帰り道の茶会にて
オレは人並みには影響を受けやすい人間だ。だから、映画館帰りに寄った喫茶店にさっき見た映画にでてきたものがあれば、つい注文してしまう。
というわけで、慣れた様子でトレーを運んできたウエイトレスが、オレの前についさっき見たばかりの映画でリッカ演じるヒロインがうまそうに食べていたカヌレを置いていった。
さっそく食べてみる。表面は硬いが中はしっとりと柔らかい。ほのかに香るラム酒の風味がうまくて、今回はあたりだったなとちょっと口元が緩んだ。
あたりというと、映画の出来もよかった。
悲恋で有名な古典の名作『ロメオとジュリエッタ』と大女優カルネの名を世に知らしめた傑作映画『カロスの休日』をミックスさせたストーリーという触れ込みで、城から抜け出した貴族の娘が偶然出会った男とミアレシティを観光し恋に落ちるが、実はその男は敵対する貴族の嫡男だったというのが大まかなあらすじだが、しめっぽさはなく、むしろコミカルなシーンやアクションが多かった。ラストなんて元にした作品に逆らって、駆け落ちに成功した2人が新天地で手をとり笑い合っていたくらいだ。
元の作品のファンや映画評論家の意見は知らないが、オレとしてはエンターテイメントとしてかなり楽しめた。ちょっと心配していたラブシーンも爽やかなもので、男2人で見ても気まずくなかったしな。
と、オレはテーブルを挟んで向かいに座るNを見やった。
Nは春のシキジカと名付けられた苺をふんだんに使ったパフェを熱心に眺めている。スプーンを手にとってすらおらず、オレは首を傾げた。
「食わないのか?」
「この黄金比を崩してしまいたくないんだ。ミスミも見たまえ。ここの――」
と、長々とパフェの形の素晴らしさを数学的観点から説いてくる。
注文時も「素晴らしい黄金比だ!」と感激して甘党でもないのに甘ったるそうなパフェを頼んでいて、相変わらず意味のわからないやつだと思ったが、やっぱり意味わかんねえな、こいつ。
けど、楽しんでいることはわかるから、まあいいか、と歌うような早口を聞き流すことにする。
正直、こんなやつとロマンス映画を見るとか不安でしかなかった。オレは気まずくなるだけだし、Nも退屈するだけだろうと。
偶然会ったリッカに「せっかくなので見てってください」とチケットを渡されなければ、そんな考えを起こすことすらなかっただろう。
けど、オレとしては面白い映画だったし、Nもポケモンの活躍するシーンが多くて楽しめたらしく、すべては杞憂に終わってくれた。
ポケウッドの傍に新しくオープンしたこのカロス風のカフェもいい感じだし、今日は結構いい日だろう。
Nの長々とした解説をBGMにカヌレを頬張っていると、くいっと袖を引っ張られた。見やると、ムーランドのリクが瞳を輝かせてカヌレを見上げている。
このカフェのオープンテラスは広く、ポケモン用のスイーツも充実していたから、手持ちのポケモンたちをみんな出してそれぞれ好きな味のポフィンを頼んでいたのだが、甘い物が好きなリクはカヌレも気になるようだ。
「少しだけな」
オレはカヌレを半分に割って、リクに食わせてやった。
リクは咀嚼しながら、尻尾を大きく振っている。
その様子にふっと笑って顔を前に戻すと、まだ数学的素晴らしさを説いているNの後ろで、ドリュウズのグリが獲物を狙う目でNのパフェを見ていた。
Nのようにポケモンの声を聞くことができないオレでも、グリがなにを言いたいのかはわかる。「食べないなら、そのパフェおれが食べてもいいよね?」だろ。
多分いいとは思うが、一応確認はとってやるか。
「おい、N」
「ところで、ミスミ」
互いに相手を呼ぶ声が重なる。
どっちが先に話すべきか、と考えたオレのことなどお構いなしに、Nは自分の話を進めた。
「さっきの映画でわからないことがあるのだけど」
「なんだよ」
この野郎、と思いつつも話には乗ってやる。いつものことだ。もう慣れた。
「あの2人はどうして使命を投げ出してしまったんだい?」
あの2人とは主役2人のことで、使命とは家を継ぐとか貴族の役割とかのことだろう。
作中にも「お前は生まれ持った使命を捨てるのか?」という台詞があった。
