無色の旅路4話没版
プラズマ団とかいう連中が撤収した後も、広場は騒ついていた。
「私はポケモンを苦しめていたのか」と自分を責めるおっさん。「ポケモンはかいほうしなきゃいけないの?」と無邪気に問うてくる娘に「そんなことないわよ」と諭す母親。「ありえない話だ」と笑い飛ばす青年。
ゲーチスとかいうやつの話は、ここの人達にかなりの衝撃を与えたようだ。

「さっきの連中、なんだったんだろな?」

タージャは興味なさげに鼻を鳴らした。リクはあのおっさんがいなくなったことに安心しているらしく、ゆらゆらと尻尾を振っている。
こいつらにとって、さっきの演説は対岸の火事だったらしい。
人波を眺めていると、その中からベル達が出てきた。

「ミスミ、さっきの話の意味わかった?」

「話の意味はわかったけど、ファッションセンスは謎だったな」

そうだねえ、とベルはへらへら笑った。

「君たち、ずいぶんと軽く考えるね」

「チェレンはおっさんの話を気にしてるのか?」

チェレンは心外そうに眉をひそめた。

「まさか。トレーナーとポケモンはお互いに助け合ってる。あんな連中の言うこと、気にする必要ないよ」

「そうだよねえ。一緒にいた方が楽しいもん」

ねえ、とベルはミーちゃんとチーちゃんに笑いかけた。意味をわかっているのいないのか、ミーちゃんとチーちゃんは笑い返した。
ポカブも当然のようにチェレンに寄り添っているし、なによりタージャもリクも自分の意志でオレと一緒にいてくれてる。
あのおっさんの話も一理あるけど、解放なんかしなくてもオレ達は対等な関係を築けている。

「じゃあ、僕は先に行くよ。はやくジムリーダーと戦いたいからね」

「そっか、お前の夢はチャンピオンだったな」

「がんばってね!」

「ミスミとベルも、気を付けなよ」

先へ向かうチェレンとポカブを見送る。
チェレンもポカブも張り切ってるな。

「ベルはどうする?」

「あたしはまず買い物がしたいなあ。ポケモンセンターにショップがあるんでしょ?」

「そうそう。トレーナーの必需品はそこで揃うらしいぞ」

「じゃあ、行ってくるね」

駆け出した背中に転ぶなよ、と注意する。
大丈夫と答えたけど、多分転ぶんだろうな。頑張れ、ミーちゃん&チーちゃん。

「さて、オレ達も行くか」

タージャがジャンプしてフードの中に入った。それを合図に歩き出す。
チェレンみたいに急ぐわけではないから、ゆっくりカラクサタウンを見物しておきたい。
適当に目についた路地裏に入ってみた。カノコタウンは家と家の間が広いから、建物に囲まれた通りは新鮮で、ちょっとわくわくする。
両側の壁には蔓草が絡み付いていた。手入れが行き届いているであろうそれは、レンガ造りの壁によく映える。
そういえば、町の入り口近くの看板に『生い茂る蔓は繁栄の証』と書いてあった。
なるほど、繁栄の蔓か。

「タージャみたいだな」

べしっと後ろから頭を叩かれた。
一緒にするなということか。

「すまん」

「ジャ」

わかればよろしい、とでも言うようにタージャは鳴いた。
平坦な道を進んでいくと、やがて緩やかな勾配の階段に変わった。タウンマップに書かれている通り、起伏に富んだ町並みのようだ。
階段を登りきると、そこには広大な景色が広がっていた。
青々と生い茂る木々と、それを切り開いて作られた道。その先に続く街はサンヨウシティだろうか。カノコタウンやカラクラタウンより大きく、背の高い建物が多く見える。さらに奥には雲を被った山が雄壮に聳え立つ。その山に向かって、鳥ポケモンの群れが羽ばていった。

「すごい眺めだな」

同意するようにタージャが鳴いた。腕の中のリクも、ここからの景色に魅入っているようだった。
イッシュの一部だけで、こんなにすごいんだ。なら、あの山の向こうには、どんな景色が広がっているんだろうか。

「これから、それを見にいくんだな」

近くでセッションでもしているのか、楽しげな曲が聞こえてきた。それも相まって、自然と気分が高揚していく。
やっと、旅に出たんだという実感が湧いた。

ふと、2番道路に挙動不審な中年男性がいるのが見えた。
おっさんはモンスターボールからマメパトを出すと、そのままマメパトに背を向けて走りだした。
オレは自分の目を疑った。
ポケモンを逃がしたんだ。さっきの演説の影響を受けたのか。もしかして、ベルのチラーミィを逃がしたトレーナーも……。
なんとなく、さっきの演説を思い出す。胡散臭い連中だったし、ポケモン解放なんて馬鹿げているけど。

