庭球 | ナノ

「―――なぁなぁ、知っとる?」

「何が」

「白石先輩の第二ボタンの逸話!」

「知らんけど・・・確かにあそこだけ不自然にないな。」

「部活の先輩に聞いた話、白石先輩彼女おっとったらしいで。」

「そら学校一どころが地元一モテる白石先輩やで、おっとって不思議やあらへんやん。」

「ちゃうわぼけ!重要なのは「いた」ってところ!!」

「・・・別れたん?」

「んー、なんとも言えん。
それがな、ここだけの話・・・実は―――」































*

秋が学生の歩く道を紅くを染め上げ、北風が日本列島に冬を運んでくる。
ポストに一通の手紙を投函すると、それはカコンという無機質な音を立てて紙の束に落ちた。



「あ、ハルや!」

「やっぱかわええな、ハル。
最近ドラマの主題歌も決まったらしいよ。」

「ほんま!?録画しよ!」

駅のホームで英単語帳を眺めていたら、そんな会話が耳に入る。
一年前、突如オリコンを総ナメするような人気を奪い去っていったアーティスト「ハル」。
最近ではシンガーソングライターの域を超え、アイドルのような活動もしている。
俺はその看板を横目で確認すると、知らぬふりをして右耳イヤフォンで世界を遮断した。
ipodから流れるのは、いつでも同じ音だ。
ハルのデビューシングル「サリシノハラ」。最近はその曲をリピートしすぎて登下校中の音楽鑑賞だけで再生回数が3桁にまで達してしまった。

「おっす白石!」

ホームの黄色い線ギリギリに立っていた俺は、後ろからの衝撃に驚きながらもまたかと呆れていた。
背中押すのは危ないで、謙也。

「おはようさん。
なんや今日はえらく早いやん。」

「おかんが朝からピリピリしとってな。矛先がオヤジに向いてる隙にでてきたっちゅーはなしや。
エゲツナイで、ほんま。」

自分の二の腕を抑えてブルりと震える謙也。

俺と謙也は、お互い親の家業を継ぐため同じ理系の進学校に上がった。
相変わらずスピード勝負な謙也は、しかし電車通学になってからチャイム寸前に教室に入ってくることがしばしばあった。
成績を落とさない俺に反して、謙也は得意教科以外の内申が少しずつ下に傾いていた。
しかし今、気軽に一緒にいられる友人は謙也くらいなものだ。
府内有数の高偏差値校なだけあって、高校で知り合った友人は勉強の話題が多いように思える。

「なぁなぁ白石!
今度ハル、初ライブやん。
チケットの抽選、応募した?」

「しぃひんよ。倍率高くて当たるはずないし、第一行けてもあって話せるわけやない。」

「んなさみしいこと言わんと、行ってやれや。
・・・・・・まだ、お互い好きやろ?」

「・・・・・・・・・どうやろ」

「ハル」とは、中学時代から一緒につるんでいた。
謙也と俺とハルで同じ高校に入って、本来ならこの朝の時間も一緒に登校していたはずだった。
高一の秋口、ハルが趣味で投稿していた動画サイトを通して大企業からプロへのスカウトがあったのだ。
デビューシングルから怒涛の人気を得たハルは、当然地元でも評判になった。
中学時代から付き合っていた俺は、だんだんと忙しくなっていくハルを嬉しく思いながらそれ以上に応援ができなくなっていた。
そして、二人だけの恋路はハルが東京に転校した日の雪と一緒に溶けて消えた。

