遥か遠き白銀の
やっぱり騙されてるんじゃないか。

何度思ったかわからないことを考えながら、ムーランドのリクの背に乗って雪道を進む。アオイさんはともかく、ハヅキさんは嘘ついてる感じじゃなかったから、ヒヅキさんがこの山の頂上にいるのは本当なんだろうが。

思わずついたため息も白く染まる。
行けども行けども自分とリク以外白しかない世界。だんだん本当に前に進んでいるのかもわからなくなってくる。実はずっと風に押し戻され続け、その場で足踏みしてるだけなんじゃないだろうか。
ああもう、こんな過酷な道をなんだってあいつなんかのために行かなきゃならないんだ。だんだん腹が立ってきた。
衝動的にオレはリクの首に顔を埋めた。

「ばう」

「いや、大丈夫だ。せっかくここまで来たんだ。頂上までいこう」

心配そうに振り返ったリクの頭を撫で、先に進むよう促す。リクは気遣わしげにもう一度鳴いて、再び雪の中を歩みはじめた。

しばらく進んだところで、突然リクが立ち止まった。遠くを見つめて、ぶるりと震える。明らかになにかに怯えている。
シロガネ山の洞窟の中でだって、リクがここまで怯えを見せることはなかった。生来臆病な性格とはいえ、こいつだって強くなったんだ。多少強敵が現れたくらいじゃ、もう怖がったりなんかしない。
そんなリクがここまで怯えるなんて、いったいこの先になにがあるんだ。

「リク、大丈夫か? 戻るか?」

「きゃ……ばうん」

リクは気丈に首を横に振った。
リクは警戒心が強い。とくに悪意には敏感だ。そんなリクが怯えはしても進むのはやめないということは、この先にいるのは強いものではあるが、悪いものではないんだろう。

リクを信じて、さらに先に進む。すると、雪の向こうに人影が見えた。一面白ばかりの中、赤い服とキャップが存在を主張する。

あれがヒヅキさんか?

さらに近付くと、はっきりとヒヅキさんらしき人の姿が見えるようになって、オレは目を剥いた。
その人は、こんな雪山の中を半袖で立っていた。
どう考えても普通じゃねえぞ、この人。

「あんたがヒヅキさんですか?」

「キミがアオイの言ってたミスミ?」

質問を質問で返されたことに微妙な気持ちになりながらも肯定する。一応、ヒヅキさんで間違いはなさそうだ。

と、目深に被られていた帽子のつばが上げられ、その下にあった黒曜の瞳とかち合った。
瞬間、ぞくりと怖気が背筋を走った。プレッシャーが肌を刺す。身体が震えるのは、寒さだけのせいじゃなかった。
そうか、リクはこの人に怯えていたのか。

なんとか震えを抑えようと拳を握ると、何故かヒヅキさんがモンスターボールを取り出して高々と投げた。そこから、すでに電気を纏ったピカチュウが現れる。イッシュ地方でもアイドルのように扱われている黄色く愛らしいポケモンは、好戦的にばちばちと電気を鳴らした。
どこからどう見ても臨戦態勢だ。

「キミの最初のポケモンは、そこの子でいい?」

ヒヅキさんもポケモンバトルする気満々だった。
なんで当然のようにバトルする流れになってるんだ。アオイさん、いったいどんな説明をしたんだよ。

「いや、オレはバトルしにきたわけじゃ……」

「えっ?」

心底がっかりしたような声がヒヅキさんの口から漏れた。表情は変わらないが、ひどく失望された気がする。心なしか、精神的だけでなく物理的な距離も遠くなったような……。
いや、確実に遠くなってる。確信した時には、じゃあ用はない、とばかりに背中を向けられた。

「わかりました! やりましょう、バトル!」

ヤケクソに叫ぶと、ヒヅキさんはようやく振り返って首を縦に振ってくれた。
バトルする元気なんて残ってないが、こうでもしないと話も聞いてもらえそうにない。
オレは地面に降りて、困惑するリクの背中をあやすように撫でてやった。

「よくわかんねえけど、そういうことだから頼む」

「ばう」

はりきるように頷いて、リクは前にでた。可愛いというには凶悪すぎる顔で睨んでくるピカチュウを負けじと睨み返す。

こんなに強そうなピカチュウははじめて見た。過酷極まりない場所で修行しているだけあって、ヒヅキさんもヒヅキさんのポケモンも極限まで鍛え上げられているのかもしれない。
正直、まだ状況についていけてないが、油断したらすぐにやられそうだ。気を引き締めていかねえと。

