問答
ホドモエシティの広場に備え付けられているベンチに腰を下ろす。ジャノビーのタージャもよじ登ってオレの隣に座った。
なんとはなしに空を眺めていると、視界の端に若葉色の髪の青年が当然のようにタージャの隣に座るのが映った。
タージャがその青年−−Nに気付き、片手を上げて一声鳴くと、そいつはこんにちはと言って笑った。
Nがタージャの頭を撫でると、タージャは気持ちよさそうに目を細めた。
おかしな状況だ。
こいつが現れても驚かなくなったどころか、普通に受け入れているなんて。
慣れ過ぎてなんか麻痺してる気がする。
「キミのトモダチは、いつも幸せそうだね」
「それはよかった。で、今日は何の用だ?」
「キミに訊きたいことがあって」
またロクなことじゃなさそうだ。
小難しい理想の話はもうたくさんだし、それについて意見を求められても困る。
そろそろ他をあたってくれ。
言ったところで無意味だろうが。
タージャにポケモンフードを与えながら、申し訳程度にNの声に耳を傾ける。
「キミは捕まえたポケモンをほとんど逃がしているらしいね」
「待て、なんでお前がそれを知っているんだ」
本格的にストーカーが始まったのか?
やめてくれ。プライバシーをなんだと思っているんだ。
疑いの眼差しを向けると、Nは大仰に肩を竦ませ、違うよと呆れを含ませた口調で言った。
「昨夜、キミのジャノビーが教えてくれたんだよ」
ね、とNが同意を求めると、タージャは小さく頷いた。
タージャよ、何故教える。
訊ねたところで、Nと違いオレにはタージャの言葉がわからないから無駄だ。
Nに翻訳してもらうという手もあるが、こいつに頼るのは癪だ。
まあ、きっと理由あってのことなのだろう。
Nに懐いてしまったという可能性は考えないようにする。精神衛生上、それが一番いい。
「あれ?でも、昨日は会ってないよな?」
「ああ、キミは寝ていたからね」
野宿なんかするんじゃなかった。
野宿の時に、ボールからポケモンを出すのがいけないのか?
でも、ポケモンと寄り添って寝ると、温かくて安眠出来るんだよな。
「本当はその場で起こして訊こうと思ったけど、ジャノビーが『それはやめてくれ』と言うから、わざわざ改めてキミを探すはめになってしまった」
それはオレが悪いのか?
どう考えても、常識が通じないNが悪いだろ。
わざわざ探すのが嫌なら、起きるまで待っていればいいだけじゃ……いや、それはオレが嫌だな。
「それで、わざわざオレを探してまで訊きたいことってなんだよ」
「キミは、ボクの考えに賛同する気になったのかい?」
「はあ!?」
我ながら、随分と間抜けな声が出た。
それくらい素っ頓狂な問いだった。
しかし、Nの表情は真剣そのもので、それが余計に滑稽に映った。
「その様子だと、違うみたいだね」
「当たり前だろ。どうしたら、オレがお前に賛同してるなんていう馬鹿な考えに行き着くんだよ」
「だって、キミのしていることは“解放”と変わりないじゃないか」
なるほど、そう解釈したわけか。
オレがポケモンを逃がすことと、こいつの言う“解放”には大きな隔たりがあるんだけどな。
「オレが捕まえたポケモンを逃がすのは、手持ち六匹以外は育ててやることができないからだ」
手持ちを入れ替えながら平等に育ててやれればいいのだが、どうにもオレの性には合わなかった。
アララギ博士に頼まれたから捕まえはするが、それでは手持ち六匹以外はずっとボックスの中にいることになってしまう。だったら、野生に還すか別のトレーナーに譲った方がいい。
だから、手持ちに加えないと決めたら、即刻逃がすようにしている。
一応、ポケモンの意志確認もしているけどな。
最近手持ちに加わったコアルヒーのアルなんかは、逃がしても追いかけてきたから、そのまま一緒に旅をすることにした。今の手持ちはみんなそんな感じだ。
「というわけだから、オレのしてることは“解放”じゃない」
「成る程ね。確かに、キミのしていることは“解放”ではないね。非常に残念だよ」
Nは肩を竦めるが、残念がっているようには見えない。むしろ、楽しんでいるように見える。
よくわからないやつだ。
「それでは、もう一つだけ訊こうか」
「まだあんのかよ」
もうすでに、タージャがポケモンフードを食べ終わってしまったんだが。
ねだるように鳴かれたから、おいしい水をやった。
ちびちび飲む姿は我が相棒ながら非常に愛らしい。
視線はタージャに向けたまま、意識はNに向ける。
「キミは、その僅かなトモダチと何をするつもりなんだい?」
ついと顔を上げてNを見れば、やはり真剣な表情で、オレの出方を窺っていた。
何をする、か。なかなか、難しい問いだな。
まあ、目先ののことだけを挙げるならば、
「お前を止める」
Nは指を口元に当てて小さく笑った。
「そうだね。そうしなければ、一緒にはいられないからね」
「それもあるけど、もう一つ」
脳裏に思い浮かぶのは、ヒウンシティでムンナを奪われ泣いていたベルの姿。
ポケモンと人間が切り離されてしまったら、もっと悲しむだろう。
ベルだけでない。
チェレンも、アマネも、母さんも、父さんも、アララギ博士も。
「オレの身近にいる人が悲しむから。そんな姿は見たくない」
タージャに目を向けると、オレの方を見てにっと笑った。
やっぱり、こいつらと離れるとか考えられない。
それは、オレの身近な人達もだろう。
そんなこと、Nには理解出来ないだろうなと思いつつ窺うと、やはりいつものように考えの読めない瞳とかち合った。
「このままポケモンが“解放”されなければ、ボクが悲しむよ」
馬鹿みたいに真面目な顔でそんなことを言い出すから、思わず吹き出してしまった。蒸せた。
こいつのせいだこの野郎。
息を整え、Nを睨み付けた。
「お前はいつオレの身近な人になったんだ。オレとお前の間には、越えられない鉄壁が聳えたっているんだからな」
「それを壊していくのキミじゃないか」
「それはどこの『キミ』だよ。たくっ、今度はなんの電波を受信してるんだか」
本当に意味のわからない野郎だな、とタージャに同意を求める。
しかし、タージャは首を振った。
嘘だろ。
「ジャノビーはボクのことをよくわかっているみたいだね」
「うるせぇ!」
隣から聞こえてきたNの笑い声に神経を逆撫でされ、ヤツの脳天に空になった『おいしい水』のペットボトルを叩きつけた。
いたっと小さな悲鳴を上げて、Nが頭を押さえる。
「口で勝てなくなったからって、暴力はどうかと思うよ」
「知るか!」
呆れ顔のタージャをボールに戻して、オレは走ってその場から離れた。
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