16歳は、まだ永遠の愛を誓いあえるほど大人ではない。
不安そうな顔を無理に笑顔で歪めたハルの顔は、今でも鮮明に覚えている。

「――でな、白石。
・・・自分、ちゃんと俺の話聞いとる?」

「ああ、聞いとるよ。温泉が何やって?」

「温泉なんて話しとらんわ!!
実はな、お前どうせ応募してないやろうなと思ってハルのライブ応募したら、奇跡的にあたってもうてん。」

「おお、そらすごいな。」

「2口応募したから、いこうや!あ、後で5000円集金すんで。」

「おん。」


行きたくないという気持ちと、もう一度会いたいという気持ちが交差して、初冬の風が俺の髪をなでていった。
週末の改札の向こうの、銀河一等星の輝きに向けて。




* * *




【すまん白石!イグアナちゃんが急病でいけんくなった!
俺の代わりにハルと会ってきてな!】


「謙也のやつ・・・ドタキャンしよった」

溜息と一緒に携帯を閉じた俺は、観念して人ごみの中に身を投じる。


ハルと会える。
今は、この目で彼女を収めることができることへの高揚感が支配していた。
そして次の瞬間には、自分が彼女の前に現れてはいけないと言う自制心が働く。

元でも、彼氏がいたという報道が広がってしまった今、俺は近づいては困る存在。
きっとそれは、隠したい・・・隠さなければいけない過去であったはずだ。

熱狂的な信者の美化は、刃物になって君の首を絞めているのだろうか。
新しい扉の前で、一人寂しくはないだろうか。
いっそ、死にたいなんて思ってはいないだろうか。

それでも好きやで、ハル。

一等星の笑顔に、最前列で手を振るから。
少しだけ緊張した顔の彼女に、無欲の君に。


『みんなー!
今日は私の初ライブ、来てくれてありがとう!
普段の疲れを忘れて、めいっぱい楽しんでくだ・・・わゎ、わ!!!』

ギターとアンプをつなぐコードに引っかかって、ギターを庇って倒れる。
極度のあがり症は、相変わらずらしい。
客の暖かい応援に少しだけ目を潤ませると、彼女は気を取り直して一曲目を弾き始めた。

何度も聞いたその曲を、歌唱力の上がった彼女が歌うと別の人の曲のように思えた。
いつもそのメロディーで少し上がりすぎる癖があったのに、そこは歌詞を尊重するあまり、遅れ気味だったのに。

目の前にいる彼女は、俺の知っているハルとは別人に見えた。
思った以上に君の目は、獣を狩るような鋭い目つきをしている。
思った以上にその肩は、裏も表も儚い少女を極めていた。

やっと君に逢えたのに、剥がされるまでの時が100倍速だ。

いくら彼女に手を伸ばしても、届かないこの距離。
どんなに画面越しでキスしても、どんなに頭の中で脱がせても、
交わらない、目と目。

きつく握った拳を、今度は精一杯彼女に向けて伸ばす。

刹那、まるで時がそこで止まったかのように永遠に感じた。

なあ、なんでそんな悲しい顔するん?

やっと君と会うことができたのに、もっと、もっと・・・
まだ、俺は彼女を求めてしまう。
目があって、それだけじゃ足りない。

「・・・・・・触りたい」

その柔い手を握りたい。

その心細い肩を抱きたい。

もう一度、彼女に


「触れたい・・・・・・っ!」




『ここまで盛り上がってくれてありがとうございます!
次で、最後の曲になります。』

『生で歌うのはこのライブが最初で最後になると思います。
シングルのカップリング曲になるつもりなので、いいなと思ったらよろしくお願いします。』

『タイトルは、「one more.」』


『ねぇ、お元気ですか
私は少し 痩せました
あなたのいない日々は退屈です

別れ際にもらった第二ボタン
締まらない学ランは少し不格好ですね

あなたの記憶は私を笑顔にする
季節はあの日の私たち 追い越していくけど
きっと別々の道を歩んでも あなたは大切な人


ねぇ、何してますか
私は未だ 待ってます
寂しさを忙しさで紛らわす

片耳だけつけていたイヤフォン
もう片方は今誰の耳にあるんですか?

私は今のあなたを知らない
冬春夏秋過ぎ去って 2度目の冬が来た
そっと一緒にいてささえてくれる あなたが大好きでした


もう話をすることも 視線が会うこともないの?
今までの私たちには戻れないの?
触りたい 触りたいよもう一度
あの暖かい手のひらを

あなたの記憶は私を笑顔にする
季節はあの日の私たち 追い越していくけど
きっと別々の道を歩んでも あなたは大切な人』


『―――大好きでした。』

マイク越しの穏やかな彼女の声が途絶えると、会場中が歓声で沸く。
今までで一番の盛り上がりを見せ、俺は感極まって涙する観衆と一緒に、立ち尽くしていた。

・・・予想なんかじゃない。
これは、紛れもなく俺に向けた想いだと、確信が持てた。
メロディーに乗って、ハルの記憶が蘇る。

嗚呼、

恋のため息は、季節を超える。


「なぁ、俺はここやで。」

どんなに小さな存在でも。

たとえ君が犯した過ちに、刺殺されてしまっても。

「ここにいるから。」








カコン

週末に出し続けるのは、宛名のない手紙。
しかし今度は、宛名をつけた便箋に乗せてこの気持ちを彼女に送る。





「お待たせ、ハル。」











サリシノハラ







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歌い手【りぶ】さんの1stアルバムの書き下ろし曲、みきとP様の「サリシノハラ」のパロです。
謙也は白石のために応募しまくってやっと一口だけ当選したと言う裏エピソードがあったり。
ここまで読んでくださってありがとうございました。