木洩れ日に揺蕩う
明日は休日ということも手伝って、ホームルームを終えた教室はいつも以上に緩んだ空気に包まれていた。弾んだ様子で部活に向かうクラスメイトたちを見送りながら、ちさきも鞄に教科書を詰める。
その隣の席で足立がため息をついた。

「あーあ、この後進路指導か……。なに言われるんだろ」

ちさきは手を止めると、あからさまに憂鬱そうな顔をする足立に顔を向けた。

「そんなにたいしたことは言われなかったよ。他の子も言ってたけど、この前の進路調査の確認くらい」

「ああ、ちさきは今日の昼休みだったっけ。もう終わってるのは、ちゃんと勉強してる子らばっかりだから、あんまりあてにならないんだよね」

「足立さんだって、成績いいじゃない」

「うーん、でも、結構偏ってるからなあ」

頭を悩ませる足立を見守りながら、ちさきは少し安心していた。
狭山にふられて学校を休んだと聞いた時は心配したが、もういつもの調子に戻っているようだ。見かけだけで完全に立ち直ったわけではないかもしれないが、高校生には受験という明確な壁があるのだ。落ち込んでばかりもいられないのだろう。その方が気も紛れて、かえっていいのかもしれない。

その時、今まさに教室を出ようとしていたクラスの女子がふいに足を止めた。

「ちさきー、あんたにお迎えがきたよー!」

からかうような調子で告げると、彼女は小走りで教室を出ていった。そして、入れ替わるように紡が入ってくる。ちょうど目が合って紡がこちらに向かってきたので、ちさきは席を立った。

勇が入院してから放課後に紡と見舞いに行くのが日課になってはいるが、クラスが違うため、いつもは昇降口で待ち合わせをすることにしている。こんなふうに、わざわざ教室まで迎えにくることはないはずだ。
入り口を塞いでしまわないよう端に寄り、ちさきは不思議そうに紡を見上げた。

「なにかあったの?」

「俺、この後進路指導だから」

ああ、とちさきの顔に理解が広がった。
紡も今日だったのか。知らされたのはもっと前のはずだから、直前になって伝え忘れていたのを思い出したのだろう。

「もう、そういうことは、もっとはやく言ってよね」

「悪い、忘れてた」

紡は少しばつの悪そうな顔をする。
ほんと抜けてるんだから、とちさきは小さく苦笑を漏らした。

「それじゃあ、終わるまで教室で待ってるね」

「ああ。多分、そんなに時間はかからないと思う」

うん、と相槌をうった時、紡のブレザーのボタンがとれかかっているのが目に入った。
今朝はなんともなかったはずだが、どこかで引っかけたのだろうか。

「紡、ボタンとれそうだよ」

紡も自分の胸元に視線を落とし、わずかに眉を上げた。紡も今気付いたらしい。

「待ってる間につけ直しておこうか?」

「そうだな、頼む」

紡はブレザーを脱ぐと、ちさきに手渡した。それを受け取り、紡が教室を出たのを見送ってから席に戻る。
鞄からソーイングセットを取り出し、糸切ばさみでほつれたボタンの糸を切ってしまうと、足立が含みのある笑みを浮かべた。

「なんか、そうしてると新婚みたい」

「だから、そういうのじゃないって」

針に紺の糸を通し、玉結びをつくりながら、ちさきは眉を下げた。
はいはい、と声を弾ませる足立にからかっているだけとはわかっていても、どうにも意識してしまう。少し前、噂されるのを嫌って学校では紡を避けてしまっていた頃と比べれば、ずいぶんとましになってはいるけれど。
無心になるためにも、ちさきはブレザーにボタンを縫い付けはじめた。

「でも、家族仲がいいのはいいことじゃない?」

「家族、か……」

何気なく足立が発した言葉を、思わず繰り返し独りごちた。
どうかしたの、と足立が訝しげな顔をする。なんでもないよ、とちさきは誤魔化すように笑ってみせた。

勇が倒れた時、勇と紡と一緒に過ごした日々の大切さに気付いて、なんのしがらみもなく二人のことをもう一つの家族だと思えるようになった。こうして言葉にしてみると、その重さとあたたかさがゆっくりと胸に沁みていく。
足立ととりとめのない会話を続けながらも、ちさきはそのことを実感していた。

ボタンを付け終え、糸の始末をする。少し引っ張ってみて緩みがないことを確認して、ちさきは満足げに微笑んだ。
足立もちさきの手元を覗き込み、感心したような声を漏らす。

「ちさきって器用だよね」

「そうでもないよ。簡単なことしかできないし、料理だって紡の方がずっと上手だし」

「そうなの? なんか、さすが木原くんって感じ」

唸るような足立の言い方がおかしくて、なにそれ、とちさきは声を立てて笑った。
と、音を立てて教室の扉が開かれた。二人がそちらに目をやると、呆れた顔で清木憂が入ってくる。

「足立、まだここにいたんだ。先生がはやくこいって言ってたよ」

「えっ、嘘!? もうこんな時間!?」

足立は時計を見やると、目を見張った。慌てて立ち上がり、鞄を引っ掴む。

「それじゃ、また来週!」

「あっ、うん、またね」

清木の脇を駆け抜けていく足立を、ちさきは呆気にとられて見送った。

「しっかりしてるようで、足立も結構抜けてるよね」

清木が苦笑いを浮かべる。顔を見合わせて、ちさきも同じ顔をした。

「憂ちゃんは進路指導終わったの?」

「さっきね。思ったより、たいした話はしないもんだね。もっと脅かされるかと思ってたから、拍子抜けしちゃった」

清木は肩を竦めてみせた。

「ちさきは木原くん待ち?」

「うん、紡も進路指導だから」

「そっか。どこのクラスも大変だね」

清木は自分の席に向かうと、引き出しからノートを取り出し鞄に仕舞った。どうやら忘れ物をとりにくるついでに足立を呼びにきただけらしい。

「それじゃ、私も帰るね。また来週」

「うん、また来週」

ひらひらと手を振る清木に手を振り返す。
清木もいなくなってしまうと、いつの間にか教室に残っているのはちさきだけになっていた。遠くの喧噪がかすかに響くなかで、時計の針の音がやけに大きく聞こえる。なんとはなしに眺めているうちに長い針が三度動き、また教室の扉が音を立てた。そこに立つ紡の姿を認め、鞄とブレザーを持って駆け寄る。

「お疲れさま。はい、これ」

「ありがとう」

紡はちさきからブレザーを受け取ると、その場で袖を通した。ボタンを締める様子を見るに、とくに変なところはなさそうだ。

「悪いな、少し長引いた」

「ううん。でも、ちょっと急ごうか」

振り仰いで黒板の上にかけられている時計を示す。面会時間は二十時までだから、まだまだ時間はあるが、あまり遅くなっても迷惑だろう。
紡は眉を寄せると、そうだなと頷いて踵を返した。ちさきも照明を消すと、紡に続いて教室を出ていった。
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