「ルールは?」

「6対6、シングル」

「入れ替えはありでいいですよね?」

ヒヅキさんは無言で頷いた。
ハヅキさんから聞いてはいたが、本当に無口な人だな。

「じゃあ、いきますよ! リク、“おんがえし”!」

「“かげぶんしん”」

リクが駆け出し、渾身の一撃をピカチュウに食らわせる。だが、その直前にピカチュウの姿がぶれて消えた。ぱっとは数えられない数のピカチュウがリクの周りを取り囲む。

「落ち着いてにおいを辿れ!」

“かげぶんしん”で数が増えたように見えても、実体は1匹のままだ。視覚よりも嗅覚に優れているリクなら、惑わされることはない。

だが、

「“ボルテッカー”」

ピカチュウの身体が電気に包まれた。瞬間、リクが稲妻に撃たれ弾き飛ばされる。あまりの衝撃にわずかな間一帯の吹雪が凪いだ。
オレが我に返れたのは、再び雪が頬を殴りつけてきた時だった。

「リク、大丈夫か!?」

雪の上に叩きつけられたリクは、四肢を投げ出して気絶していた。これ以上の戦闘はもう無理だ。
「戻って休んでくれ」とモンスターボールにリクを戻す。背中に冷や汗が流れた。

こんなところで暮らしてるんだから、ただ者じゃないのはわかっていたが、桁外れの強さだ。

「いけ、グリ!」

少しでも緊張をほぐすため大きく振りかぶって投げたボールから、ドリュウズのグリが現れる。
グリは寒さに顔を顰めたが、すぐにピカチュウを見て目の色を変えた。グリも感じてるんだろう、あのピカチュウのただならぬオーラを。好戦的な光を瞳に宿し、気合いをいれるように爪を打ち鳴らした。

ヒヅキさんはグリを見てもピカチュウを戻さなかった。
それはドリュウズというポケモンを知らなかったからか、それともじめんタイプ相手でも負けない自信があるからか。
前者であってくれたら嬉しいんだけどな。

「グリ、“じしん”」

「コウ、“ボルテッカー”」

地面と踏み鳴らそうとグリが足を上げる。だが、それが踏み下ろされるよりも電気を纏ったピカチュウが距離を詰める方が速かった。
そして、

「“アイアンテール”」

“ボルッテカー”の勢いを利用して、鋼の如く硬くなった尻尾をグリに打ちつける。咄嗟にグリは爪で受け止めたが、衝撃を殺しきれず尻餅をついた。

「ちっ……。なら、“じだんだ”!」

グリはその場でじたばたと暴れて、地面を大きく揺らした。着地した瞬間に足場が揺れて、踏ん張りきれなかったピカチュウがバランスを崩し雪原に転ぶ。すぐに気合いで起き上がったが、足が少しふらついていた。ぎりぎり踏み止まっているだけのようだ。

「コウ、戻れ」

「ぴっかあ!」

ヒヅキさんはピカチュウにボールを向けた。振り返ったピカチュウが不満げな声を上げる。

「いいから、今は休んでよ」

「……ぴか」

抑揚が少ないながらもわずかに心配そうな響きを持った声に、仕方なさそうに了承してピカチュウがボールに戻っていく。

倒し切れなかったが、一矢報いるくらいはできたな。グリは悔しそうに雪を蹴っているが、悪くない結果だ。
この霰じゃこおりタイプのポケモン以外は外に出ているだけで体力を奪われていくし、あのピカチュウがまた出てきたところで長くは戦えないだろう。

「よくやった。この調子でいくぞ!」

「リュウズ」

気合いを入れ直すよう一際強く地面を踏み鳴らし、グリはヒヅキさんに向き直った。
ヒヅキさんの表情はとくに変わらない。恐ろしいくらいに冷静だった。

「いけ、カイ」

次に投げられたボールから現れたのは、カビゴンだった。あまりにも大きく重い身体に、着地とともに地響きが起こる。
動きはのろい。だが、その分圧倒的なパワーを持っていることは見るだけでもわかった。グリも楽しげに爛々と輝いた瞳でカビゴンを見据えた。

「“はらだいこ”」

「“じしん”」

カビゴンが自身の腹を太鼓のように打ち鳴らす。その間にグリが地面を踏み鳴らして大きく揺らした。トレーナーのオレまで立っているのがやっとの揺れだが、カビゴンは気にした様子もなく、安定したリズムを刻んでいた。

「グリ、もっとだ!」

グリはさらに地面を揺らした。流石に“はらだいこ”のリズムも乱れる。
“はらだいこ”は自分の体力を半分まで減らすことで極限まで攻撃力を上げる技だ。相手の攻撃がくる前になんとしても倒したい。

