弟は見た
暮れなずむ公園で、その光景を見かけたのは偶然だった。
ベンチに並んで座る近所の中学の制服を着た男女。はたから見ると中学生のカップルに見えなくもないが、そうじゃないことは俺がよく知っていた。
何故なら、女の方が俺の姉ちゃんだからだ。
姉ちゃんは何気にモテる。
派手でも目立つタイプでもなく、意外とドジでぼーっとしてるとはいえ、俺と似て顔立ちは整ってるし、胸はないけど華奢だし、すぐ怒るけど面倒見はいいし、他にも色々わかるやつにはわかる魅力は確かにあるから当然だろう。
でも、姉ちゃんは色恋沙汰においては驚異の鈍感さを誇っていた。これまで姉ちゃんにアプローチをかけたやつは何人かいたけれど、いつも気付かれないうちに終わっている。
今回はどうなるか見届けるべく、俺は赤く色づいた植え込みの陰に隠れて聞き耳を立てた。

「なあ、東雲」

「どうしたの?」

姉ちゃんが小首を傾げて見上げると、男はわかりやすいくらい顔を赤くした。
確か、中学では姉ちゃんと三年間同じクラスで、男の中では今のところ一番姉ちゃんと仲が良いやつだ。ちょっと地味だけど、爽やかなスポーツ少年。俺ほどじゃないが、いい男予備軍としてくらいは認めてやってもいい。

「東雲って、好きなやつとかいる?」

いないいない。
姉ちゃん、恋に夢見てる節はあるけど、まだ異性に興味ねえもん。

「好きな人? うーん、いないなあ」

ほらな。
男はほっとしたように、でもどこか残念そうに息を吐く。
そんなことに気付きもせず、姉ちゃんはふっと虚空を見つめた。切なげに目を細める横顔は、普段の様子からは考え付かないほど大人びている。
男が息を呑む気配がした。

「でも、会いたい人はいる、かな」

「……会いたい人?」

男が目を丸くする。俺も多分同じ顔をしてるだろう。
姉ちゃんにそんなやつがいるなんて、初耳だった。いったい、どんなやつだ。姉ちゃんにこんな顔させるのは。
知らず知らずのうちに、前のめりになる。

「それって……」

「あっ、今日ははやく帰らなきゃいけないんだった!」

男の話を遮って、姉ちゃんが立ち上がる。大口を開けた顔は、さっきのと同一人物とは思えないほど間抜けだ。
ああ、そういや、今朝父さんに話があるからはやく帰ってこいって言われてたな。

「話の途中でごめんね! じゃあ、また明日!」

呆気にとられる男に手を振り、姉ちゃんは慌てて走り出した。
残された男は肩を落とす。ちょっと可哀想な気もするけど、この程度で落ち込んでちゃ、姉ちゃんは無理だな。
俺もその場を離れ、道に出たところで、今見つけたふりをして姉ちゃんに声をかけた。

「おーい、姉ちゃん!」

「あれ、尽も今帰り?」

「そう、デートのね」

姉ちゃんから物言いたげな視線を感じる。いつものように、俺はそれを笑顔でかわした。

「姉ちゃんも少しは異性に興味持てよ。その年で初恋もまだなんて、かなり遅れてるぞ」

「大きなお世話よ。だいたい、わたしだって初恋くらい……」

「へー、どんなやつ? 俺の知ってるやつか?」

もしかして、さっき言ってた“会いたいやつ”か。
売り言葉に買い言葉で、なかなかいい情報が得られそうだ。
姉ちゃんは記憶を探るように、ぼんやりと遠くを見た。あの大人びた横顔で、木枯らしに消え入りそうな呟きを零す。

「王子様……?」

「へっ?」

「……なんでもない! あんたには関係ないでしょ!」

赤くなった顔をそらして誤魔化したつもりかもしれないけれど、俺の耳には姉ちゃんの声がばっちり届いていた。
我が姉ながら初恋の人が王子様って……。そうとう思い出が美化されてるのか、本当に王子様みたいなやつだったのか。
でも、こっちの知り合いなら俺もだいたい把握してるけど、姉ちゃんの周りにそんなやつはいなかったよな。姉ちゃんが恋してる様子もなかったし。
とすると、俺が物心つく前まで住んでたはばたき市で出会ったやつかな。それなら、姉ちゃんが会いたいって願うのも納得だ。こっからじゃ、かなり遠いもんな。

「なあ、姉ちゃん」

「なによ?」

「初恋にこだわって、婚期逃すのだけはやめてくれよ」

「うるさい」



その日の晩、父さんから聞かされたのは、次の春に本社に栄転するということと、同時に俺たち家族も本社のあるはばたき市に引っ越すということだった。
その話を聞いた時、俺にある考えが閃いた。
姉ちゃんの“王子様”とやらを探してやろう。それが無理でも、いい男を見繕ってやろう。
このままじゃ、本当にいかず後家になりそうだもんな。
ほんと、俺って姉想いのいい弟だよ。
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