ポリアンナの憂鬱
雑踏蠢くメインストリートを抜け、遊覧船乗り場にあるベンチに腰を下ろしてほっと息をついた。
田舎育ちのせいか、ヒウンの人の多さにはなかなか慣れず、すぐに人酔いを起こしそうになる。遊覧船に乗る予定はないが、しばらくここで海を眺めて酔いを醒ますことにした。
近くに下水道があるせいで澄んだ水面とは言い難く、においも故郷の海とはまるで違うが、遥か遠くで青く煙る水平線に向かう船や穏やかな波の音は故郷のものと似ていて懐かしく、気分が落ち着いてくる。
その時、腕に着けたライブキャスターが場違いな電子音を鳴り響かせた。見やると、着信画面にベルの名前が表示されている。着信ボタンを押すと、画面に見慣れた幼馴染の姿が映った。
「ねえねえ、今どこお?」
「遊覧船乗り場」
「じゃあ、まだヒウンシティにいるんだねえ」
ベルはほっとしたように、もともと緩い表情をさらに緩めた。
「お願いがあるんだけど、ポケモン勝負しようよ! アイリスちゃんに鍛えてもらって、ちょっとは強くなったんだよ。もう自分のポケモンを守れるはず、だから……」
画面の向こうで、ベルはベレー帽の端をきゅっと握って深く被った。それは昔からのベルの癖だ。泣くのを堪えて前を向く時は、いつもこんなふうに帽子を握っていた。
今それをする意味はよくわからないが、なにかしらの強い意志を感じで、オレは頷いた。
「わかった。受けて立ってやる」
「じゃあ、4番道路に繋がるゲートで待ち合わせしようね」
「ああ。迷って遅れるなよ」
「大丈夫だよお。じゃあ、またねえ」
またな、と通話を切って立ち上がる。
またあの人混みを行かなければならないのは億劫だが、ベルとのバトルは少し楽しみだ。ちゃんとポケモンバトルをするのははじめてだからな。あいつがどんな戦い方をするのか興味はあった。
******
荒波のように次から次へと人が押し寄せるメインストリートを抜け、太陽に照らされた木々の緑と噴水の音がのどかなセントラルエリアも通り抜け、しばらくビルに囲まれた道を歩くと、ヒウンシティと4番道路の境界にあるゲートに辿り着いた。
中に入って辺りを見回してみるが、まだベルはきていないらしい。いつものことだ。待ち合わせをして、ベルが先に着いてたためしなんてない。
オレはゲート内にあるベンチに座って、ベルを待つことにした。
ぼんやりと電光掲示板のニュースを眺める。
7番道路が突如として大雨に襲われただとか、最近ポケモンが奪われる事件が多発しているだとか、悪いニュースと警告が無機質に流れていく。その後流れたのは昨日カノコタウンのミスミがヒウンジムのジムリーダーに勝ったという華やかなニュースで、そのミスミ本人であるオレは恥ずかしさと得意げな気持ちが入り混じって、なんとも言えないむず痒さに身を捩った。
こんなふうに誰それが某ジムのジムリーダーに勝ったというニュースをゲートの電光掲示板で見かけるのは珍しいことでもなかったが、まさか自分の名前を見ることになるとは。
それから2つほどニュースが流れたところで、妙にばたばたとした足音がヒウンの方から聞こえてきた。そっちを見やると、よく知ったベレー帽の少女が走ってきていた。あっちもこっちに気付いたらしく、大きく手を振る。
「おうい、ミスミ!」
「よう、ベル」
こっちも軽く手を上げて返した瞬間だった。
ベルが躓き、素っ頓狂な声を上げた。間に合わないだろうが、よろけた身体に駆け寄ろうとした時、ベルの後ろを歩いていたフタチマルがさっと腕を引っ張った。おかげで踏み止まれたベルは体勢を整えると、ミーちゃんありがとう! とフタチマルに礼を言う。
ミジュマルの時は転んだベルに巻き込まれて潰されていたミーちゃんが、こんなにも頼もしくなるなんて。
