“やさしい”は難しい
「おはよ、紫!」
「あっ、奈津実ちゃん。おはよう!」
登校してきた生徒がいつも以上に賑わう昇降口で呼び止められる。振り返ると、奈津実ちゃんが駆け寄ってくるところだった。
挨拶を返し、奈津実ちゃんがくるのを待って歩きはじめる。
「今日は随分と荷物が多いんだね」
隣に並ぶ奈津実ちゃんが、わたしのトートバッグを指して言う。普段は学生鞄しか持たないから、やっぱり目立つみたいだ。
「ああ、これ?」
これはね、と答えようとしたら、奈津実ちゃんがあっと声を上げた。それから、ひとをからかう時のニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「さては、バレンタインチョコでしょー」
「そうだよ」
「やっぱり。誰にあげるのか白状しろー!」
奈津実ちゃんにこのこのと肘でつつかれる。
それに答えるべく、わたしはトートバッグの中身を一つ取り出した。
「はい、まずは奈津実ちゃんに」
「えっ、アタシ?」
透明なビニールの袋とオレンジ色のリボンで簡単にラッピングしたチョコクッキーを差し出すと、奈津実ちゃんは声を裏返す。
なんだか悪戯が成功した気分になって、わたしはほくそ笑んだ。
「うん。いつも仲良くしてくれるから、そのお礼」
「ありがとう! アンタって本当にいい子だね。しかもこれ、手作りじゃん! 形もきれいだし、おいしそう! ……あっ、アタシも用意してあるから、お昼に渡すね」
「ほんと? じゃあ、楽しみにしてるね!」
大袈裟なくらい喜んでくれた奈津実ちゃんにつられて、わたしも胸の前で手を打って気持ちを表した。わたしの方は大袈裟でもなく、本当にそのくらい、ううん、それ以上に嬉しいのだけれど。
奈津実ちゃんはチョコクッキーをいそいそと鞄にしまいながら、ところで、とまたわたしのトートバッグに視線を寄越した。
「それ、他には誰にあげるの?」
「友達とか、普段お世話になってる人に配ろうかなって」
「……それって、男にも?」
「うん、何人かはそうだね」
嘘を吐く理由もないから正直に頷くと、奈津実ちゃんは眉を寄せてうーんと唸った。
「やめた方がいいんじゃない?」
「どうして?」
そんな顔をされる理由がわからなくて、わたしは首を傾げる。
「それ、全部手作りでしょ? 絶対、本命だって誤解するやつがでてくるよ」
奈津実ちゃんが真剣な顔で、冗談にしか聞こえないことを言う。
本当に真面目に心配してるって顔をしてるから、からかっているわけじゃないんだろうけれど、ギャグにしか聞こえなくて、わたしは笑うしかなかった。
「考えすぎだって」
「アンタが考えなさすぎなの。男って馬鹿だから、すぐに勘違いするよ」
「それは奈津実ちゃんみたいに可愛い女の子の時だけだよ。前に住んでたところでも男の子に手作りチョコを渡してたけど、本気にされたことなんて一度もなかったもん」
今も昔も男友達は人並にいたけれど、色恋沙汰とは無縁だった。バレンタインだって普通に感謝されて、ホワイトデーに普通に義理でお返しされるくらい。
だから、自分が異性として意識される可能性が限りなく低いことくらい――これでも一応女の子だから、ゼロじゃないとは思いたいけれど――よくわかってた。
「それはアンタが鈍いだけ。アンタだって可愛いんだから、もっと危機感持ちなって」
「あはは。褒めてもなにもでないよ」
「もう、あとで後悔しても知らないよ」
奈津実ちゃんはため息を吐くけれど、やっぱり杞憂だとしか思えなかった。