偶然とかいらない
Nについていくと、一本の大きな木へと辿り着いた。
Nがその木を見上げた。倣って見上げると、3、4メートル上の枝に一匹のチョロネコがいた。

「助けてって言ったのは、あのチョロネコか?」

「そう。登ったはいいけど、降りられなくなったらしい」

「まだ小さいみたいだしな」

少しだけ安堵する。
もっと酷い目に合っているかと思ってた。

「チョロネコ、受け止めてあげるから、そこから飛び降りるんだ!」

Nは両手を広げてチョロネコを促すが、チョロネコは怖がって降りてこない。
まあ、普通はそうだろうな。
あの高さから飛び降りるのは、かなり勇気が必要だ。

「飛び降りるのは無理だろ。あそこまで登って、降ろしてやった方がいい」

「………」

「どうした?」

急に黙ったNを訝しく思って視線を向けると、目を逸らされた。
……もしかして、こいつ。

「木登りできないのか?」

「……悪かったね」

むっと唇を尖らせた顔があまりにも子供っぽくて、思わず噴き出してしまった。
前々から思っていたが、Nは意外と子供っぽいところがある。
オレより年上で、普段は難しい言葉ばかりを羅列するものだから、そのギャップがおかしくてたまらない。

「笑わないでよ」

笑われてさらに拗ねたNに両頬を引っ張られた。
地味に痛い。結構心狭いな、この野郎。

「い、いひゃいはにゃへ」

「もう笑わない?」

こくこくと首を縦に振ると、ようやく解放された。
頬がじんじんする。

さて、こんな馬鹿なことは置いておいて、はやくチョロネコを助けないと。

「じゃあ、オレが登るから、お前は何かあったときのために下で待っててくれ」

「わかった」

手をかけられるところを探しながら、慎重に登っていく。
木登りは昔から得意だった。チェレンとベルはできなかったから、少し優越感を感じていたほどだ。
この木は取っ手になる枝が多くて、すぐにチョロネコの近くまで辿り着いた。
チョロネコがいる枝は太いから、人一人乗ったくらいではびくともしないだろう。
その枝へ移って、チョロネコの傍まで寄る。
特に警戒されていないようだから、オレはチョロネコを抱き上げた。
まだ震えていたから、もう大丈夫だ、と囁いてやる。
はやく降ろしてやらないとな。

立ち上がって移動しようとして、

「うわっ!?」

オレは足を滑らせた。
重力に従って、オレの身体は落ちていく。

「チョロネコ!ミスミ!」

Nの慌てた声が聞こえた。
そうだ、下にはNがいる。
よかっ………よくない!
あいつの体格じゃチョロネコはともかく、オレは受け止められない。

チョロネコを苦しくない程度に抱き締めて、空中で体勢を整えた。
大丈夫。この高さなら死にはしない。
次の瞬間、両足に固い地面の衝撃が伝わった。
かなり痛い。
思わずその場に座り込んだ。

腕の中で小刻みに震えているチョロネコを見る。
怪我はないみたいだけど、怖がらせたみたいだ。
ごめんな、と謝って小さな身体を撫でた。
それから、まだ少し呆然としているNにチョロネコを渡した。

「そいつ、なんて言ってる?」

「怖かった、びっくりしたって」

「やっぱり。悪かったな、怖がらせて」

「あと、助けてくれてありがとう、とも言ってる」

オレは驚いて、Nとチョロネコを交互に見た。
お世辞ではなさそうだ。
チョロネコに視線を合わせて、どういたしまして、と笑いかけた。

「Nにも言ってやれよ。お前を見つけたのはそいつだから」

チョロネコに教えてやると、Nの方を向いて一声鳴いた。すると、Nが目を細めてチョロネコの頭を撫でた。
そのまま二人(正確には一人と一匹)は、戯れ始める。
Nって不審者だけど、ポケモンには懐かれやすいよな。ちょっとだけ羨ましい。

さて、チョロネコも無事だったことだし、オレはさっさとここから離れるか。

立ち上がろうと足に力を入れると、右足首に激痛が走った。
やばい。
痛めたのはわかっていたけど、予想以上に酷かったみたいだ。
シママのシーマの背中に乗せてもらおうか。
いや、Nに怪我したなんて知られたくないな。
どうすべきか考え込んでいると、急にチョロネコがこちらを向き、次いでNもオレに視線を合わせた。

「なんだよ」

「チョロネコが、キミが怪我してるみたいだって」

流石ポケモン。気付かれたか。
オレは精一杯いつも通りの表情を作った。

「気のせいだろ?オレはどこも怪我なんてしてないぞ」

「本当に?」

「本当だ」

Nは疑わしげに眉根を寄せて屈み込み、オレの右足首を掴んだ。

「いっ……!」

当然、激痛が走る。
痛みで顔をしかめると、呆れたようなため息が聞こえた。

「嘘吐き」

「何すんだ!」

「キミが意地を張るからだよ」

飄々と答えるこいつに、さっきの痛みを受けさせてやりたい。
本当に痛いんだからな。

「救急箱とかないの?」

「鞄の中にあるけど。……まさか、お前が手当てするんじゃないだろうな?」

「そのつもりだけど?」

当然のことのように言うと、Nはオレの鞄から救急箱を取り出した。
持ち主の許可はなしかよ。

「自分でできる」

「怪我人は大人しくしてるものだよ」

「そんなに酷くないし、お前の施しは受けたくない」

「キミって、本当に意地っ張りだね」

呆れたように言うと、また右足首を掴んできた。
思わず悲鳴を上げそうになるのを堪える。
この野郎、一度ならず二度までも。

「大人しくしてないと、また掴むから」

「脅すな!」

くそっ、動けたら今すぐ殴ってやるのに。
結局大人しくしてるほかなく、非常に腹立たしいが、Nに手当てされることになった。
チョロネコが心配そうにこちらを見上げてきたから、大丈夫だ、と言って撫でてやる。チョロネコは甘えたように鳴いた。
しばらくそうしていると、淀みなく動いていたNの手が止まった。

「はい、終わり」

「意外だ。手慣れてる」

試しに右足首を少し動かしてみる。あまり痛くない。これなら歩く程度には問題なさそうだ。
なんで、こんなに上手いんだ。

「傷付いたポケモンの手当てはよくするんだよ。人間相手は初めてだったけれど」

「なるほどな」

その様子は簡単に想像できた。
電波で人間嫌いな不審者だけど、ポケモンのことは大切にしているからな。そこだけは認める。

立ち上がって、その場で足踏みしてみた。
問題なさそうだ。
先ほどまでの激痛が嘘のようだ。

「一応、礼は言っておく。ありがとな」

不本意ではあったが、手当てしてもらったからな。
なにかしてもらったら感謝しなさい、と昔から母さんにきつく言われているのだ。
そうしたら、Nは珍しいものでも見るかのような目をオレに寄越した。

「キミでもしおらしい態度をとるんだね」

「お前の中のオレはどんなんなんだ」

「少なくともこんなに素直ではない」

こんな奴に礼なんかするんじゃなかった。
先程の自分の行動を後悔し、オレはNの脛を蹴って足早にその場を立ち去った。
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