「お前らは、野生に帰りたいと思ったいだっ!?」

思ったりするのか、と言い終わる前にタージャに蔓で叩かれた。リクがきゃんきゃん甲高い声で鳴く。

「どうした、おまえだっ!?」

また叩かれた。リクもまた吠える。
何を訴えてるんだ。くそっ、こんな時ポケモンの言葉がわかったらいいのに。

なんて滑稽なことを考えていたら、

「キミのポケモン、今話していたよね」

滑稽な言葉が背後から聞こえた。


******


振り返ると、モノクロのキャップを被った背の高い青年がいた。癖のある緑の髪は長く、つばで影になるせいか青にも緑にも見える瞳は灰暗い。
口元に薄く弧を描き、青年は歩み寄ってきた。

「聞いてる?」

「……えっ、ああ」

見下ろしてくる顔はとんでもなく整っていたが、何故だろう。無性に殴りたい。

「……確かに、何かを訴えてる様子だったけど、話してるって、そんな馬鹿なこと」

「そうか、キミにも聞こえないのか。かわいそうに」

早口だ。この変なにいちゃんえらい早口だ。二時間サスペンスのラスト15分に崖の上でペラペラ喋りだす犯人その他以上に早口だ。
しかも初対面のくせに失礼だ。リクを抱いてなかったら、拳を握っていただろう。

「だったら、お前には聞こえるのか?」

「聞こえているよ。聞こえないのが不思議なくらいだ。カレらは、こんなにも雄弁に声を発しているのに」

青年はリクに向かって手を伸ばした。
はっとして後退る。が、背中に柵がぶつかった。その先は崖。
青年の手がリクに迫る。

「まて!こいつは……」

オレは言葉を失った。
目の前で繰り広げられている光景はありえないものだった。
リクが初対面のやつに頭を撫でられて、嬉しそうに目を細めていた。人見知りで、慣れない人間に触れられただけで気絶してしまうリクが。
呆然としていたら、タージャに頭を小突かれた。振り返ると、タージャはリクと青年を指差した。タージャも不思議なんだろう。その顔には「納得いかない」と書かれていた。
オレは青年に視線を戻した。

「お前、もしかして、リクの、このヨーテリーの知り合い?」

「いや、彼に会ったのはこれが初めてだよ」

同意するようにリクが鳴いた。
じゃあ、なんでだ。
思わず人見知りも忘れるくらい撫でるのが上手いとか?伝説のナデリストとか?そんなのがいるかどうかは知らないが。

「お前、何者?」

「ボクはN」

N?
名前と呼べるかどうか怪しいアルファベット1文字を反芻する。
態度だけでなく、名前までふざけてる。

「からかってるのか?」

「いや、みんなそう呼ぶよ」

本名ではないのか。
Nってことはイニシャルだよな。やっぱナデリストか。

「さて、ミスミといったか」

「なんで名前を……」

名乗った覚えはない。背筋に怖気が走った。
ばっとNとかいう野郎が両手を広げた。

「キミのポケモンの声をもっと聞かせてもらおう!」

急にハイテンションになったよ、このにいちゃん!
逃げていいよな。殴って逃げていいよな。意味不明すぎて怖いんだが。
助けを求めてタージャを見ると、ぽんと肩を叩かれた。

「オレに丸投げするな!」

叫んでもタージャはどこ吹く風だった。当事者のくせに。
リクはといえば、状況を理解できていないのか、叫んだオレを不思議そうに見上げていた。ちょっと癒された。しかし、状況は変わらない。
どうする。この場合はどうするのが正解だ。リクが怖がってないから悪いやつではないだろうが、不審者には関わりたくない。
世界を変えるだのなんだのNが早口でまくしたてていたが、それを聞く余裕はなかった。
必死で打開策を考えていると、上の方からにゃあんという鳴き声が聞こえた。
救いかと思ってそっちを見上げると、民家の屋根の上にぴんと耳の立った愛くるしい藍色のポケモンがいた。知ってるポケモンのような気がするけど、なにかが違う。

「ああ、そんなところにいたんだ。心配したよ」

Nが声をかけると、藍色のポケモンは屋根から飛び降り、Nの脚にまとわりついた。Nは少し屈んで、尻尾をぴんと立てているポケモンの頭を撫でた。

「そのポケモン、お前の?」

「うん、そう。この子はボクのトモダチ。目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうから探していたんだ」

「へえ、見つかってよかったな」

ポケモンが甘えたような声を出すと、Nはさっきまでの張りつけたような薄笑いとはうってかわって、柔らかな笑みを浮かべた。
初めてこいつがまともに見えた。少しほっとする。
それにしても、このポケモンはなんだろうか。
リクを下ろして、カバンからポケモン図鑑を取り出す。図鑑を開いて藍色のポケモンに向けると、チョロネコと表示された。
チョロネコ?
テレビなんかでよく出てくるポケモンだけど、こんな色だったか?
図鑑を見つめて首を捻っていると、頭上から声がした。