「なんでって、好き合ってたからだろ」
駆け落ちする理由なんて、他にないだろう。
「たったそれだけの理由で?」
Nが心底不思議そうに眉を寄せる。
その横で、我慢できなくなったらしいグリがパフェのアイスを自慢の大きな爪で掬って食べていた。ゼブライカのシーマが物欲しそうにアイスを見つめると、優しくもやんちゃな笑顔でシーマにもアイスをわけてやってる。
グリに言いたいことはあったが、まあいいか、とオレはNの話し相手に徹することにした。
「好きだから一緒にいたい、ってのは結構でかい理由だと思うぞ」
「そういうものなのか……?」
Nはまだ納得しきれていないようだった。
その様子に、ふとヒサメがNからゼクロムを譲り受けたと言っていたことを思い出した。それから、まだこいつがプラズマ団の王だった時、手持ちのポケモンがいつも変わっていたことを。
Nはポケモンを愛する一方で、使命のためならば当然のように手を離してしまえる人間だったな。
「なにに価値を置くかは人それぞれだからな。あの2人にとっては、使命よりも好きなやつと一緒にいることの方が大事だったってだけだろ」
「そういうものか」
Nは一応は納得したようだった。
だが、目の前に置かれたパフェの黄金比がグリとシーマ、そしていつの間にか加わっていたスワンナのアルとジャローダのタージャの手によってぐちゃぐちゃに崩されていることには、いまだ気付いていないらしい。シャンデラのユラとリクすら気付いて、4匹を止めようとオロオロしているというのに。
面白くなってきたから教えてやる気はないけど。
「キミも使命より誰かを選ぶことがあるのかい?」
「さあ? どうだろうな」
そこまで重い使命は現在背負ってないし、恋もしたことないから、遠い世界の話すぎてわからないとしか言いようがない。
「たとえば、ベルは?」
「あいつはただの幼馴染だし」
「アマネは?」
「アマネもただの友達兼師匠だ」
実際に師匠って呼ぶと嫌がられるけど。ポケモンバトルの修行をつけてくれたから、師匠で間違いないのに。
「では、チェレンは?」
「オレにそっちの気はねえ!」
「ならば、キミの母親」
「それは色々と問題がありすぎるだろ!」
つっこんでから、こいつには恋愛と友愛や家族愛の区別がないことを思い出した。きっとNにとっては全部等しく愛であり、その種類など気にしたこともないんだろう。
そんなやつに恋心とやらを説明するのは途方もなさすぎるし、説明できるほどオレも経験があるわけじゃない。仕方なく、ここはNに合わせて好きの種類は考えないことにする。
「そうだな。捨てるとは逆の話になるけど、オレがイッシュの命運をかけてお前と戦うなんて重すぎる使命を背負おうと思えたのは、こいつらと一緒にいたかったからだな。一応、お前相手に人とポケモンは支え合えるとかなんとか理論武装はしたけど、結局のところ、ポケモンが好きだから一緒にいたいって、ただそれだけの気持ちだった」
ついでに、Nとわかり合いたいという気持ちも一応あったが、それを本人に言うのは癪だから黙っておく。
「ああ、そうか。キミはそうだったね」
Nは懐かしむように目を細めた。
イッシュ全土を巻き込んだ大事件も、こいつにとっては懐かしい思い出なのか。オレもひとのこと言えないけど。
そんな大事件をともにした相棒たちを見ると、グリはパフェの最後の一口に舌鼓をうち、シーマとアルはアイスや生クリームで汚れた口元を見合って笑い、タージャは紙ナプキンで口元を拭いながらNを鼻で笑い、ユラは止められなかったと青白い炎を弱々しく揺らし、リクはそんなユラの顔に鼻先を寄せて慰めていた。
今のオレたちを見て、誰が英雄とその相棒たちだと信じてくれるんだろうな。
「好きという気持ちは使命を背負う覚悟も捨てる覚悟ももたらすものなんだね。考えてみると、ボクもそうだったよ」
微笑してようやくスプーンをとったNは、なにも入っていないグラスを見て、あれ? と首を傾げた。
そこで堪えきれなくなって、オレはついにテーブルに突っ伏して爆笑した。
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