沈黙が流れる。二人きりの部屋の中、時計の音だけが規則正しく響いていた。先に口を開いたのは紡だった。
「風呂沸かしてくる」
ちさきの横を通り過ぎて浴室に向かっていく。その後ろ姿を眺めながら、ちさきは胸の奥にじわりとした痛みを覚えた。
(なんだろう、この感じ)
心の中に黒い染みのように浮かんでいる不安感。それが何なのかわからない。ただ、嫌なものだということだけははっきりしていた。
「…………」
気が付くと、ちさきは立ち上がっていた。背後で聞こえていた水音が止む。振り返ると、ちょうど紡がタオルを手に脱衣所から出てこようとしていた。
「ちさ――」
ちさきの姿を認めると、紡が息を呑んだ。
ちさきはゆっくりと歩み寄ると、そのまま彼に抱きついた。
「ちさ――」
紡の声に動揺の色が見える。しかし、ちさきは構わずにその胸に顔を埋めた。
「ごめん」
ぽつりと呟くと、紡の腕が背中に回される。ぎゅっと力を込めて抱きしめられるのと同時に、彼の鼓動が伝わってくる。
どくん、どくん――。規則正しいリズムで脈打つ心臓。生きている証。
「怖いの」
ぽつんと言葉が零れた。
「このまま紡がいなくなっちゃうんじゃないかって思うと怖くて堪らない」
ずっと見ないようにしてきた。考えないふりをしていた。でも、もう限界だ。
「わたしは、紡のことが好きなの」
その一言にすべてを込めた。そして、全てをさらけ出す勇気を出した。
「……知ってたよ」
優しい声音とともに、頭を撫でられた。
「俺も好きだから」
「本当に?」
思わず聞き返すと、「ああ」と穏やかな肯定があった。
「本当だ」
その言葉を噛み締めるように目を閉じる。嬉しくて涙が出そうだった。
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一つのifとしてありだなーと。
海村の人達が目覚めないまま十年、十五年経っていたらこういうこともあったかもしれませんね。
「ずっと見ないようにしてきた。考えないふりをしていた。でも、もう限界だ。」というところがすごくちさきらしいし、好きだと言われて「知ってたよ」と返すのがすごく紡っぽい。
ちさきの気持ちを知っていた理由が「俺も好きだから」っていうのも、実際そうなんだろうなと思いますね。察しがいいからとかじゃなくて、ちさきのことが好きだからよく見て知ろうとしてたんだろうなと。
(2022/06/19)