ポリアンナの憂鬱
「みんな元気になってよかったあ」

ポケモンセンターの受付で治療を終えたポケモンのモンスターボールを受け取ったベルは、いつものふわふわとした笑顔を浮かべていた。バトルが終わった直後に見せた陰りはもうどこにもない。
それでも、あの時の悲しげな声が耳に残っていて、なにか言ってやった方がいいとは思っているのだが、かける言葉が見つからなくて、結局いつも通り接するしかなかった。

「ねえねえ、ミスミはこの後暇?」

「とくに用ってほどのことはねえな。ヒウンを見て回ろうと思ってたくらい」

「じゃあ、一緒にカフェにいかない? 憩いの調べっていうお洒落なカフェがあるんだって。アーティさんに教えてもらったの」

アーティさんのオススメなら大丈夫そうだな。奇抜……もといアートすぎる可能性もあるけど。

「いいぜ。どこにあるんだ?」

「スリムストリートにあるって聞いたんだけど、正確な場所はわからないんだよね。昨日も1人で行こうとしたら迷っちゃって」

「つまり、オレにそのカフェを探せってことか」

「えへへ、お願いしまーす」

ちゃっかりした笑顔でお願いしてくるベルに呆れながらも、断る気はなかった。これもいつものことだ。

ポケセンを出て右に行き、2番目の通りで曲がる。ここスリムストリートは他の通りよりも狭く、背の高いビルに囲まれているせいで昼でも薄暗い。人通りもほとんどないせいか、各ビルのダストボックスが目立った。
こんな立地の悪い場所でカフェなんてやってるのか。隠れ家的ってやつか?

きょろきょろと首を巡らしながら歩いていると、他とは少し趣きの違うビルが目に入った。1階部分だけレンガ造りになっていて、入り口の周りには花の咲く植木が飾られている。店先にでている暖かみのある色合いの看板には『カフェ憩いの調べ』と書かれていた。

「意外と目立つ店だな。なんで見つけられなかったんだよ」

「ほんとだ。なんでだろう?」

ベルは口を開けたまま首を傾げた。
おおかた、ぼんやりしているうちに通り過ぎたんだろう。

入り口の扉を開けると、ドアベルが高く澄んだ音を鳴り響かせた。
外装と同じく、内装もアンティーク調で落ち着いている。店内には穏やかなメロディが流れていて、そっちを見てみるとサングラスをかけたミュージシャンの男がカウンター席でアコースティックギターを奏でていた。なるほど、店名の由来はあれか。確かに、聴いていると心が安らぐ気がする。

適当に空いているカウンター席にベルと並んで座る。店員に注文を訊かれ、オレはブレンドコーヒーとザッハトルテ、ベルはロイヤルミルクティーとモモンの実のレアチーズケーキを頼んだ。

直後、ベルの鞄が揺れた。
なんだろう、とベルが鞄を開けて、モンスターボールを1つ取り出す。開けると、チーちゃんがでてきてベルの膝に座った。

「チーちゃん、どうしたの?」

「チィ、ミィ」

チーちゃんはギターを弾く男を指さし、耳をぴくぴくと動かした。

「そっか、外にでて聴きたくなったんだね。綺麗な曲だもんねえ」

チーちゃんは頷き、ベルの腹に背を預けてギターの音色に聴き入った。
どこか郷愁を覚えるメロディは綺麗で優しいけれど、だからこそ切なくもある。耳を澄まして聴いていると、何故か、かつてオレが歌姫と呼んでいたポケモンの歌と重なる気がした。旋律が似ているのだろうか。おかげで鼻の奥がつんとして、うっかりするといつもは胸の奥底に仕舞っている色んなものが溢れ出そうだった。

なんか、不思議とヒウンに来てから昔を思い出すことばっかりだな。

ちょうど運ばれてきたブレンドコーヒーを、オレは思い出と一緒に飲み込んだ。苦い。
ブラックで飲めないわけではないが、そんな気分にはなれなくて、砂糖を1匙とミルクを足した。続いて運ばれてきたザッハトルテが甘かったから砂糖はない方がよかったかもしれないが、まあいいか。今は甘い物がほしい。

その時、またドアベルが鳴り響いた。つい入り口に顔を向けると、長い金髪の女性が入ってくる。
20代前半頃だろうか。オレンジ色のカーディガンに白いロングスカートのその人は、常連らしく、親しげに店員に挨拶するとオレたちから3席ほど離れたカウンター席に座った。
知らない人だし、特別目立つ人でもない。なのに、どうしてか気になって首を傾げる。が、隣に座るベルを見て合点がいった。
どことなくベルと似ているからだ。髪色や服装もだが、朗らかそうな顔立ちが似ている。年上なせいか、あっちの方が落ち着いた雰囲気ではあるけれど。実は姉妹と言われても信じてしまいそうだ。

「あの人、ベルの親戚か?」

「ううん、知らない人。なんで?」

「なんか似てるから。でも、他人の空似か」

ベルも10年後には、あんな風に落ち着いた人になるんだろうか。
ちょうどサンプルが目の前にあるから想像できなくもないが、あまりしっくりこなかった。ドジが治って落ち着いたベルなんて、違和感しかない。
あまりにおかしすぎて顔を伏せてこっそり笑っていると、ベルの膝の上でただでさえ大きな目をいっぱいに見開いて固まっているチーちゃんが視界に入った。チーちゃんの視線の先には、ベル似の女性がいる。
自分のトレーナーに似た人間に驚いたのか?

