この広い世界の宝物
鬱蒼と茂る木々の間を潮風が通り抜けていく。海辺の町カノコタウンの外れにある森は、いつも草木と潮のにおいが入り混じっていた。
慣れ親しんだにおいの中、オレは何度も歩いた自然の道を進んでいた。
本当は、まだトレーナーでもない子供が1人で町をでることは、しかも森の中に入ることはいけないことらしい。だが、そんな言いつけを守るようなオレではなく、ずいぶんと前から幼馴染のチェレンとベルにも内緒で森に入って、野生のポケモンたちと遊んでいた。

「おーい、ランー! リクー!」

とくに仲の良いポケモンの名前――もちろんオレが勝手につけたやつだが――を呼ぶと、藪の中からムーランドとその背に乗ったヨーテリーがでてきた。

ムーランドのランはオレがはじめて友達になったポケモンだ。
ミネズミの尻尾を踏んづけて追いかけられていたオレを、まだヨーテリーだったランが助けてくれたのが出会いだった。それからは森に行くたびに一緒に遊んでいて、ランがヨーテリーからハーデリアに進化した瞬間にも、ハーデリアからムーランドに進化した瞬間にもそばにいた。
だから、モンスターボールで捕まえたわけではないけど、なんとなくランのトレーナーになったつもりでいた。

ヨーテリーのリクは少し前に生まれたランの息子だ。
リクの父親は不明だが、多分リクが生まれる少し前から姿を現し、リクが生まれてすぐに姿を見せなくなった黒いポケモンじゃないかとあたりをつけている。オレには確認する術はないし、わざわざしようとも思わないけど。

「ラン、リク、久しぶり。悪かったな、最近なかなか来れなくて」

頭や首を撫でてやると、ランは気持ちよさそうに目を細めた。そのまま流れでリクも撫でようと手を伸ばすが、それに気付いたリクはランの長い毛の中に隠れてしまった。

まだダメか。

オレはランと顔を見合わせ、苦い顔をした。
勇敢で人懐こいランと違い、リクは臆病で人見知りをする性格らしかった。何度も撫でようと試みているが、そのたびにランの長い毛の中に潜ってしまう。
それでも最近は少し慣れてきてくれたらしく、しばらく待っていれば、また外に出てランと一緒にオレの話を聞いたり、散歩をしてくれるようにはなった。辛抱強く待っていれば、そのうち触れられるようにもなるかもしれない。

「さてと、今日はなにして遊ぶ?」

「ばう」

尋ねると、ランはオレの袖を噛んで引っ張った。どうやら、つれていきたいところがあるらしい。

「わかったわかった。じゃあ、案内してくれよ」

「ばうばう」

ランは袖を離すと、さらに森の奥に向かって歩きはじめた。歩く速さを合わせてくれるランの隣に並ぶ。
いつの間にか、ランの長い毛の中に隠れていたリクも顔を出していた。

「リクはこれからどこに行くのか知ってるのか?」

「きゃう」

いつもの弱々しい声でリクは頷いた。
オレがここに来られない間に、母子で見つけた場所なんだろうか。

でこぼことした道を行き、様々な草花の苗床になった倒木を乗り越え、ちくちくを肌を刺す藪を抜けていく。
ランが行く道を遮る枝や蔓を退けてくれるけど、それでも人の手が入らない森は歩きにくい。けど、それも冒険みたいで嫌いではなかった。

しばらくすると、ずっと遠くの潮騒や葉擦れに混じって、高く澄んだ声がかすかに風にのって響いた。耳をそばだててみると、それは確かなメロディを伴っていた。
足を進めるごとに、歌声が近くなる。どうやら、この先にある一際大きな木の上から聞こえてくるもののようだった。
その木の下に着き、ランが足を止める。やっぱり、この歌を聴かせたかったらしい。ランもリクも目を閉じて、樹上から響いてくる歌に聴き入っていた。

オレも根元に座って、心地のよい歌声に耳を傾ける。
空を覆うほど枝葉を広げた木を見上げると、上の方の枝に座る人影が見えた。黒いワンピースを着た女性だ。さやさやと揺れる葉に紛れるような新緑の髪を風に靡かせ、遠くを見つめている。顔はよく見えないが、きっとあの人がこの歌の主なんだろう。
この森にオレ以外の人間がいるのが珍しくて、目を凝らしてみる。と、なにかがおかしいことに気付いた。

やけに小さい。

距離があるせいかと思ったが、彼女の座る枝と比較してみても小さすぎる。
人間ではなく、人に似たポケモンなんだろうか。そういえば、この歌も人の声とは少し違う気がする。

はじめて見るポケモンだった。はじめて聞く歌だった。
けど、その旋律の切なさの中には不思議と懐かしさがあった。遠い昔、それこそ生まれてくる前に聞いていたような気がする。

言い知れない心地のまま、オレは衝動的にランの背中に顔を埋めた。
と、偶然にもリクの鼻面がオレの額に触れた。リクが鼻をひくつかせるのを湿った感触と額にかかる息で感じる。また逃げられるかと思ったが、意外なことにリクは身体の力を抜いてオレの頭に寄りかかってきた。
一度触れたら案外大丈夫と思われたのか、それとも不思議な歌のおかげか。どちらにせよ、オレにとっては奇跡みたいなもので、胸の内に広がるあたたかなものを感じながら、見知らぬポケモンが歌をやめるまで、黙ってランとリクに寄り添っていた。
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