わたしの話
春の森林公園はぽかぽかと穏やかな陽気に包まれていた。芝生からは草の匂いがして、緩やかな風がさやさやと子守唄のように梢を鳴らす。
じっとしているとすぐに微睡みたくなってしまいそうなくらい心地よくて、お弁当を食べたあと、案の定わたしの恋人は一瞬で眠りの世界へと旅立っていってしまった。

そう、恋人。友達ではなく、恋人。

頭の中でその単語を繰り返すと、いまだにニヤニヤと頬が緩む。
卒業式の日に告白されてもう一ヶ月以上経つけれど、まだ慣れなくて、くすぐったくて、嬉しくて、幸せで、告白の時に貰ったクローバーの指輪を左手ごとぎゅーと胸に抱き締めた。

そうしてしばらくは幸福を噛み締めていたけれど、はっと我に返ってわたしはトートバッグからタオルケットを取り出して恋人に――珪くんにかけてあげた。
今日は暖かいけれど、外で昼寝してたら風邪ひいちゃうかもしれないからね。こうなるだろうと思って、用意しておきました。

いつもと同じ気持ちよさそうな寝顔は安心しきっていて、ちょっと、ううん、かなり可愛い。
起こさないようそっとしておこうと思ったのに、堪らなくなって、ついつい珪くんの頭に手を伸ばしてしまった。
触れた髪は猫みたいに柔らかい。
ちらと様子を窺ってみても珪くんはぐっすり眠ったままで、欲望に負けたわたしは珪くんの髪に手を埋めて何度も撫で回した。

珪くんは起きる様子もなくすやすやと安らいだ寝息を立てている。
珪くんはわたしのことを猫みたいだとよく言うけれど、こうしてると珪くんの方が猫みたい。
丸まって眠る明るい毛並みをした綺麗な猫が頭の中に浮かんで、思わずくすくすと一人で笑ってしまった。

(そういえば、はじめて珪くんを誘ってでかけた時もこんなだったっけ)

自分でも理由はよくわからなかったけれど、はば学に入学したばかりの頃のわたしは珪くん――その頃はもちろん名前でなんて呼べなくて葉月くんと呼んでいた――と仲良くなろうと必死で、今にして思えばずいぶんと大胆なことをした。
それまでずっと下校の誘いすら断られていたのに、あまりのしつこさに諦めたのかはじめて葉月くんが一緒に帰ってくれた次の日、調子に乗ったわたしは一緒に森林公園に行かないかと電話で葉月くんを誘ったのだ。
電話の向こうで葉月くんは押し黙った。その沈黙に流石に図々しすぎたかと不安が過った時、「べつに、かまわない」と素っ気ないけれど確かな了承の言葉が聞こえてきて、わたしはひどくはしゃいでしまった。その週はあまりにも楽しみで尽に何度もニヤニヤしてると指摘されたくらいだ。

次の日曜日、待ち合わせの公園入口に葉月くんが来てくれた時は、なんだかそれだけで嬉しくて、ずっとニコニコしていたような気がする。
でも、流石に芝生公園に着いた途端に「少し昼寝させてくれ……」なんて言って本当に昼寝しだした時は驚いた。

「思わず芝生に寝転がりたくなるよね」と先に言ったのはわたしだけど、ほんとに寝ちゃうの!?
モデルさんなのにそんなに無防備で大丈夫なの!?

と、しばらくは目を丸くして葉月くんの寝顔を見ていたけれど、その寝顔があんまりにも気持ちよさそうで、そんなにいいのかな、とわたしも葉月くんの隣に寝転がってみた。

お日さまに暖められた芝生は確かにすごく気持ちよかった。
草の匂いは落ち着くし、穏やかな風も心地いい。これは微睡みたくなっちゃうかも。

納得すると同時に少し眠くなって、わたしはしばらくぼんやりと葉月くんの寝顔を眺めていた。

淡い色の髪が陽光に照されて、きらきらしてる。眠っていても整った顔は変わらず綺麗だけど、無防備でいつもより可愛いかも。
でも、あの緑の瞳が目蓋に隠れてしまっているのはもったいない。あの瞳、綺麗で好きなんだけどな。

そんなことをつらつら考えているうちに、いつの間にか夢を見た。
いつも見る教会の夢。そこでいつもは絵本を読んでくれる男の子が長椅子の上に寝転んで眠っていた。相変わらず顔は逆光になっていてわからないけれど、夢の中の幼いわたしにはちゃんと見えているらしく、じーっと男の子の寝顔を飽きもせず見つめていた。

はやく起きてお話してほしいな。
でも、こうしてずっと寝顔を眺めていたい気もする。

相反する気持ちを抱えながら、楽しそうにわたしは彼の名前を呼んだ

……気がするのだけど、夢というのは脈絡がないもので、突然教会の地下からアンドロイド教師たちがぞろぞろとでてきて、あの光溢れる幻想的な場所を踏みにじっていってしまった。
反乱を起こすアンドロイド教師たち。生徒を守るために立ち上がるアンドロイド教師:プロトタイプの氷室先生。
激闘の末、親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいく氷室先生のシーンは涙なしには見られませんでした。