チーちゃんは小さく声を漏らすと、とんっとベルの膝から飛び降りた。ベルが不思議そうに名前を呼ぶが振り返らず、一目散にベル似の女性のもとに駆けていった。女性の脚に縋りついて、チィチィと呼びかけるように鳴く。女性が目を丸くしてチーちゃんを見下ろしたのと、ベルが席を立ってチーちゃんのもとに向かったのは同時だった。

「ごめんなさい! チーちゃん、急にどうしたの?」

ベルはチーちゃんを女性の脚から引きはがし、抱き上げた。それでも、チーちゃんは鳴きながら必死に女性の方に手を伸ばしている。
まるで生き別れた母親に再会した子供みたいだ。明らかに普通じゃない。

女性は呆然としたまま、チーちゃんを見つめていた。ぽかんと空いた口がゆっくりと動き、掠れた声が漏れる。

「ちらちら……?」

呟かれたのは、知らない名前だ。だが、チーちゃんはこくこくと何度も首を縦に振った。
女性は声を抑えるように口に手をあて、ベルと同じエメラルドの瞳を濡らした。

チーちゃんの様子から、もしかしたら、とは思っていたが、女性の反応でそれは確信に近いものになった。
それはベルも同じだろう。当たり前だ。本来ならチラーミィが棲息しているはずのない1番道路でチーちゃんを捕まえた時に、オレたちは言っていたのだから。

チーちゃんはトレーナーに捨てられたポケモンじゃないかって。

「あの、もしかして、チーちゃんの――このチラーミィのトレーナー、ですか?」

「正確には元、ね。私はもうその子を解放したから」

ベルの問いに、女性は言葉を付け加えて頷いた。

――解放。
それは、旅にでてから妙に何度も聞いた言葉だった。その言葉を発するやつらにいい印象はなく、つい身構えてしまう。

「解放って……、なんでそんなことを……」

「知りたいの?」

「はい」

尋ね返され、ベルは戸惑いを浮かべながらも頷いた。

「あなたがちらちら、……ううん、そのチラーミィの今のトレーナーなのよね?」

「そうですけど」

「なら、あなたには話しておくべきでしょうね」

女性は口元にだけ微笑みを浮かべると、隣に座るよう促した。
ちらと助けを求めるようにベルが振り返る。オレは頷くと、女性の2つ隣の席に移動した。少しほっとしたような顔をして、ベルはチーちゃんを抱いたままオレと女性の間に座った。

「一応、自己紹介しておくわね。私はビアンカ。ホドモエシティ出身で、今はヒウンでOLをしてます」

「カノコタウンのベルです」

「……こいつの幼馴染のミスミです」

あくまでベルの付き添いだから名乗る気はなかったが、ビアンカさんに視線を向けられたから仕方なく同じように自己紹介をする。

「ずいぶんと遠くからきたのね。ポケモンと旅をしはじめた新米トレーナーってとこ?」

「はい。チーちゃんとは、旅にでたその日に1番道路で出会いました」

説明するベルの声は震えていた。腕の中のチーちゃんは、いまだに恋しそうな目でビアンカさんを見つめている。

「ああ、そうだった。私がちらちらを解放したのは1番道路だった。あの時ははやく解放してあげなきゃって焦ってたから、場所なんて全然考えてなかったけど。……最後くらい、もっと考えてあげればよかったわね」

ビアンカさんは独りごちるように自嘲した。

「私もね、前はあなたたちと同じようにポケモンと旅をしていたトレーナーだったの。ちらちらと一緒にチャンピオンになるんだって、ジムを巡って色んな人とポケモンバトルをしていたのよ。……馬鹿な夢だったけどね」

「そんなことは……」

「いいえ、あの時の私は馬鹿だった」

ベルの慰めをビアンカさんは一蹴した。

「私にはポケモンバトルの才能なんてなかったの。どんなに努力しても、強くなれなくて、負けてばかりで……。なのに、弱い自分を認められなくて、だんだん手持ちのポケモンたちにあたるようになってしまった」

オレはヒトモシのユラのことを思い出していた。弱いからと元のトレーナーに虐待され、今も傷を負ったままでいるユラのことを。
この人もユラの前のトレーナーと同じだったのか。
知らず知らずのうちに、向ける眼差しに険が滲んでいった。