「“ねむる”」

オレの甘い考えを嘲笑うように、カビゴンは地面が揺れる中でぐっすり眠って体力を全回復させた。
なるほど、その手があったか。
だが、眠ったらしばらくは目覚めない。その間に削れるだけ削れれば――。

「今のうちに“つるぎのまい”」

グリが風にのるように、雪とともにくるくると回り出す。いつ見ても舞いには見えないが、効果はばっちりだ。これで攻撃力をぐーんと上げて、

「また“じし――」

「“のしかかり”」

グリが舞い終わる直前、ばっとカビゴンが起き上がった。瞬間、地を蹴って砲弾のようにグリに突撃し、雪の上に倒れ込んでのしかかってくる。全体重をかけて潰され、グリが悲鳴を上げる。雪山に響く声はどんどん小さくなっていき、やがて風にかき消された。
カビゴンがゆっくりと起き上がると、雪に埋もれてぴくりとも動かないグリの姿が見えた。戦闘不能だ。

「悪い、焦りすぎた」

グリをボールに戻し、オレは苦虫を噛んだ。
“ねむる”を使ってくるようなやつなら、当然眠っている状態でも覚えている技をランダムに繰り出せる“ねごと”か、一瞬で目を覚まさせるカゴの実を持っているはずだ。今回は後者だろう。その可能性をすっかり失念していた自分に腹が立つ。

圧倒的な力に気圧されてる場合じゃない。
自分を取り戻すため、冷えきった頬を叩いた。

「よし。頼んだぞ、ユラ」

投げたボールからシャンデラのユラが現れる。
あまりに酷い寒さだからか、ユラが気遣うように振り返ってくれた。シャンデリアのような身体に灯った青白い炎がゆらゆらと揺れ、少しだけ寒さがましになる。……気がするだけかもしれないが。
大丈夫だ、と頷き、オレは指示をだした。

「ユラ、“おにび”!」

ユラがゆらゆらと妖しく揺れる炎を放つ。避ける動作はしたが巨体ゆえに避け切れず、カビゴンは肩の辺りに火傷を負った。これで少しは攻撃力も下がるはずだ。

「“10まんばりき”」

カビゴンが身を低くしたと思った瞬間、大砲のような勢いで迫ってきた。風圧でユラの炎が大きく揺れる。

「“いたみわけ”」

カビゴンがユラにぶつかった瞬間に指示をだす。
と、ユラが後ろに弾き飛ばされるるとともに、カビゴンの巨体が傾いだ。雪を舞い上げて、うつ伏せに倒れる。「カイ?」とヒヅキさんに名前を呼ばれ、すぐに起き上がったが、明らかに息が上がっていた。のんきに見えた顔も引きつっている。
対して、ユラの方はあんな攻撃を食らったのが嘘のようにぴんぴんとしていた。“いたみわけ”で自分とカビゴンの残りの体力を足して半分に分けたのだ。結果、カビゴンは体力を吸いとられる形になり、大ダメージを負っていたユラは回復する形になった。

「まだいけるよね。これで決めよう、“10まんばりき”」

「“オーバーヒート”で少しでも勢いを殺せ!」

ユラはフルパワーで業火をカビゴンに放った。カビゴンは避けることすらせず、炎の中を突っ切っていく。弾丸のように炎の壁を貫いて突撃してきたカビゴンにユラが潰される。硝子を鳴らしたような悲鳴が銀世界に響き渡った。

悲鳴が止むと、辺りはぞっとするくらいの静寂に包まれた。
起き上がったカビゴンの下から倒れたユラがでてくる。「ユラ!」と呼びかけるが、消えかけの炎がかすかに揺れるだけだった。
わずかでも体力が残ってくれていれば、また“いたみわけ”で回復と攻撃ができたが、耐えきれなかったか。

その時、どさりとなにかが落ちたような音がした。
見やると、カビゴンが雪にめり込むようにうつ伏せで倒れている。ヒヅキさんがボールに戻したのを見て、ようやくあっちも戦闘不能になったのだと理解した。火傷と霰で残り少ない体力を削りとられたらしい。
結果は相討ちか。劣勢には変わりないが、諦めなければ勝機はあるかもしれない。

「ユラ、よくやってくれたな」

ユラをボールに戻し、次にだすポケモンを考える。
こっちは残り3匹。あっちはピカチュウを入れてまだ5匹。無駄に倒されるわけにはいかない。

「ようやく本調子になったのかな」

ボールを構えて、ヒヅキさんが呟いた。声の調子は淡々としたものだが、セリフはまるで挑発だ。

いいぜ、ここまできたらのってやる。
訳のわからないまま仕掛けられたバトルだけど、なにもできずに負けるのは癪だ。ここから逆転して、その鉄面皮を引き剥がしてやる。
prev * 2/6 * next
- ナノ -