれて助かったよ」
「匿うつもりはなかったんだけどな」
本当に、小指の爪の甘皮程度もなかったんだけどな。
あまりにもあいつらの捜している人物の特徴と目の前にいる奴が違いすぎて、うっかり匿う形になってしまった。
多分あいつらが捜していたのは、オレの目の前にいる電波で人間嫌いで子供っぽい不審者にして変質者なんだろうが。
「なんで、お前がプラズマ団から隠れているんだよ。王じゃなかったのか?」
仕事でもサボったのか、と冗談半分呆れ半分で問えば、いつもの薄笑いを向けられた。
殴りたい。
「原因はキミだよ」
「なんでだよ」
意味がわからない。
Nがプラズマ団に追われている理由とオレに何の関係があるんだ。
眉間に皺を刻んでほとんど睨むような目線を向けると、呆れたようにため息をつかれた。
「キミは自分の価値をわかってないようだね」
「お前らにどう思われていようがどうでもいい。さっさとオレの質問に答えろ」
「性急だね」
「常時早口のお前に言われたくない」
「前にも言われたけど、ボクはそんなに早口かい?」
自覚なしかよ。
最早癖なのか?
投げ遣りに肯定すると、Nはふうんと心底どうでもよさそうな声を漏らした。
なら聞くな。
「で、結局原因はなんなんだ」
「キミに話したいことがあったから会いにいこうとしたのだけれど、何故かゲーチスに止められてしまってね」
「それで抜け出してきたとか言うんじゃないよな?」
「その通りだよ」
「自業自得じゃねぇか」
そこまでして会いにくるなむしろ一生オレの前に現れるなお前の顔なんて見たくないし話も聞きたくない。
一気に捲くし立てて言えば、それは無理だ、と笑顔で返された。
「例えボクがキミの前に現れなくなったとしても、キミがボクを止めようとする限り、いつかは対峙することになるからね」
「なら、今ここでお前の存在を抹消すれば」
「出来もしないことは言わない方がいい」
つまり、オレにはこいつと関わらないという選択肢は残されていないわけか。
頭が痛くなってきた。
プラズマ団の計画が今すぐ頓挫すればいいのに。
そうしてくれれば、オレはこいつと関わらずに平穏な旅ができるのに。
こいつを止めるのやめようかな。
一瞬浮かんでしまった考えを、頭を振って追い出す。流石にそれはまずいだろ。
自分を落ち着けるためにジャノビーのタージャを抱き寄せ、その小さな頭に顎を乗せた。
タージャは抗議の声を上げたが、オレの腕を振りほどくことはなく、されるがままになっている。
なんだかんだで、優しい奴だ。
「そういや、さっきオレに話したいことがあるって言ったよな?」
「ああ、キミがあまりにも横道に逸れたことばかり言うものから、つい忘れるところだったよ」
「誰のせいだ」
「話したいこと、というより警告だね」
無視かよ。
それを口に出してしまえばまた別の話題にいってしまうから、心の中だけに押し留めた。
こいつには、はやく用を済ませて帰ってもらいたい。
「プラズマ団内で、キミを危険分子として排除すべきではないかという意見が出ているから、一応気を付けておいた方がいい」
「さらっと恐ろしいことを言うな!」
明日の天気でも話すような調子で、そんな重大なこと言わないで欲しい。
ああ、頭が痛い。
「なんで、オレがプラズマ団内でそんな有名になってんだよ」
確かにプラズマ団の邪魔はしているけど、それなら各地のジムリーダーもだし、チェレンだってオレと一緒に何度かプラズマ団と戦っている。
オレが知らないだけで、他にもプラズマ団の活動を阻止しようとしている人はいるだろう。
そんな中で、なんで一介のトレーナーでしかないオレが?