「そんな時に出会ったのが、プラズマ団だったの」

やっぱりか。
解放なんて言うのは、あいつらくらいだ。

「知ってる? ポケモンのために活動している組織なのだけど」

オレたちは苦い顔で頷いた。
ポケモンのためと主張する割には、ずいぶんとポケモンに酷いことをするやつらだが。主張は同じでも、ポケモンには本当の意味で優しい分、あいつの方がまだましだ。

「彼らに言われたの。あなたはポケモンを道具にしているだけだって。最初は認められなかったわ。でも、何度も話しているうちに目が覚めたの。私と一緒にいてもポケモンたちは幸せになれない、傷付くだけだって」

チーちゃんが何度も首を横に振る。だが、ビアンカさんは見もしなかった。

「だから、逃がしたんですか?」

「ええ、これでやっとちらちらも幸せになれるって思った。でも、まさかすぐに別のトレーナーに捕まってしまうなんてね」

ビアンカさんは肩を竦めると、あくまで優しく囁くようにベルに言った。

「ねえ、あなたも強くないのなら、その子を解放してあげて」

ベルの息を呑む音が聞こえた。チーちゃんも腕の中で固まっている。

この人は、なにを言ってるんだ?
あんなに必死に縋ってきたチーちゃんを見て、チーちゃんを抱き締めるベルを見て、なんでそんなことが言えるんだ。

「あんたは自分のポケモンと向き合うことから逃げただけだろ!」

頭に血が昇り、衝動的にオレは声を張り上げていた。
ベルとビアンカさんが目を見開いてオレを見上げる。だが、すぐにビアンカさんは眉を顰めた。

「私は正しいことをしただけよ」

「それのどこが正しいんだ。ポケモンの気持ちなんて、全然考えてないくせに!」

「子供のあなたにはわからないでしょうね」

ビアンカさんは憐れむように目を伏せた。プラズマ団と同じだ。この人も自分が正しいと信じて疑っていない。だから、目の前にあるものすら、ちゃんと見ようとしない。
オレはさらに反論しようと口を開いた。が、ふいに立ち上がったベルに塞がれて叶わなかった。

「ミスミ、もういいよ」

「けど……」

「いいから」

ベルはきゅっとチーちゃんを抱く力を強め、ビアンカさんに向き直って頭を下げた。

「教えてくれて、ありがとうございます。でも、あたしはチーちゃんと離れるつもりはありません」

ベルは頭を上げると、ミスミいこう、と言って歩き出した。ビアンカさんが引き止めようとするが、無視して店から出ていく。
オレもベルに続いて、さっさとレジで会計を済ませて店を出た。

ベルはずっと歩き続けている。どこに向かっているのかはわからない。多分、ベル自身もわかっていないだろう。
その背中になんて言葉をかけるべきかわからず、オレはただベルの後ろをついていった。

「あのね、ミスミ」

「ん?」

ベルは歩き続けたまま、語りはじめた。

「あたしはミスミやチェレン、それにアイリスちゃんのように強いトレーナーにはなれないけど、カノコタウンを旅立ってから色々な人と出会って、あたしのやりたいこと、やれることを考えているの。そういう意味で、ポケモンはあたしにたくさんのはじめてをくれたんだよね」

ベルの声は弾んでいた。表情は見えないけど、さっきまで不安そうにしていたチーちゃんが穏やかな顔になっているから、きっと微笑んでいるんだろう。

「……ポケモンをとられて大変で不安でどうしようもなかったけど、それでも言えるの。旅にでてよかったって! それに、ポケモンといることがすごく大事だってわかったし! だから、あたしはポケモンと一緒にいたい。強くなれなくても、チーちゃんとミーちゃんとムンちゃんと一緒に、できることを見つけたい」

チーちゃんがベルにすり寄る。ベルは鈴を転がすような笑い声を漏らして、チーちゃんを撫でた。

(ああ、やっぱりそうだ)

悔しくて、変わってないなんて言ってみたけど、

「変わったな、お前」

「えっ?」

ベルは間の抜けた声を上げて振り返った。こういうところは変わらないんだけどな。
でも、確実に変わったと言えるところがある。
ドジでふわふわしてて地に足ついてなくて、いつもオレとチェレンのあとをついてきてたのに、いつの間にかオレが守る必要もないくらい

「強くなった」

ベルが目を見張る。オレはもう一度はっきりと言ってやった。

「旅にでて、お前は強くなったよ」

「そう、かな?」

「生まれた時から一緒にいるオレが言うんだから、間違いねえ」

「そっかあ、そうなんだあ」

ベルは照れ臭そうにチーちゃんの頭に顔を埋めると、嬉しさを抑えきれないといった声で笑った。
チーちゃんもくすぐったそうにしながら、ベルにつられるように目を細める。

(オレも負けてられねえな)

前を歩く幼馴染の背中がほんの少しだけ寂しくて、すごく誇らしかった。


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