ホドモエシティへと繋がる跳ね橋を目指して、お祭り気分の雑踏の中を進んでいく。
カミツレさんに気付くと、人々は歓声を上げたり、うっとりしたようなため息を零したりした。それを直接受けているカミツレさんは慣れているらしく、時々サービスするようにウインクしたり手を振ったりするだけで涼しい顔をしていたが、近くで余波を受けるオレはなんとも居心地が悪かった。モデルって、すげえな。
次第に大きな赤い鉄橋が遠くに見えてくる。その鮮やかな赤がはっきりしてきたところで、カミツレさんを呼び止める人が現れた。
「おお! カミツレではないか!」
燃えるような赤い髪のおっさん――いや、じいさん?――だ。
ただのファンなどではないらしく、カミツレさんを見る目がずいぶんと気安かった。
「フェスティバルはよいな! 人生は楽しまねばな!」
赤い髪のおっさんは豪胆に笑った。カミツレさんの表情にも親しげなものが浮かぶ。
突然現れた謎のおっさんに、オレとチェレンは首を傾げた。
「……この人は?」
訝しげにチェレンがカミツレさんに尋ねる。
カミツレさんはこともなげに、とんでもないことを言い放った。
「アデクさん、イッシュ地方のチャンピオンよ」
「チャンピオン!?」
オレとチェレンは同時に驚いた。
だが、一拍後にオレは、ん? とチェレンの反応に引っかかりを覚えた。
「なんで、チャンピオンの顔を知らないんだよ。お前、あの人を目指してるんだろ?」
「仕方ないだろ。ここ数年はほとんど表舞台にでてきてないんだから」
苛立ち混じりに吐き捨てられ、オレはとりあえず「そうか」と頷いた。
なんか、まだピリピリしてんな、こいつ。
「どうして、チャンピオンがこんなところで遊んでいるのです?」
責めるような口振りで、チェレンはカミツレさんに尋ねた。
だが、反応したのはカミツレさんではなくアデクさんだった。
「……聞こえたが、なんとも手厳しい若者だな」
アデクさんはチェレンの発言に気分を悪くしたふうもなく、ただ苦笑した。
よかった。器の大きい人みたいだ。
「はじめまして。わしの名前はアデク。イッシュポケモンリーグのチャンピオンだよ。ちなみに遊んでいるのではなく、旅をしているのだ! イッシュの隅々まで知ってるぞ」
「カノコタウンのミスミです」
「……自分はカノコタウン出身のチェレンといいます。トレーナーとしての目的はチャンピオンですけど」
チェレンは半ば睨むようにアデクさんを見上げた。
いつか倒すべき相手だからか、それともチャンピオンにふさわしくない人間だとでも思ったのか、妙にアデクさんに対してあたりが強いな。幸い、アデクさんはまったく気にしてないようだが。
「うむ! 目的をもって旅することはすばらしいことだ。それで、チャンピオンになってどうするつもりかね?」
「強さを求める、それ以外になにかあるのですか? 一番強いトレーナー、それがチャンピオンですよね」
「ふむう。強くなる、強くなる、か……。それだけが目的でいいのかね?」
思案するように顎髭を撫で、アデクさんは疑問を呈した。
チェレンの眉が不機嫌そうに顰められる。隣にいるオレはすごく居心地が悪い。
「いや、もちろん君の考えを否定しているわけではない」
と、アデクさんは慌てたように付け加え、諭すように続けた。
「わしはいろんな人たちにポケモンを好きになってもらう、そのことも大事だと考えるようになってな」
だが、チェレンの眉間にはより深く皺が刻まれた。
流石にオレも宥めるべきか? 火に油注ぐ予感しかしねえけど。どっちも間違ったことを言ってるわけじゃねえと思うんだけど、なんでこんなに雰囲気が悪いんだ。
アデクさんはチェレンを見つめて仕方なさそうに肩を竦めた。
「彼女たちと遊んでみれば少しはわかってもらえるかもな。君たち2人で彼女たちとポケモン勝負をしてみないか? おーい、お前たち。ちょっとおいで」
「はーい!」
「なーにー?」
こちらの返事を待たないアデクさんの呼びかけに答えて奥からやってきたのは、幼稚園児くらいの少女と少年だった。その後ろをチョロネコとハーデリアがついてくる。
アデクさんは屈んで2人と目線を合わせ、オレたちとポケモンバトルをするように頼んだ。一も二もなく幼稚園児たちは「はーい!」と元気なお返事をする。
こいつらとポケモンバトル?
なんで、そんな話になったんだ?