「さあね。ボクがキミのことを話してから、というのは確かだけど」
「十中八九お前のせいじゃねえか!」
なに勝手に人のこと話題に出してんだ。出演料よこせ。
「わざわざそんなことを言うためだけに、お前は抜け出してきたのか?オレはお前と敵対してるんだ。オレに何かあった方が、お前にとっては好都合だろ」
「何か勘違いしているようだけれど、キミがいなくなったらボクが困る」
「意味がわからない。オレを勝手に計画に組み込むな」
自分を止めようとしてる人間を計画に組み込むとか、何考えてんだか。
それだけ自分に自信があるのだろうか。だとしたら、NはナルシストのNだな。
「話はそれだけか。だったら帰れ今すぐ帰れ帰って説教でもなんでも受けてこい」
「せっかくだし、キミのポケモンと話してから帰ろうかな」
「せっかくだしじゃねぇよ。って、お前らも懐くな!」
気付けば、Nはオレのポケモン達に囲まれて、和やかに話していた。
奴がこっちを向いたときの勝ち誇った顔が滅茶苦茶むかつく。
さっさとお引き取り願いたいのはやまやまだが、ポケモン達が嫌がってない以上、無理矢理帰すのもどうかと思う。
Nの意志を尊重してやる気はないが、ポケモンの意志は尊重してやりたい。
個人的には悔しくてたまらないけど。
どうして、あいつらはNになんか懐いたんだよ。プラズマ団みたいに人のポケモン盗らないだけましだけど。
いや、あいつ自身がプラズマ団の王だけどさ。
オレは腕の中のタージャに目を向けた。
「お前は、Nと話さなくてもいいのか?」
ほとんど縋るように問えば、タージャは首を縦に振った。可愛い。
「ありがとな」
タージャはふっと笑うと、まだ飲みかけのミックスオレを呷った。
オレもサイコソーダを口に含む。口の中に広がる弾ける感覚がたまらない。
なんとなくNとポケモン達が気になって横目で伺うと、それに気付いたのか、Nがこっちを振り向いた。
視線が交わる。
何とはなしにそのままでいると、Nの視線が下がり、オレの手元に注がれた。
「キミが飲んでいるものと、ポケモンが飲んでいるものは違うんだね」
「ポケモン達のはミックスオレ。オレのはサイコソーダ。ポケモンはミックスオレのが好きだけど、オレはサイコソーダのが好きなんだよ。安いし」
「ソーダ、聞いたことはあるよ。炭酸飽和によって炭酸が発生し」
「そんな蘊蓄はどうでもいい」
Nはオレを無視してまだ語っていたが、全て聞き流した。
オレにとって、ソーダはうまい以外の知識は必要ない。
最後の一口を呷ったとき、物凄く期待した眼差しを向けられていることに気が付いた。
「飲みたいのか?」
「興味はあるよ」
「近くに自動販売機あるから買ってくれば?」
「キミ達のトレーナーはケチだね。今すぐ解放されることをお勧めするよ」
「ひとのポケモンを唆すな!」
ガキか、こいつは。
仕方なく鞄の中から買い置きしていたサイコソーダを取り出そうとして、ある考えが閃いた。
サイコソーダではなくおいしい水を取り出し、飲み終わったサイコソーダの瓶の中に注いだ。そして、それをよく振れば炭酸水の出来上がり。
それをNに手渡す。
「なんだか、嫌な予感しかしないんだけど」
「大丈夫、ただの炭酸水だ」
さあ飲め、と促すと、恐る恐るNはそれを口に含んだ。
そして、次の瞬間にはそれを吹き出し、むせて咳き込んだ。
オレのポケモン達が文字通り飛び上がる。
唯一タージャだけが呆れたような視線を寄越した。
ちょっとした悪戯心だ。許せ。
なかなか愉快な光景だったが、流石に可哀想になってきたから、さっきの余ったおいしい水を差し出す。
Nはそれを受け取ると一気に呷った。若干涙目だ。かなり不味かったんだな。
「なにこれ。キミはこんなものを飲んでいたのかい?」
「そんなわけあるか。それはお前をからかうために作ったものだ」
「性悪」
「お前に言われたくない」
Nは機嫌が悪そうに顔を歪めると、立ち上がって早足で歩き始めた。
なんだ、やっと帰る気になったか。
願ってもないことだが、少し思い直して奴を呼び止めた。
「ちょっと待て」
「……なんだい?」
止まるかどうか不安だったが、Nは足を止めて訝しげにこちらを振り返った。
「これやる」
鞄から取り出したサイコソーダをNに向かって投げた。
Nが目を丸くしてそれを受け取る。
「それはうまいから安心しろ」
Nは目をしばたかせたが、すぐにいつもの薄笑いを浮かべて口を開いた。
それが耳に届くことはなかったが、雰囲気から感謝の言葉ではないことは察した。
やっぱり、やらなきゃよかった。prev * 1/1 * next