中身はもともと真面目でしっかりしている感じだったが、見た目にもすっかり武士のような貫禄が備わっている。
「ベル、大丈夫か?」
「ミーちゃんが助けてくれたから、大丈夫だよお」
大丈夫だろうと思いながらも一応早足でそばまで行くと、ベルはいつものふわふわとした笑顔を見せた。
この様子なら、うっかり足を捻ったとかもなさそうだ。
オレからも礼を言うと、ミーちゃんは当然のことをしただけだ、とでも言いたげに深く頷いた。
「旅にでて、ミーちゃんはすっかりたくましくなったな」
「うん! ミーちゃんはすごいんだよ」
「ほんと、ミーちゃんはすごいな」
「……ミスミ、なんか含みがある気がするんだけど」
じとりとした目を向けられ、オレはわざとらしく視線を逸らした。
珍しく皮肉が通じたか。
「いや、ほら、変わらないのも一種の才能だと思うぞ」
「ポケモンだけじゃなくて、あたしもちゃんと鍛えてたくましくなったよ!」
もう、とベルは頬を膨らませた。
はいはい悪かった、とぷくっとした頬をつつきながら謝ると、迫力なく睨まれ頬をつつき返された。結構本気で爪を立てられて地味に痛い。しかも何度もつついてくるし。オレはかなり手加減してやったのに。
痛みに顔を顰めて呻くと、ベルはようやく満足げな顔して指を離した。
「どう? 強くなったでしょ?」
「あーうん、そうだな」
「次は約束どおり、ポケモン勝負で強くなったところを見せるからね!」
ベルは気合いを入れるように拳を突き出した。
それに自分の拳を重ねて、オレはにっと笑ってやる。
「どこからでもかかってこい!」
「じゃあ、さっそくポケモン勝負だよ! ……と、その前に」
ベルはぱたぱたとゲート内にあるインフォメーションに向かっていった。案内役の女性と少し話すと、すぐに戻ってくる。
「ゲートでのポケモン勝負は電光掲示板を壊さないように気をつけてお願いします! だって」
なるほど、それを確認してたのか。
「そういや、お前、はじめてのポケモンバトルでチェレンと一緒にオレの部屋を滅茶苦茶にしてくれたよな」
「あたしも最初とは違うもん。全然大丈夫だよ! というわけで、改めてポケモン勝負開始ね!」
「その前にルール確認。ベル、手持ちのポケモンは何匹だ?」
「3匹だよ」
「じゃあ、3対3のシングルバトルでいいな?」
「うん!」
ルールも確認したところで、バトルができるだけの距離をとる。オレが腰につけたホルダーからモンスターボールを1つ手に取ると、ベルもボールを取り出そうとし、……鞄の中でなにかにひっかかったらしくわたわたしだした。思わず大丈夫か、と声をかけそうになるが、その前に落ち着けとばかりにミーちゃんに背中を叩かれ、なんとかちゃんと鞄からボールを取り出せた。
「それじゃ、いってこい、リク!」
「ムンちゃん、お願い!」
同時に投げられたモンスターボールが地面にぶつかって開く。オレのボールからでてきたのはヨーテリーのリク、ベルのからでてきたのはムンナのムンちゃんだった。
リクは顔を覆う長い毛を震わせて、ふわふわと宙に浮かぶムンちゃんを見上げて吠えた。リクなりの威嚇だが、ムンちゃんは変わらずのんびりとした顔をしており、あまりきいた様子はない。のんびりしすぎて、こっちの調子が狂いそうなくらいだ。
まあ、いい。気をとりなおして、
「リク、“かみくだく”!」
「ムンちゃん、“あくび”!」
リクがムンちゃんに向かって突進し、鋭い牙で頭に噛みつく。だが、ムンちゃんは焦ることなく、のんびりとあくびをした。あまりにも見事なあくびに、こっちまで眠気を誘われる。実際、“あくび”はそういう技だ。
眠ってしまう前に、倒してしまわないと。
「そのまま“シャドーボール”!」
「“サイケこうせん”で引きはがして!」