「それ、ポケモン図鑑?」

「ああ、そうだ、よ」

顔を上げて後悔した。
絶対零度のような、恐ろしく冷めたい瞳がそこにあった。
おい、さっきまで普通だったろ。なんで怒ってんだ。やっぱこいつ意味わかんねえ。

「そのために幾多のポケモンを閉じ込めるんだ」

「ずいぶんと人聞きの悪い言い方だな」

「キミもそちら側の人間ということか」

Nが後ろへ飛び退いた。

「チョロネコ、“ふいうち”」

「へっ?」

リクが声を上げた。
気付いた時には、チョロネコが目の前に迫っていた。
体が動かない。
チョロネコの攻撃が当たる寸前、間に緑の体が割り込んだ。技が当たる音。タージャの声。まともに攻撃を受けた体は、思わず伸ばした腕の中に落ちた。

「タージャ!」

タージャはすぐ体を起こした。ほっとしたのもつかの間、タージャは地面に降りてチョロネコに向かっていった。すばやい動きでチョロネコに“つるのむち”を浴びせる。
とどめの“グラスミキサー”を食らってチョロネコはぶっ飛び、2、3度地面を転がった。よろよろと起き上がったが、もう戦う力はないだろう。

「タージャ、大丈夫か?」
「タジャ」

タージャはこっちを振り向くことなく、短く鳴いて答えた。とりあえずは大丈夫そうだ。
怯えたリクを背に庇い、オレはNを睨んだ。
Nは目を見開き、タージャを凝視していた。

「そんなことを言うポケモンがいるのか……」

「はあ!?お前、謝りもしないで何変なこと言ってんだ!」

「うん、ごめんね。キミを傷付けるつもりはなかったんだ」

あっさり謝られて拍子抜けしたが、よく見るとNの目はタージャだけに向けられていた。オレに謝る気は毛頭ないらしい。

「ふざけんな!」

「ジャー!」

タージャとともに怒鳴るが、Nはどこ吹く風でチョロネコを抱き上げなにか言うと、オレに背を向けた。

「世界を変えるための数式はまだ解けない、か」

やっぱりわけのわからない言葉を呟き、チョロネコを抱いた変な奴は階段を降りていった。


******


長い緑の髪が視界から消えた途端、力が抜けてアスファルトに座り込んでしまった。

「疲れた」

長い長いため息を吐く。
リクが心配そうに見上げ、タージャが慰めるように蔓で肩を叩いてくれる。
2匹にありがとなと言って、なんとはなしに空を見上げた。オレの心とは正反対に、爽やかに澄んだ快晴だった。
ああ、腹が立つ。

「だああもおお!なんなんだよ、あいつは!いきなり攻撃してくるとか何考えてんだ!訳のわからないことばっか言いやがって!電波野郎が!」

コスプレ集団といい、アルファベット1文字といい、今日はそういう日なのか。
くそっ、ひとが気持ち良く旅に出たっていうのに。
次会ったら殴る。絶対殴る。

「だいたい、閉じ込めるってなんだよ!誰がいつ閉じ込め、た……って」

ふと、捕まえてからまだ一度もボールから出してないミネズミとタブンネを思い出す。この後ポケセンでボックスに預けてそれきりであろう2匹を。
カバンから2匹のボールを取り出して中を見ると、退屈そうに寝ていた。
オレは、この2匹を閉じ込めてないと胸を張って言えるだろうか。
これから友達になれば大丈夫かもしれないけれど、多分その機会はとうに逃した。オレに出来ることといえば……。
思いついた答えは一つ。それは出来ればしたくない。けれど、何度考えてもそれ以外残されていなかった。
オレは2つのモンスターボールを握り締めた。

「タージャ、リク。ちょっと1番道路まで戻ろうか」


******


1番道路の草むら。だいたいこの辺だったかな、ミネズミとタブンネを捕まえたのは。
ミネズミとタブンネをボールから出す。外に出れたからか、故郷に帰れたからか、2匹は少し嬉しそうだ。
オレはここに来るまで何度も頭の中で繰り返した言葉を口に出した。

「お前たちの生活を邪魔して悪かった。これからは好きに生きてくれ」

ミネズミが躊躇うことなく走りだした。
タブンネは一度だけ振り返った。その表情が何を訴えているかわからない。何も言えずにいたら、タブンネは背を向けて歩き出した。
2匹の後ろ姿を見ていたら、申し訳なさが込み上げた。
勝手な都合で捕まえて、勝手な都合で逃がして。
別に、プラズマ団の連中に賛同するわけじゃない。これは解放なんて仰々しいものじゃなくて、ただのエゴだ。Nの言葉に反論できそうにないオレの自己満足だ。

「……これでよかったよな」

タージャもリクも黙っていた。
これが正しいかどうかはわからないままだった。
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