首を捻りながら、チェレンと顔を見合わせる。
「やるか?」
「やるしかないだろうね」
心底面倒そうにチェレンはため息をついた。そのままうんざりした顔でアデクさんさんを見返す。
「……わかりました。では、いきますよ」
「いっくよー、チョロネコ!」
「がんばって、ハーデリア!」
少女のポケモンがチョロネコ、少年のポケモンがハーデリアか。
どちらもさほど育てられているようには見えない。幼稚園児だし、そこまでポケモンバトルに慣れてるわけじゃなさそうだ。アデクさんがどういうつもりかはわからないが、ジムバッジを持ってるトレーナーが負けることはほぼないだろう。
だったら、少し冒険してみるか。
「いけ、ユラ!」
「チャオブー、いってくれ」
オレの投げたボールからはヒトモシのユラ、チェレンが投げたボールからはチャオブーが現れた。
チャオブーはどんな相手であろうと全力で迎え撃つ気らしく炎の鼻息を吐いて、チョロネコとハーデリアと見据えている。対してユラは戸惑ったようにこっちを振り返った。
「大丈夫だ。お前のできることをしてくれるだけでいいから」
そっとユラの頭を撫でてやる。自信がなさそうにユラは頷いた。
どうしても無理なら仕方ねえけど、こいつにもポケモンバトルは楽しいものだって思えるようになってほしい。
「チャオブー、チョロネコに“つっぱり”」
チャオブーは一気に距離を詰め、チョロネコに“つっぱり”を食らわせた。吹き飛んだチョロネコと少女の悲鳴が響く。一応まだ立ち上がれはするみたいだが、ふらふらで戦闘不能直前って感じだな。
「ハーデリア、チョロネコをたすけて! “たいあたり”!」
「ユラ、ハーデリアに“かえんほうしゃ”」
ハーデリアはチョロネコを庇うように前にでて、チャオブーにぶつかっていった。瞬間、ユラが放った炎がハーデリアを燃やす。多少チャオブーにもかすったが、ほのおタイプだから大丈夫だろう。
「ハーデリア!」
ハーデリアは地面を転がって炎を消し、また果敢にチャオブーに食らいついた。チャオブーの太い腕に鋭い牙を立てる。
チャオブーは振り払おうと何度も腕を振るが、ずいぶんと強く噛みつかれているらしく、なかなか離れなかった。
「チョロネコ、今のうちにヒトモシに“ひっかく”!」
「もう1回“かえんほうしゃ”で迎い撃て!」
ゴーストタイプのユラにノーマルタイプの“ひっかく”は意味がないが、気概は買って全力で相手してやる。ユラめがけて駆け出したチョロネコに、真正面から“かえんほうしゃ”を浴びせた。チャオブーの“つっぱり”で体力をほとんど削られていたチョロネコは毛先を焦がして地面に倒れた。
「チャオブー、“かわらわり”で地面に叩きつけるんだ」
チャオブーはハーデリアに噛みつかれている方の腕を振り上げ、瓦を割るように地面にぶつけた。きゃいん、と短い悲鳴が響き、ハーデリアの牙がチャオブーから外れる。腹を見せて、ハーデリアは四肢を投げ出した。こっちも戦闘不能だ。
「チョロネコ!」
「ハーデリア!」
少年少女は倒れたポケモンたちに駆け寄り、すぐに回復させてぎゅっと抱き締めた。流石に大人げなかったかとも思ったが、アデクさんに「あたしのポケモン、すごくかわいかった!」「ポケモンがぼくのいうことをきいて、たたかってくれたよ!」と笑顔で報告しているのを見てほっとする。
アデクさんも「お前たち、勝てなかったがいい勝負だったな! ポケモンもうれしそうだったし」と満足そうにしているし、問題はなさそうだ。
「やったな!」
ならこっちも存分に勝利を喜ぼう、とユラの前に軽く拳を突き出す。ユラは一瞬首を傾げたが、すぐに察してくれて、ちょこんと小さな手を合わせてくれた。その顔にはどこか誇らしげな笑みが浮かんでいる。
こいつも少しは楽しいって思ってくれたんだろうか。そうだったら、嬉しいな。
「さて若者よ」
ふいにアデクさんに話しかけられて、オレは顔を上げた。チャオブーを労わっていたチェレンもアデクさんに向き直る。
「君のように強さを求める者がいれば、彼らのようにポケモンと一緒にいるだけで満足する者もいる。いろんな人がいるのだ。答えも色々ある。君とわしの考えるチャンピオン像が違っていても、そういうものだと思ってくれい!」
教師のように諭してきたかと思えば、アデクさんは豪胆に笑って子供たちのもとに戻っていった。
アデクさんの言っていることはもっともだ。なにも求めるか、なにを正しいと思うか、そんなものは人それぞれだ。他人に迷惑さえかけなければ、なにを選ぼうと自由だろう。
そのはずなんだが、
「強いのがチャンピオン。それ以外の答えはないよ」
チェレンはなおも頑なに吐き捨てた。
チャオブーが心配そうにチェレンの横顔を見つめる。だが、チェレンは気付かず眉間に皺を寄せてアデクさんの背を睨み続けるだけだった。