庭球 | ナノ

―――雪だ。
久しぶりに降り立った天宝寺駅を見渡す。
・・・・あの日も雪が降っていたっけ。



両親が海外にいる間、
私はお祖父様のいる大阪で中学時代を過ごした。

小さい頃から私立の名門校に通い、
習い事をたくさんして友達と遊ぶ暇さえないような生活をしてきた。
憧れていた、屋敷の隅の部屋の窓から聞こえてくる同年代の子供の声に。

だからだろうか、
公立のごく普通の学校に通えるようになってからは、毎日が楽しかった。
楽しすぎて、いつか夢のように、泡のように消えてしまうんじゃないか。

上辺だけの絆じゃない、沢山の友達が出来た。
先生は家柄で態度を変えて接しないし、
大切な人も、出来た。

―――蔵。


…いつまでも、続けば良かったな。
運命は残酷だ、なんて言えるほど不幸になったわけでもないし
悲劇のヒロインみたいなことを言うつもりも更々ない。

唯、もう少しだけ。
せめて、三度目の春がくるまであの日溜まりの中で夢を見ていたかった。





母の本帰国が早まった。

「聞きましたよ、ハルさん。
好きな人が出来たみたいですね」

「……はい。」

「それは幻想です。
一時の感情に身を任せるのはよしなさい。
もうすでに転校手続きは済ませました。その方とは別れてください」

「お母様!せめて卒業まで」
「許しません。ここでのことは忘れ、貴方の『日常』に戻るのです。」

「………、はい。」


どこまでも無表情な母の表情を伺い、
幼い私一人ではどうしようもならないことが有るという現実を改めて突きつけられる。


―――・・・・・・。



今夜にはもう東京へたつ。
白い息と手の冷たさは私の心のようで、それを隠すように切り出す。

「…・、別れよう…?」

その時に見せた悲しそうな顔に胸が締め付けられ、慌て目を伏せる。

「もう・・・蔵と一緒にいられないの。」

(本当は、ずっと一緒にいたい)

今すぐにでもここから逃げたい気持ちを抑え、今出来る精一杯の笑顔で蔵に笑いかける。

「いままでありがとう、さよなら。」

最後まで言い切る前に泣いてしまいそうになり後ろを向く。


慌てて立ち去ろうとして、手を捕まれた。
振り向いた瞬間に蔵は目を見開いた。
驚いた顔も綺麗だな、なんて、こんなときでも私は何処か客観的で。
手が緩んだすきに走り出す。
もうあれ以上あの場所にいたら、甘えてしまいそうで。
そんな弱い自分に腹が立って。

しばらく走ったら、川の近くまで来た。
川原に人影はなく、私はそこに、
まるで糸が切れた操り人形のように座り込んだ。

「……ふっ、…ぅ…ぐ……」

泣いても何もかわらない。
わかっていても、この目から流れ出す雫がおさまるわけもない。
いっそ蔵のこともここでの思い出も、全て涙と共に流れてしまえれば良いのに。

唯、蔵が好き。
でもダメで、私には何もできなくて。






あのときの私は唯無力で、臆病で、抵抗することも何もしなかった。

…否、きっとそれは今も変わらない。
まだ親のいいなりになってお見合いしている自分は、
時間が過ぎても心はまだあのときの幼い少女のままだ。

蔵はモテるから、他の誰かと幸せになっているはず。
…ちょっと、さみしいけど。
そして、時々でも、私は貴方のなかで居場所があるのなら、それ以上はなにも望まないよ。
まだ幼かった私の恋心は、本気だったんだ。

「貴方が好きで、好きで…愛していました。」

静かに降る雪の中で、小さく、小さく、呟いた。







手が悴んできた。

結婚する前にもう一度と、懐かしき第二の故郷に帰ってきた。
いきなりのことで、誰ともアポを取っていない。

ここはみんなで食べたたこ焼き屋だ、あそこを曲がってもう少しいくと中学校。
歩いているうちに先程までの胸のわだかまりがとれてきた。



人通りが多くなる。
クリスマスのこともあり、街には家族連れや恋人達が行き交っていた。

「フフ、こんなに人がいたら誰かと会えるか…も……」


―――いた。

何万人という人混みの中で一人だけ、
私から視線を奪って離さない唯一人の、人。
嗚呼、なぜ神様は、こんなにも私に過酷な試練を与えるの。


視線に気づいたのか、その人はゆっくりこっちを振り向いて、そして、



そして――――



Prologue.

(もう一度、夢を見てもいいのでしょうか?)(まだ、愛してもいいのでしょうか?)