リクが黒い影の塊をムンちゃんにゼロ距離でぶつける。が、それを打ち消す勢いでムンちゃんが“サイケこうせん”を放ち、リクを壁に向かって吹き飛ばした。
「リク、壁を蹴ってまた“かみくだく”」
リクは空中で体勢を整え、壁を蹴って跳ね返った。ムンちゃんに向かって跳んでいき、丸い身体に歯を立てる。
ムンちゃんはいやいやと何度も身体を捩ったが、そのうち体力が尽きて地面に落ちた。
「ああっ、ムンちゃん!」
ベルが叫ぶが、ムンちゃんは起き上がらない。なんとか眠る前に決められた。
と思ったのもつかの間、リクがこくりこくりと船を漕ぎはじめた。どうにか睡魔に耐えようと頭を振るが、必中の技には抗えず、ごろんと横になって気持ちのよさそうな寝息を立ててしまう。
間に合わなかったか。
「ムンちゃん、お疲れさま」
「リク、一旦戻れ」
ベルがムンちゃんをボールに戻すのを見て、オレもリクをボールに戻した。
起きるのを待ってみるのも手だろうが、今はそんな賭けにでるよりも、次のポケモンに託す方がいいだろう。
「頼んだ、タージャ!」
「チーちゃん、頑張って!」
お互いに投げたモンスターボールから、同時にポケモンがでてくる。オレの方はジャノビーのタージャで、ベルの方はチラーミィのチーちゃんだ。
タージャが鼻を鳴らしてチーちゃんを睨む。が、チーちゃんは怯まずつぶらな瞳でタージャを睨み返した。
「タージャ、“グラスミキサー”!」
「チーちゃん、“くすぐる”!」
タージャが尻尾を振って草葉の旋風を巻き起こす。その中の突っ切っていき、チーちゃんは大きな尻尾でタージャをくすぐった。タージャが上擦った声を漏らして身を捩る。堪え切れず、やめろとばかりに“つるのムチ”でチーちゃんを振り払った。
「チーちゃん、大丈夫!?」
2、3回地面を転がったチーちゃんはすぐに起き上がり、大丈夫とばかりにチィと鳴いた。
“くすぐる”で攻撃力と防御力を下げられたせいで、そこまで威力はでなかったらしい。猪突猛進なところがあるわりに、ベルも考えて技を指示してるんだな。これもアイリスと修行した成果か。
「よし、次は“スイープビンタ”だよ!」
腕を振り回して指示するベルに合わせるように、チーちゃんは尻尾を振り回してタージャを打とうとする。タージャはするすると滑るように動き回って、何度も繰り出される尻尾によるビンタを避けた。焦るように顔を顰めたチーちゃんは必死にタージャを追いかけ、ベルも同じくらい必死に「チーちゃん、いけー!」と声援を送る。
チーちゃんの攻撃はどんどん大振りに、単調になっていく。
「今だ、“グラスミキサー”!」
当然一緒に大きくなる隙をついて、タージャが草葉の旋風をチーちゃんの腹に叩き込む。急所への一撃にチーちゃんは呻き声を漏らして蹲り、すぐに力尽きたように倒れた。ああっ、とベルが悲鳴にも似た声を漏らす。
「チーちゃん、ごめんね。よく頑張ってくれたね」
ベルはチーちゃんをボールに戻し、後ろに控えていたミーちゃんに振り返った。
「ミーちゃん、頼んだよ」
ミーちゃんは力強く頷くと、一歩一歩踏みしめるように前に出た。
タージャが短く鳴き、ミーちゃんも硬く短い鳴き声を返す。多分、「手加減はしないからな」「わかってる」とでも言ったんじゃないだろうか。オレにはポケモンの声なんて聞こえないが、2匹の雰囲気はそんな感じだった。
オレたち3人がアララギ博士から貰ったポケモン3匹は同じ場所で生まれ育った幼馴染らしいから、こいつらの間にもただの闘争心以上のものがきっとあるんだろう。
「いくぞ、タージャ。“グラスミキサー”!」
「ミーちゃん、“れいとうビーム”」
タージャが尻尾を振って起こした草葉の旋風にミーちゃんが凍てついた光線を放つ。巻き上がる葉はみるみる凍って地面に落ちていき、遮るものがなくなった冷気がまっすぐタージャへと向かっていった。