そんな自分でもなにこれと思うような悪夢から覚めると、綺麗な緑の瞳に見下ろされていた。
寝起きに美形って、慣れてないと心臓に悪いんだね。一瞬で目が覚めたわたしは慌てて起き上がった。

「わー、ごめん! わたしまで寝ちゃって! 今日すごくいい天気だから、つい眠くなっちゃって」

「……そうだな」

淡々とした返事は怒っているわけではなさそうだった。
でも、なんとなくいつもと様子が違う気がして、しばらく目を瞬かせていたわたしはあることに思い至って青ざめた。

「あの……もしかして、わたし、寝言言ってた?」

以前、尽に「ねえちゃん、たまにすげーヘンな寝言言うよな。はやく直さないと、いつか彼氏ができた時困るぞ」なんてお節介にもほどがある指摘をされたことを思い出して尋ねると、葉月くんはついと目を逸らした。そして、言いにくそうに告げられた言葉にわたしは顔を覆ったのだった。

「……氷室先生の目からビームが、とかなんとか」

「違うの! 普段からそんなこと考えてるわけじゃないの! ただ、この間教会の地下でアンドロイド教師が作られてて、そのプロトタイプが氷室先生だって噂を聞いたから!」

「なんだよ、それ」

もう穴があったら入りたい気分だったけれど、それでも、それから日が暮れるまでの一時間、わたしと葉月くんは芝生に座ったままお喋りした。
さっき見た夢の話とか、学校であったこととか。
ほとんどわたしが一方的に話していただけだけど、葉月くんはちゃんとわたしの話を聞いてくれていて、それだけで嬉しかった。

だから、別れ際、わたしは言った。
「今日は楽しかった。来てくれてありがとう」って。
そうしたら、葉月くんも「……俺も、楽しかった、今日」って言ってくれて。
胸が高鳴るのを感じた。その日は嬉しいことばかりだったけれど、葉月くんも楽しかったと思ってくれたことがなによりも嬉しかった。

どうして、あんなにも嬉しかったのか、あの頃の自分はよくわかっていなかった。
今でもきっかけはよくわからない。
はじめて会ったはずなのに何故か懐かしい気がしたからなのか、入学式の時のどこか寂しげな様子が気になったのか、はたまた単なる一目惚れか。
でも、これだけはわかる。
自分の気持ちにも鈍感でなかなか気付けなかったけれど、わたしは最初からずっと――。

「なんでニヤニヤしてるんだ?」

「ひゃあ!?」

急に下から声をかけられて、心臓が跳び上がった。
まだ少し眠そうな緑の瞳がじーっとわたしを見上げている。しばらくは起きないと思っていたのに。
深呼吸をして自分を落ち着かせ、わたしは珪くんに笑いかけた。

「おはよう、珪くん。今日は起きるのはやいね」

ああ、と返事になってるようななってないような声を漏らして、珪くんは上体を起こす。
それでも目はじっと窺うようにわたしを見つめたままだ。
そんなにわたしがニヤニヤ、もといニコニコしてた理由が気になるのかな。べつに隠すようなことじゃないからいいけど。

「はじめて珪くんと一緒にここに来た時のことを思い出してたんだ」

「ああ、お前、ヘンな寝言言ってたな」

「なんでそんなこと覚えてるかなあ……」

お願いだから、それは忘れてほしいんだけど。
なんか、珪くんってわたしの恥ずかしいところばっかり覚えてない?

「もしかして、氷室先生が実はアンドロイドって話、気に入ってる?」

「いや、べつに」

さらっと否定されて、わたしはちょっと驚いた。
あの時も表情はたいして変わってなかったけれど、楽しかったと言ってくれたから、意外にもウケていたのかと思ってたんだけど。

「……なら、どうしてあの時、楽しかったって言ってくたれたの?」

あの時は気にならなかったことが今さら気になって尋ねると、珪くんはそっと目を細めた。

「お前がいたから」

「えっ?」

「お前が隣で楽しそうに笑ってたから、その笑顔を見てるだけで俺も楽しかったんだ」

優しい瞳で、声で語られて、なんだか顔が熱くなってくる。
真正面から珪くんの顔を見ていられなくなって、わたしは芝生に視線を落とした。

「そう、なんだ」

そんなふうに思ってくれてたなんて知らなかった。
ああ、もう、どうしよう。にやけるのが抑えられない。

それでもなんとか抑えようと頑張っていたら、ふいに珪くんが不思議そうにぽつりと呟いた。

「お前こそ、なんであんなに楽しそうに笑ってたんだ?」

えっ、今さら?

咄嗟にそう返しそうになったけれど、はたと思い直す。
そういえば、今のわたしの気持ちは伝えているけれど、あの頃のことは話していなかった気がする。
まあ、気付いていてもよさそうなものだけど、珪くん、ヘンなとこ鈍いからなあ。

「じゃあ、お話してあげる」

「お話?」

「うん、そう、わたしの話」

あの頃は自分でも気付かなかったけれど、今はちゃんとわかってるから。あなたに伝えられるから。
だから、教えてあげる。

わたしがどれだけあなたに恋をしていたか。
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