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晴れた土曜日の朝。いつもより張り切って支度をする蘭に予定を聞くと、「人と会うの」と楽しそうに話していて、俺はそれを話半分に聞いていたのだ。しかし、園子からの電話でその会うという人物の名前が「柚木」というらしいことに、引っかかりを覚え、無理を言って同行させてもらうことにした。

「ねえ、蘭姉ちゃん。
柚木さんって、どんな人?」

「とっても気さくな人よ!
学年は私の一個上で、お悩み相談所みたいなことをしているみたいなの。」

「へぇ〜…。」

蘭の一個上っつーと、17ぐらいか……。大学生3年の鈴谷小依とは年も結構離れてるし、関係なさそうだな。

「あ、蘭!こっちこっち!
……って、ガキンチョも連れてきたの!?」

「コナン君が来たいって言うから。
お父さんも近所の人と麻雀行くって言ってたし、心配で。」

そんなことを話している蘭の手を離して、辺りをキョロキョロして目当ての人物を捜す。
すると、急に後ろから手が伸びてきて、恐怖が湧き上がる。

「ッ…!?」

「かっ、かわいい〜〜っ!!!」

「…へっ?」

ぎゅうぎゅうと抱きしめられる感覚。気が付いたら視界も上に上がっていた。
ふわりと香る石鹸の香りに顔を後ろに向けると、俺を抱き上げている人物は顔を崩してめいいっぱい子供の感触を楽しんでいた。
目が会うとにっこり笑うその表情に、少しどきりとする。

「ねえ蘭ちゃん、この子弟?
すっごくかわいい!!」

「柚木さん!
その子、うちで預かってる子で、コナン君って言うんです。」

「江戸川コナンです!
お姉さんの名前は?」

「へへ、私は八代柚木です。
よろしくね〜コナン君」

悠々と俺を横抱きする柚木さん。腕力は結構あるようで、しばらく俺を抱っこした状態で楽しんでいた。本当に子供が好きなんだろうが……おいおい、俺はいつになったら解放されるんだ?

(この人はお目当ての"柚木"さんじゃねーな。)



園子と蘭、テーブルを挟んで俺と柚木さんという席順で喫茶店の一箇所を陣取ると、世間話を始める。子供らしくオレンジジュースを頼むかとうんざりしながらメニューを見ていると、「コナン君はコーラかな?」という声がかかって、「う、うん」と相槌を打った。この柚木って人、結構自分勝手な奴だ。

まずは本題に入るわけでもなく、世間話をする3人。柚木さんは江古田高校の先輩らしい。どういう経緯で知り合ったかはわからないが、随分と仲が良さそうだ。
ウエイターが飲み物を運んできて、それを柚木さんが全員にまわす。コーラとコーヒーだけ見分けがつきずらかったが、コーヒーを頼んだ柚木さんが飲んでいる方がコーヒーなんだろう。コーラのを自分の近くに寄せて、話を聞いていた。

「それで、蘭ちゃんの相談内容って、確か『新一君』のことなんだよね?」

「!」

その話題にドキリと大きく心臓を打った。おいおい……まさか、蘭の相談内容って…俺のことか?まさかまさか、コナンが俺だって疑ってる……とか?
蘭は少し言いづらそうに視線を下げて、それからもう一度顔を上げてしっかりと頷いた。

「私の、幼馴染なんです。
新一は推理バカで、いつも事件に首を突っ込んでは私を放って何処かに行っちゃうような奴なんですけど…。」

悪かったな、推理バカで。

「一月の半ばに、新一に空手の大会の優勝祝いにトロピカルランドに連れて行ってもらったんです。その日も新一は、また何か事件に首を突っ込んだのか、『先に帰ってろ』って言われて勝手にどっかに行ってしまったんです。
私も、どうせいつものことだーって一人で家に帰ったんですけど、結局それから新一、一回も私の元に顔を見せなくなっちゃって。」

「……。」

「学校も休んでて、電話してもいつ帰れるかわからない様子で……こんなに長く新一と離れて、すごく不安になったんです。
何か危険なことに巻き込まれているんじゃないか、大怪我をしてしまったんじゃないか、複雑な事情ができて、帰ってこれないんじゃないか…。」

