神話の演者たち
アーティさんに連れてこられたのは、5つある波止場のうちの1つだった。船は泊まっておらず、黒々とした水面が揺れている。街中ほど明るくはないが、等間隔に並んだ街灯が辺りを照らしていた。
そこに、小さな人影が2つある。1つは大都会には不似合いなエキゾチックな風体の子供で、こっちに気付くと「アーティ!」と手を大きく振った。
そして、その子供に寄り添われているもう1つの人影はよく知ったものだった。

「ベル……!」

オレの声が聞こえたのか、ベルが涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
アーティさんの手を振りほどいて、ベルのもとに駆け寄る。なにがあったんだ、と肩に手を添えると、ベルはオレの肩に額を押しつけてしゃくりを上げた。

「……ミスミ、どうしよう。あたしのムンナ……プラズマ団にとられちゃったあ」

「ムンナが!?」

プラズマ団に襲われたのはベルだったのか……!

頭を殴られたような衝撃があった。
ずっと、オレは巻き込まれてるだけだと思ってた。さっきアーティさんに引っ張られていた時もどこか他人事の気分で、自分の身近なものが被害者になるなんて考えもしなかった。
対岸の火事の火の粉が自分たちに降りかかることだってあるのに。
燃えてからでないと気付かないなんて、どんだけお気楽な頭をしてたんだ、オレは。

思わず自嘲が漏れそうになるが、今はそんな場合でもない。
オレはベルの顔を覗き込んだ。

「ベル、怪我は?」

「わたしはどこも。でも、ムンちゃんが! わたし、トレーナーなのに守ってあげられなくて! ……ごめんね、ムンちゃん!」

ベルはどんどん涙声になり、最後には顔を覆って嗚咽を漏らした。
ベルに怪我がないことに少しほっとするが、喜べる状況でもない。
酷い目には合ってないと思いたいが、これまでのプラズマ団の所業を考えると、最悪のケースもありえる。

「お前のせいじゃない。悪いのはプラズマ団だ。だから、自分を責めるなよ」

「でも……」

「大丈夫だ。オレが絶対にムンちゃんを助けてやるから」

大粒の涙がいくつも零れる目でベルがオレを見上げる。オレはあやすようにその頭を帽子の上からぽんぽんと撫でた。
うん、と小さく頷くのを確認して、さらに尋ねる。

「プラズマ団がどこにいったか、わかるか?」

泣きじゃくるベルの代わりに答えたのは、ベルの横にいた子供だった。

「あたしね、おねーちゃんのひめいをきいて、ひっしにおいかけたんだよ! ……でも、このまちおおきいし、ひとばかりで、みうしなっちゃったの」

「アイリス……君はできることをしたんだから」

悔しげに涙を滲ませる子供――アイリスの頭をアーティさんが宥めるように撫でた。どういう関係かはまったく想像できないが、2人は知り合いのようだ。
アイリスは聞き分けのない子供のようにぶんぶんと首を横に振った。

「……でも、ダメだもん! ひとのポケモンをとっちゃダメなんだよ! ポケモンとひとはいっしょにいるのがステキなんだもん! おたがいないものをだしあって、ささえあうのがいちばんだもん!」

アイリスの言葉は子供らしく純粋で、なんの混じりけもなくて、だからこそ胸に響くものがあった。
それはベルもなのか、「……アイリスちゃん」と涙を止めてアイリスを見つめる。アーティさんもうんうんと感じ入ったように深く頷いた。

「だから、僕たちがポケモンをとり返す。ね、ミスミさん?」

「もちろんです」

ベルが襲われたっていうのに、黙って見過ごせるはずがない。

「というわけだから、今回も力を貸してくれ」

タージャに目をやって頼むと、わかってるとばかりに鼻を鳴らした。腰のベルトにつけた3つのボールも応えるようにかたかたと揺れる。
本当に頼りになる相棒たちだ。

「とはいえ、このヒウンシティで人探しポケモン探しなんて、まさに雲をつかむ話」

アーティさんは腕を組んで虚空を見つめた。
ヒウンシティは人とポケモンで溢れているうえ、他の町や地方からの通勤や出張で人の出入りも激しい。木を隠す森としてはうってつけの場所だった。
いくらプラズマ団が目立つ格好をしているとはいえ、よほどの幸運の持ち主でもないかぎり闇雲に探して見つかるとは思えない。
手がかりもなく、途方にくれかけた時だった。

「なんでジムリーダーがいるの!?」

街の方から、あの中世の騎士風の変な格好をしたプラズマ団の下っ端がのこのこと現れた。
プラズマ団はアーティさんを見て、明らかにうろたえている。

「せっかくうまくいったから、もう1匹奪おうとしたのに。……って、逃げなきゃだわ!!」

プラズマ団は慌てて身を翻した。

「待て!」

「慌てなくても大丈夫」

飛び出しかけたオレをアーティさんが手で制する。
そして、もう片方の手でモンスターボールを投げた。そのボールから服のように葉を纏ったポケモンが現れる。先日ヤグルマの森でアーティさんがつれていた虫ポケモンだ。
その虫ポケモンは逃げるプラズマ団の背に向かってなにかを投げつけるように腕を振った。
プラズマ団の姿はすぐにネオンの中に消えてしまう。だが、その軌道を示すように、虫ポケモンの手からきらりと輝く一筋の糸が伸びていた。

「これで彼らの隠れ家まで案内してもらえるね」

アーティさんは得意げに笑った。

前に父さんから聞いたジョウトの昔話みたいだな。
夜にだけ会いにくる恋人の正体を確かめるために恋人の服に糸をつけた針を刺し、翌朝糸を辿って恋人のあとを追うっていう。糸はとあるポケモンを祀った社に続いていて、恋人の正体はそのポケモンだったっていうオチだったが、はたしてこの糸の先にはなにが待っているのか。

「それじゃ、ミスミさん、行くよ!」

「はい!」

「アイリス! 君はその子のそばにいて」

「うん! あたし、ベルおねーちゃんのボディーガードをしてる! だから、アーティとおにーちゃんは、わるいやつをおいかけて!」

アーティさんに頼まれたアイリスはぐっと拳を握った。
オレより小さいけど、実はかなりの実力者なのだろうか。アーティさんの態度はただの子供相手のものとは思えなかった。
だとすれば、すごくありがたい。

「ミスミ……」

ベルが不安げに眉を下げる。
オレはできるだけ安心できるよう「心配いらねえって」と笑ってやって、アーティさんと一緒に糸を辿った。
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