タージャはギリギリで蔓をバネにして跳び上がり、
「“つるのムチ”」
空中で身体を捻って蔓を振りかぶり、ミーちゃんに打ちつけた。短い悲鳴が上がり、水色の身体がよろける。だが、ミーちゃんは膝をついたものの上体はしっかりと起こし、呼吸を荒くしながらも軽やかに着地したタージャを見据えた。
「もう一度“グラスミキサー”」
「ミーちゃん!」
再び草葉の旋風がミーちゃんを襲う。ミーちゃんはホタチを抜き、鮮やかな太刀さばきで向かい来る無数の葉を受け流した。それでも、さばき切れなかった葉がミーちゃんを切りつけていく。
「ううう……、ピンチなのかな……?」
弱気になっているのはベルの方だった。泣き出しそうな顔でミーちゃんを見ているだけで、次の指示をださない。
このまま一気に畳みかければ、絶対に勝てるだろう。だが、なんとなく躊躇われて、“グラスミキサー”をやめさせることこそなかったが、さらに指示をだすこともできなかった。このまま終わるのが惜しかったのかもしれない。
その時、
「フタアッ!」
ミーちゃんが雄叫びを上げた。はっとして、ベルが顔を上げる。
ミーちゃんはまっすぐ前を向いて、ひたすらにホタチで“グラスミキサー”を凌いでいた。諦めなんてものはそこにない。あるのは戦う意志だけだ。
「そう、だよね。ミーちゃんが頑張ってるのに、トレーナーのあたしが諦めちゃだめだよね」
ベルはぎゅっとベレー帽の端を握った。
「ミーちゃん、“れいとうビーム”で葉っぱを凍らせて、“シェルブレード”で打ち返して!」
ミーちゃんは了解とばかりに鳴くと、“れいとうビーム”でみるみるうちに草葉の旋風を凍らせて止めた。そして、凍った葉をホタチで打ち返してくる。
氷の礫となった葉があられのように激しく降り注ぎ、タージャは顔を顰めた。
よかった。戦況はよくねえけど。
ベルが全力で挑んでくるなら、こっちも全力でいかねえとな。
「“やどりぎのタネ”」
タージャは尻尾から種を撃ち出し、ミーちゃんの肩に植え付けた。これでミーちゃんの体力を吸い取って、攻撃に耐えることができるだろう。
「“れんぞくぎり”」
ミーちゃんはホタチを構え直し、距離を詰めた。鋭い太刀さばきで何度もタージャを斬りつけてくる。タージャは素早い動きでかわすが、時折思いも寄らないところから攻撃が繰り出され、すべて避け切ることができなかった。
「“グラスミキサー”で姿を隠せ!」
タージャは後ろに跳んで距離をとると、尻尾を振って草葉の旋風を辺り一面に巻き起こした。無数の緑の葉っぱのなかに緑の身体が紛れていく。
「“れいとうビーム”で凍らせて」
ミーちゃんが“れいとうビーム”を放って凍らせるが、無尽蔵とすら思えるほどに草葉が湧き出し、今までのようにすべてを凍らせて止められることはなかった。
きっと、タージャの気合いとピンチになるとくさタイプの技の威力が増す特性“しんりょく”のおかげだろう。
「それなら、ミーちゃん、突っ切って!」
ミーちゃんは躊躇なく駆け出し、草葉の旋風の中心部へと向かっていった。身を切る葉に顔を顰めるが、進撃を止めることはない。
「タージャ、“つるのムチ”で迎い撃て!」
中心部に辿り着いたミーちゃんがホタチを振り上げる。タージャも蔓を撓らせた。
ホタチと蔓がぶつかり合う。そして、力尽き倒れたのはタージャの方だった。ベルがあっと喜び弾んだ声を上げる。
だが次の瞬間、ミーちゃんの身体が傾ぎ、うつ伏せに倒れた。そして、倒れていたはずのタージャが荒い息をしながら起き上がる。最後の最後で勝敗を分けたのは“やどりぎのタネ”だったらしい。
「アイリスちゃんと鍛えたのに、やっぱり勝てなかったね……」
ぽつりと落ちたベルの呟きが、虚しく響いた。