「うん。」

「夜中になると、途端に不安になる時があって。
このまま新一が帰ってこなかったら、どうしようって。
私、」

今にも泣き出しそうな蘭の悲痛な声に、胸がキュ、と締め付けられる。俺はここにいるんだって、今すぐ伝えたくなる。そんなに苦しい思いをしないでほしい。ちゃんと、いつもお前のそばにいるから、だから、

「『泣くな、蘭。』」

「えっ……、」

驚いて声の主を見ると、その人――柚木さんは、優しい顔で蘭の手を握っていた。その横顔には労わりの表情が浮かんでいる。

「多分、新一くんなら、今の蘭ちゃんを見て、そういうんじゃないかな。」

反論の言葉も出ず、唖然とした。心を読まれたのかと思った。

「電話は繋がるんでしょう?
多分、新一くんは、蘭ちゃんの元に帰りたくて仕方ないと思うの。
でもそれができないから、せめて声だけでも聞きたいと思ってるんだと思うんだ。」

「……。」

「新一くんは幸せだねぇ。こんなにも心配してくれる子が、いるんだもの。
蘭ちゃん。私がもし新一くんの立場なら、勝手かもしれないけど、蘭ちゃんに待ってて欲しいと思うよ。
自分の帰りを、いつもの元気な蘭ちゃんに待ってて欲しい。
それで、笑顔で『おかえり』って、言われたいな。」

「柚木さん……。」

「……。」

俺は酷く驚いていた。彼女はまるで、俺の事情を知っているようじゃないか、と。
そんなはずがないと思いながらも、それを否定できないのは、俺がまだ彼女を、"鈴谷小依"だと疑っているからだ。でも、彼女にしては年が離れすぎている。

「!」

「ん?どうしたの?コナンくん。」

「あ……いや、なんでもない…。」

考え事をしながらコーラを飲もうとストローを吸った瞬間、口に広がるそれは炭酸と甘さではなかった。この中身は……完全に、コーヒーだ。
思わず柚木さんを見返すと、彼女は俺に視線を合わせるや、ウエンクを飛ばした。

前言撤回だ……この人は、俺の探している『柚木さん』その人だ!

でもなんでわざわざ俺に正体を教えるような真似を……?普通にしていればバレなかった情報だし、身元が割れていると幾らか不利になってしまう。
それに、鈴谷小依の時に感じた危ない気配は全くなく、本当に気さくな女子高生そのものだ。これを難なくこなしているのだとしてら、よほど演技が上手いと見れる。

(それかもしくは、こっちが素なのか?)

「コーナンくん?」

「え?!な、何?柚木姉ちゃん……。」

「具合でも悪いの?さっきから難しい顔してるけど。」

「何?ガキンチョのやつ、具合悪かったの?」

「そ、そんなことないよ!元気元気!」

そう言ってはぐらかしてみせるけど、柚木さんは顎に手を置いて唸っていた。そして何かを思いついたみたいに、「あ!」と声を上げて俺を見る。

「お手洗いに行きたいとか?」

「!
う、うん、そうなんだ、実は…。」

「じゃあ、お姉ちゃんと一緒に行こっか。
私もちょうど行きたかったし!」

「うん!」

よろしくお願いします、と蘭とその子の二人に見送られながら、柚木さんと手をつないでトイレに向かう。お互い視線は前を向いていたけど、考えることは一緒だったみたいだ。

「どうして正体をばらすような真似、したんですか?」

「どうしてって……そんなの簡単だよ。
新一くんがあまりにも彼女に対して配慮が足りなかったから、塩をまいてあげようかなって。」

その言葉に柚木さんを見ると、彼女は舌を出して俺をからかっていた。
それはおそらく答えの半分だろう。もう半分は――

「俺に、『柚木』は本名じゃないって伝えるため……ですか?」

「おっ、だいせいかーい☆
そのコナンくんの悔しそうな顔を眼の前で見るためかな。」

「……。」

こいつ、完全に鈴谷小依その人だ。つかみどころのない飄々とした性格は、確かに彼女そのものだった。

「まあそういうわけだから、これからもよろしくね?
工藤くん

「……柚木さんは…。
あなたはいったい、何者なんですか?」

名前も、年齢も、顔も、不詳。
凛とした出で立ちの鈴谷さんかと思いきや、次に会えば気さくな柚木さん。
本物の彼女は、一体。

「強いて言うなら――"残骸"かな」

楽しそうに微笑むその人の、本当の名は、どこにあるのだろうか。